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人の素行 vol.3 - ドジなのび太みたい(後半)- 便利なまま気持ちよくサステナブルシフト、の壁 -

前半部分に続いて、後半です。

視聴者目線でどんな気分で読んだら分かりやすいかって言いますと。
のび太みたいな、ドジな人って「なんだかなー」と思いつつも面白いよねー、みたいな感じの話です。

じゃあ誰がドジなのかって言うと

大量生産消費であることも、資本主義も、わるくないとしたら。
人の素行はわるい?わるくない?

ゴミ問題とか、環境問題の原因や解決策を考え出した時に。
私たち人間って、大体こんな感じだったりしませんか?

売る側の本音

「儲けられれば、ゴミ問題は後回し」
「ゴミ?それはおれの仕事じゃーねー」

使う側の本音

「とりあえず今の便利な生活が維持できてれば」
「業者さんがうまいことやってくれるでしょ」

全員が、とまでは言いませんけどね。要するに、売る側・使う側の本音に耳を傾けずに、究極の選択を難なくできる人とか、仕組みを作る偉い人たちとかが、色々決め始めても、「ふーん」で終わっちゃうんじゃないかと思ってまして。

人間を(日本を or 人類全体、でもいいけど)一つの存在として見てみた時に、
もう限界が来ているの分かっているのに、便利な生活の維持を止められない。
便利な道具を手に入れてしずかちゃんにいいカッコしいに見せに行く。
その結果、ドラえもんとか周りに迷惑かける。
後で「あの時こうしとけばよかったー」と後悔する。
大体最後に失敗するパターンになるの分かって見ている視聴者の私たち。
、、が見ている

ドジなのび太

みたいだなーと思ってしまったんです。
「あいつはいっつも学習しねーなー」って笑って見ているはずの私たち側が、
いつか後で誰かが困る系の問題を、大体の大多数の人が、
「助けてドラえもーん」ばりに、誰かに何とかしてもらうこと前提で、
永遠に続くはずのない、この大量生産消費ありきの便利な生活(のび太でいったら昼寝したい的な)しているこの状態って、、

笑ってたはずのドジを、自らドジこきながら無自覚なのって、面白いなーと思ってしまったんです。

大量であることはわるくない、の設定を維持したまま考えた場合。
処理しきれない状態なのに、作りまくろうとしているその素行がわるい = のび太っぽい、と思ったというわけです。

ただ、これってクリアするのムズいですよねー

環境問題って人によって捉え方も対策も十人十色だもんだから、
ゴミ減らすのとか、節電するとかって、個々人の性善説に頼らなきゃならなくなる。それって解決させるって手法としてはすごい遠回りな気がしますよねー。

なぜなら、今の日本人の分別意識って、それなりにしっかりしているつもりになっているし。既にある程度、人の善意に頼った仕組みの今で、この状態なわけだし。

便利な生活を下支えしている大量生産・消費には、
処理し切る
という最後の一手が本来不可欠なはずなんですが。
最終処分場が限界を迎えることが分かっている、その後どうしよう、
でも利益上げなきゃだからとりあえず生産量は上げていくつもりなんだけども。
という矛盾を同時に抱えてしまっています。

ドジなのび太とおんなじ素行のまま、ドジなことしているつもりがないわけだから。そこは、なんというか人間らしい面白いとこでもあるけど、
でも次世代の子どもたちは笑えないですよねぇ。

だから、本音は変えられないから、人のドジな素行という性質をうまくレバレッジ効かせた『やりたくなる仕組み』(やらなきゃっ汗じゃなくてね、それだと続かないし広がらないから。のび太だから。)が、
ゴミが溢れてる問題とか、
ラスボス感で思考停止しがちの気候変動とかの解決には、
必要そう。つい使いたくなる道具が。

私たち、のび太だから。

次回、人の素行 vol.4
 社会心理学「社会的ジレンマ」の罠 - 
便利なまま気持ちよくサステナブルシフト、の壁 -

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石井祐介(アマSF小説作家 / 考察家 #印象は事実に勝る / ソーシャルベンチャー代表 / 環境エッセイスト
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