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「こころの休ませかた」について (健全なエゴイズムをそだてる)
盆ボヤージュ!(盆のあいさつ)
お盆だからいまゆっくり休養を取ってるっていうひともいるだろうし、平常営業だよ、というひともいるだろうね。
きょうは、「休む」ことについてがテーマ。
僕が接しているひとの中にも、仕事がどうしてもつらくなってしまって「休職」という選択をとることがある。でも、そのときに「どう休んでいいかわからない」とか「休んでいる時間になにをしたらいいかわからない」っていうひとがけっこう多いんだよね。
あとね、「この休職期間を活かして、資格の勉強をしようとおもいます」とか、「海外旅行に行きがてら、英語を勉強してきます」とか、何かこう「プラスのものを得よう」ってモードのひとがとても多い。
そういうひとには、「それもアリだとおもうんだけど、そういう発想だけで休養期間を過ごすのはちょっともったい無いかもよ」というようにしている。
「休み期間に何をするのがベストか」というのは、なかなか難易度の高い問いだ。きょうも休職期間中の子と、この時間をどう使おうか相談をしていたときに、こんなことを言っていた。
「その空間から実際に離れてみて、はじめてじぶんがものすごく無理をしていたんだなあということに気づきました」
そうなんだよなー、と。
実は、ぼくらが職場などの環境から受けているいろんな刺激の中で、「これがフィットしていない」「これに傷ついている」っていうのを、すべて明確に特定できるわけではない。
せいぜい「あのひとの存在がストレス」とかそのくらいもので、「明確なストレスが全くおもい浮かばない」っていうケースもけっこうある。
でも、身体に備わっている神経系のセンサーは、ぼくらがおもっているよりもかなり優秀で、その環境から発せられるあらゆるシグナルを感知して、そこがじぶんにとって安全かどうかを判断している。
そして、そこがわたしにとって「危険な場所」「不快な場所」だと判断した時に、「なんかしんどい」とか「吐き気がする」とか「よくわからないけどお腹が痛い」といった、拒否反応がちゃんと出るようになっている。
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