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人の素行 vol.5 - 性善説に頼った結果がコレ - 便利なまま気持ちよくサステナブルシフト、の壁 -

前回「社会的ジレンマの罠」からの続きです。

環境問題、特にゴミ問題の解決法を見い出したくて、考察を続けています。
大量生産の状況を作ったのも、資本主義を開発したのも、人。
一旦「沢山作るから(企業が)わるい」という点を追求しがちなゴミ問題、特に流行りの脱プラ系議論をする前に、
それらを作った人そのものの素行を見直した方が早いんじゃないか。
あるいは、素行を正したくなる仕組みを作ることの方が先なんじゃなかろうか、、生分解性うんぬんに舵を切る前に。
便利な生活至上主義でもなく。
あるいは究極エコ生活をゴリ推しするのでもなく。
中庸の道を、人の根源的な素行を考察することで、見つかったらいーなー、ぐらいの温度感で模索中の吐露です。

大量に作りすぎて、コンビニスーパーに所狭しと置いてあることを、わるいこととせず。
消費者にその便利な生活を供給し続けてくれる企業が資本主義的正義の右肩上がりを維持し続けるその姿勢も、一旦わるいこととはせず。
ただただ、個人の合理性を犠牲にして、全体の利益を損なわせない
= ゴミで自然を汚さず全て自分で処理・制御し切る。

人の素行がそこまで昇華できたとしたら。

そこで初めて
「これだけ制御しているのに、それでもゴミが溢れるのは作りすぎだからだよ」
とようやくここで、大量生産している人を追求するのが、本来の順番じゃなかろうかと。
なぜなら、たとえ大企業が素晴らしいエコな循環型の仕組みを開発しても、
ドジなのび太状態の私たちは、ずっと変わらず個人の合理性ばかりを追い求めてしまいますね。要するにゴミを出し続ける生活習慣に変化が起きない限り、
その『個人にとっての合理性』は、誰かがゴミはなんとかしてくれると盲信し続けてしまうだろうから。

いや、もちろんマザーテレサのように振る舞えってことじゃないですっ

社会的変化が必要な時に、性善説に頼るってことに関しては、私は実はまだ懐疑的。
海にプラスチックゴミがプカプカ浮いている問題を解決するのに、人の素行を直そうとしている風に見えるかもですけど、
直すっていうより、つい直したくなっちゃう仕組みが、気付いたら身の回りにある状況にしれっとなればいいと思っているんですよ。
だから私は、
全員が聖人君子のようになれとは毛頭思っていませんし、不可能だと思いますし、自分自身もマザーテレサには逆立ちしてもなれませんけど。
マスクとトイレットペーパーの素材が同じというデマに惑わされて買い占めちゃう程度の素行ぐらいはなんとかしないとなーって、

私がそんな風に思ったことと。

ドラえもん見てる時ののび太がドジこいたのを見て「またやってるよこいつー」って、思っているほぼほぼの人間の顔こそがのび太になっている、、

、と思ったことが、どうも重なって見えてまして。人間模様とはかくも面白いものですね。


のび太は、ドラえもんが動かなくなったことで、自分で直そうと決心して素行が様変わりしたけど。
果たして、私たちというのび太的ドジ性 = 人間の普遍的な性質 = 素行は、海が汚れたり、山の不法投棄ぐらいじゃ変わらないっぽいので。
ドラえもんが動かなくなるぐらいの事件が必要そうなんですよね。なんでしょうね、それって。

せめて、子どもたちがのび太にならないように、さて我々大人は、なにから始めましょう。。

次回、人の素行 vol.6 ガンディを巡る時代が示した、人の限界


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石井祐介(アマSF小説作家 / 考察家 #印象は事実に勝る / ソーシャルベンチャー代表 / 環境エッセイスト
貴重なお時間を使ってお読み頂きありがとうございました。全て無料で書いています。フォロー、スキ、コメント(賛否どちらも)はすごく励みになります!でわまたふらりとお会いしましょう:)