「休職」「退職」「転職」はできるだけ早いうちに経験しておいた方がいいよ、というはなし


年末だね。
なんか、けっこう勉強した一年だった気がするな。
今年は座学と実践のバランスがよかったと思う。
去年までが、実人生での学びが激しすぎて身体に悪いくらいだったから良かったのかもしれないけど。

さて、こんな質問をいただいたよ。

社会人三年目です。
いまの職場環境が肌に合わず、ストレスを感じています。
ここにいてもいいものかどうか、将来像に希望が見えません。
どう考えたらいいでしょうか。


キャリアの話だね。

診察でも、落ちたメンタルの調子がだんだん良くなってくる中盤戦以降には、その人のキャリアのことが話題になることがある。
キャリア不安とメンタル不全というのは直結しているのね。


産業医学の世界では、職場のメンタルヘルスの問題を紐解こうとしていろんなジョブストレスモデルが提唱されているんだけど、そのうちのひとつ「因果関係モデル(Cooper & Marashall, 1976) 」というのがあって、職場でのストレッサーを大きく5つにわけているのね。


スクリーンショット 2020-12-19 1.37.17


職場のストレッサーとして、キャリアの課題を取り上げている。
ずっとここで仕事をしていられるのか、成長できるのかみたいな発達の問題だったり、今の自分に対して「過大なポジション」や「過小なポジション」もストレス要因となりうる。

裁量ややりがいが少ない仕事は、


キャリア不安とメンタル不全に関する指摘はこんなものある。

メンタルヘルスの問題は、キャリアの問題と切り離しては考えられない。

ある社員が上司とうまくいっていないとする。会社が成長し続け、年功序列終身雇用が機能していた時代なら、異動できる部門は潤沢にあったし、課長や部長への昇進はほぼ保証されていたため、 いつか現状から抜け出すことができると信じて我慢することができた。
そのため、上司との関係が多少悪くても、それについて、悲壮感をもって突き詰めて考えることは少なかったのではないか。


しかし、今、多くの企業では、異動機会は限られている、いつ昇進できるかわからない、自分の下に社員が配属されないといった現状もある。こうなると、今の上司との折り合いの悪さが自分のキャリア形成に大きな影を落としていると感じて、そのことから考えが離れなくなってしまう。
つまり、始まりはキャリア形成への不安なのだ。

                 (楠田祐「破壊と創造の人事」より)


質問者さんは新卒入社して3年目ということだけど、「ファーストキャリアのミスマッチ問題」というのがあるよね。

日本だけでも会社は約100万社以上存在するらしいんだけど、そんな中でファーストキャリアで「フィットする会社」を引ける確率なんてせいぜい2割に満たないんじゃないかと思うんだよね。

キャリアでミスマッチが起こったとき、それは結局ミスマッチでしかないわけなんだけど、ファーストキャリアの場合、それがただのミスマッチだと思いにくいところがある。相対化できるほどの経験がないからね。

「イチゴ大福」って、イチゴと大福の相性がたまたま良いからおいしいわけなんだけど、でも、「バナナ大福」はたぶん合わない。
じゃあ合わなかったからと言ってバナナが悪いのか?とか、大福が悪いのか?というと、そういう話じゃないよね。

僕自身は最初に入った医局でスーパーミスマッチだったんだけど、学生実習のときにすべての診療科を検討して、「ここ以外ないわ」という消去法で決めて放射線科に決めたからね。そこが「全然合ってない」ってなったときはなかなか絶望的な気持ちで、医者が向いてないのか、とか思ったよ。


当時は、「自分はコミュニケーションが苦手なので、コミュニケーションの少ない診療科にしよう」という自己認識だったわけだけども、そこが間違っていた。
経験が足りないから、自分に対する理解も、コミュニケーションというものに対する理解も全然足りなかったわけだね。結局、いまではコミュニケーションでしか仕事をしていないのに。


