【表現の不自由展】神原元弁護士、久々に正論を吐く
この件、問題の本質は「表現の自由」ではない。戦時性暴力という歴史の真実が右翼の暴力によって踏みにじられたことこそ問題の本質だ。
— 弁護士神原元 (@kambara7) August 4, 2019
「表現の自由」を言うなら、デマやヘイトスピーチにも「表現の自由」を与えなければならなくなる。https://t.co/pQaqdbtk7e #表現の不自由展・その後
神原氏のおっしゃる通り、この問題の本質は「表現の自由」などではない。
私も以前の投稿で指摘したように、主催者側が本当に訴えたいことは「表現の自由」ではなく「反日プロパガンダ」です。
では、なぜ主催者側は「表現の不自由展」などという、おためごかしのお題目を唱えているのでしょうか。それは簡単な話で、彼らは、これらの展示物が反日ヘイトにあたることを自覚しているからです。
反日ヘイトは当然ですが倫理的に問題があります。ですから、倫理という土壌で我々と争うと彼らは圧倒的に分が悪い。なので、「表現の自由」を持ち出すしかないわけです。
では、神原氏はなぜこうもあっさりと「表現の自由」の問題だと認めてしまうのか。それは神原氏の倫理観が狂っていて、彼は反日ヘイトを正義だと思っているからです。ヒトラーがユダヤを排除することを正義だと考えていたのと同じですね。神原氏やヒトラーのような考えの人はいつの時代も一定数いるのです。
あいちトリエンナーレが開催されたとき、在特会が対抗して「あいちトリカエナハーレ」と称する展示会を行いました。これは誰が見ても明らかに非倫理的な展示会です。しかし「表現の自由」を根拠とした論理では、在特会の展示会を否定することができません。ダブスタになっちゃいますからね。
しかし、神原理論なら、ダブスタにはならないのです。なぜなら、反日は正義、反韓国はヘイト、と首尾一貫してますからね。これはダブスタではなく、単に我々と倫理観が異なっているだけですから。
しかし、東京の会場を公表しなかったのは、結局、しなかったのではなく、できなかったのですね。多分、最後まで決まらなかったのでしょう。決まってなければ公表もできない。大阪はすでに発表されてるけど大丈夫なのでしょうか。こちらも中止にならなければ良いですが。
ただ、現行法に於いて、自衛隊車両展への抗議が違法にならないのであれば、表現の不自由展への抗議も違法にできないでしょう。中止は残念ですが、会場が押さえられないというのであれば、自費で土地を購入して美術館を建てるという手もあります。日本は自由の国です。ハードルは少し高いかもしれませんが、頑張って自由を行使してください。