輪ゴムを落とした
ある日、本屋でバイトをしていた。昼から夜までのフルタイム。ちょっと残業つき。
売場から撤収した本をバックルームに持ち込み、本の束をまとめようと輪ゴムを一本手に取ったときである。
あっ。
輪ゴムを一本、落とした。
その瞬間、胸の奥で何かがぷつんと切れたような気がした。いや、確かにぷつんと言った。聞こえた。すべてがどうでもよくなり、続けてえも言われぬ不思議な感覚の流体が胸から鼻腔のほうにあがってきて、溢れてしまった。出てくるというよりは、みるみる水位が上がってきて、溢れてしまった。じゅわり。いつもなら「拾わなきゃ」と腰をかがめるところだが、その場に呆然と立ち尽くしたまま、床に気持ちよさそうに寝転んでいる一本の輪ゴムを、滲んでいく視界でただただ見下ろしていることしかできなかった。
片思いというのは、楽しい時間よりもダメージを受けている時間のほうがはるかに長いというものである。過去にも何回かダメージを受けた。トラウマもほどほどに蓄積された。
もう恋はしない。そう決めたはずなのだが、近頃その誓いがちょっと怪しくなってきた。会う前は喉から内臓が出そうになるし、会えるとそれまでの緊張から一転全身が隅々まで嬉しさでいっぱいになるし、声を聞くとお腹の底まで沁みて深く安心する。うん、やっぱり好きかもしれない。きっと好きなんだと思う。すき。認めざるを得ない。好きです。
しかし、例によっていいことばかりではなく、ダメージもちゃんとついてきた。自分の立ち位置を把握できないのである。状況を客観視できなければどうすることもできない。右にも左にも前にも後ろにも行けない。思いは募るのにどうすることもできない。くるしい。
もちろん、恋をしてしまった人間に客観視などできるはずがないのであって、これまでにも失敗ばかりしてきた。かつて恋愛話をしたお姉さんは、相手に気持ちがあるかどうかは何となくわかるものよ、と言っていた。わかるものか。第何感まで持っていればそんな芸当ができようか。わたしには第五感までしかなく、そんなものを感じ取ったことはないし、どういう風の吹き回しかちょっと相手の気持ちに期待したことはあっても、結局すべて偽陽性に終わっている。まあそんなところ。
まだフレッシュだった頃には浅はかにも行動を起こしていたものだが、自分の第何感かがいかにあてにならないか、自分の片思いがいかにうまくいかないか、という事例ばかりが溜まっていって、とうとう何もできなくなってしまった。思いは募るのに、自分がいまどこで何をしているのかさっぱりわからないし、過去のトラウマにとらわれて身動きが取れない、というわけ。相手は悪くない。自分が悪い。申し訳ない。もうどうしようね。
阪神も大変なことになっている。SMBC日本シリーズ2023。さすがはパ・リーグ優勝のオリックス、簡単には勝たせてくれない。リーグ後半やクライマックスシリーズのような圧倒的連勝はできず、ぎりぎりの状態が続いている。それでもどうにか昨日王手をかけたと思っていたが、今日は負けたそうで、お互い3勝ずつ、明日勝ったほうが日本一、というもっとも緊張感のある状況となった。ハラハラする。こちらも気付かないうちに心の負担になっているのかもしれない。
はっと我にかえる。今は仕事中だ。気持ちを溢れさせている場合ではない。仕事をしなければ。淡々と、粛々と、いつものように。頭のあたりにぐっと力を入れて思考を振り切って、相変わらずくっきりしない視界であたりを見回してみた。よかった、誰にも見られていない。見られていたらそれはそれはもう大変なことになっていた。誰かに涙のことをつっこまれたら、あくびが出たことにしよう。お金をもらっているのだから仕事はやらないと。そう言い聞かせて全身にぐっと力を込めると、私の思考なんてどこ吹く風といった涼しげな輪ゴムめがけて、足元にめいっぱい腕を下ろした。