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「音楽に政治を持ち込むな」という藁人形論法。
前回に引き続いて、再び川崎大助。ただし、星野源さんの話題からは少し離れる。
この記事の最後のほう。
なぜ日本には「音楽に政治を持ち込むな」という人が、一定数いるのか?
小見出しだけ引用すれば十分なので本文は引用しないが、はたしてそんなことを言ってる人なんて本当にいるの?
このような主張が世に広まりだしたきっかけは、おそらく2016年のフジロックにSEALDsが参加したことに端を発する。
先月辺り、某著名音楽フェスに某政治的団体の若きリーダーが出演する事態に対し、「音楽に政治を持ち込むな」という意見がネット上で散見された。
この発言が話題となって、両論が分かれ議論となり、ネットで暴言も荒れ狂ってたらしい。
だがこれは「音楽に政治を持ち込むな」という、一見もっともらしい、「非常に政治的」な意図を持った言い回しによって起きた結果である。
とのことであるが、「音楽に政治を持ち込むな」というフレーズを、少なくとも批判側が言っているのを私は見た記憶がない。それに近いことを言っている人はおそらくいたと思うが、近いと言っても、言葉足らずなだけで、言いたいことは全然違うんじゃないかと思っている。
だって、「音楽」って言葉、範囲が広すぎん?
例えば、斉藤和義さんが反原発ソングを発表したとき、誰もそんなこと言ってなかったでしょ。だって、あの曲が嫌だなと思ったら、聞かなきゃ良いだけだから。
つまり「音楽に政治を持ち込むな」は藁人形論法なのである。仮に、字面の上ではそれに近いことを言っている人がいたとしても、それを文字通り受け取るのは馬鹿げている。
私は中島さんのコメント欄に、いまさらながらこう書いた(いまさらすぎる・・・)
「音楽に政治を持ち込むな」これは誰も言ってないですよね。「音楽フェスに政治を持ち込むな」だと思います。もっと言うと、これを主張している人たちが持ち込んでほしくない物は、政治ではなく対立だと思います。政治は少なからず対立を呼び起こします。「せっかくお祭りに来てるのに、ケンカの種を持ち込むな」ということを言ってるにすぎないと思います。
政治は対立を呼び起こす。これは、私ごときがいちいち説明しなくても、多くの人は納得してもらえるのではないかと思う。今はどうだか知らないが、かつてタクシーの運転手は、乗客と政治、宗教、野球の話はするな、と言われていたそうだ。この3つに共通するものは、対立である。
なぜ、政治=メンドクサイと見られるかと言うと、政治を理解するのが難しいからというよりも(そういう側面がゼロとは言わない)、むしろそれよりも政治に関与しようとする人が総じて面倒臭いキャラの人ばかりだからである。
特に、昨今の安倍批判側の面倒臭さは尋常じゃない。スガシカオさんや糸井重里さんは、その面倒臭い左翼の被害者の筆頭だろう。
彼らは、そもそも政治的目標を有していない。ただ、対立することが目的なのである。
「音楽に愛国を持ち込むな」
そして彼らは、「音楽に政治を持ち込ませろ」と主張する一方で、同じ口でゆず、RADWIMPS、椎名林檎などを批判してきた。彼らの言葉を借りるなら、さしづめ「音楽に愛国を持ち込むな」と言ったところだろうか。矛盾してるよなあ。
最後に、三沢文也さんの書かれたnoteの反論がとても的確なので、紹介しておきます。