僕がラッキーだったのは、その職場に入って2年くらいでしっかり不適応を起こしたことだ。
仕事に行くのが嫌で、その仕事をしているときの自分が嫌いになりそうだった。職場に同じ空気を吸うのも嫌な人が2人くらいできてしまった。だから、場所を変えるということを考えざるを得なかったわけだけど、もしミスマッチ環境で生きていける適応力があったら、もっと恐ろしいことになっていただろうなとおもう。腐りに腐りまくっていたんじゃないかな。

適応力がありすぎることは危険だ、というのは、すごく強調したい。
自分にフィットしていないものに対しても適応しようとし続けると、人間というのは必ず体調が悪くなるようにできている。
でも、それをミスマッチのせいではなく、自分の努力不足だと勘違いして、いろんな症状を黙殺してしまい、傷が深くなる。


だから、僕は「休職」「退職」「転職」の3つはできるだけ早いうちに経験しておいた方がいいよ、という話をしている。


なぜなら、僕らはキャリアのどこかで必ず望まない形での路線変更を強いられるからだ。
想定しているレールは、親の考える「安心路線」だったり、自分の思う「王道路線」だったりするんだろうけど、社会がこれだけえげつない変化を遂げていく中で、ずっとフェアウェイをキープでき続ける人なんてほとんどいないよ。
マリオサーキットかと思いきや、レインボーロードなのだ。柵はない。

それに、自分のキャリア観というのも経験や自分の脳力の変化に応じてどんどん変わっていく。

僕の大好きな組織心理学者でありキャリア理論の大家であるエドガー・シャイン大先生によれば、キャリアには「外的キャリア」と「内的キャリア」の2つの視点がある。


 外的キャリアとは、キャリアの客観的な側面であり、どんな仕事をしているか、その職務の名称や内容・肩書などのことね。
一方、内的キャリアとは、自分がどのように働けば幸福を感じるか、働く上でのモチベーションの源泉は何か、何を大事にしているか、といった主観的な側面であり、端的に言えば「働きがい」「生きがい」「職業人としてのハピネス」のこと。

そして、全ての職業人にとってのキャリア開発の究極の目的は内的キャリアを完成させることにある、とシャイン大先生は看破するのね。


僕は以前にキャリア支援をお仕事にしてたことがあったんだけど、実際に「どういうキャリアを歩んでいいか分からない」と相談してくる人は、この「内的キャリア」をイメージしていないことが多かった。
とくに医師なんて、国家試験から研修医、専門医、指導医、みたいなレールがあるから、履歴書はどんどん立派になっていくのに肝心の内的キャリアがぜんぜんおざなりになりやすい。


「キャリア不安」がある状態というのは、自分が職業人として大事にしているものと現状がミスマッチになっているということだと思うんだよね。で、自分が進みたい方向性と、現実のキャリアとのミスマッチに向き合って、そこから方向転換できる習慣を持っている人の方が最終的に自分に合ったキャリアに結びつきやすい。

この「方向を調整する」という感覚を養っていくことが、キャリア開発に最も重要なことのひとつだと思う。


なのでミスマッチが起きたときに、「いちど立ち止まり(休職)」「合わないことを認め(退職)」「軌道修正する(転職)」という経験は、ものすごくアドバンテージになる。

だって、職業人としてのハピネス(内的キャリア)を追求していくプロセスは、仕事をする限り永遠に続くし、それがキャリアの本質なのだから。


だから、一度で「大当たり」を引かなくていいし、僕もそうだったように「大ハズレ」を引いた経験が、「当たり」の感覚をより強く際立たせることもある。
むしろ、適度に良い「ハズレ」を引かないと、正しい自己理解もすすんでいかないんじゃないかとすら思う。
「なるほど、これは"違う"とわかった」というエジソン方式ね。



ついでに、なんかちょうどいいタイミングで以前のイベントでちょうどキャリアのことについて書いてた記事も出たので、こちらもよかったら。


というわけで、きょうはこの辺にしようかなと思います。またね。


ここから先は

965字

ちょっとゆううつな気分になる日曜の夜に、心をすこしだけラクにするような内容のラジオ番組っぽいマガジンお送りします。 おたより(お悩み)も募…

いつも読んでくれてありがとうございます。 文章を読んでもらって、サポートをいただけることは本当に嬉しいです。