便利さ VS 気持ちよさ その5 - 人間は不完全な存在だから、妥協する -
シリーズ通して伝えたいこと
「過剰に便利さを追求するエコノミー(経済)も、
余剰を許さず不便さを強制するエコロジー(環境配慮)も、
どっちかだけだと疲れるから、うまいこと融合させて中庸を見つけましょうよ。
こんな人たちに読んでもらいたい、とイメージして書いてます。
どんな人は読まなくていいか、も考えてみた。
便利さを排除する必要はない
そう、便利さへの追求は、決して悪いことではない。
持続可能な社会を目指す延長線上から便利さを排除する必要はないと思っています。
過剰な供給を前提にするから、何かが犠牲になる。食べ過ぎるから、太ってしまう。
食べ過ぎずにほどよく食べていれば、体型は維持(持続可能)できる。
、、いやー、分かってても食べちゃうもんだから難しいって話なんですけどね(苦笑)
たまに食べ過ぎてしまう時があったっていいじゃないですか、ニンゲンダモノ。
たまには飲んだ後にラーメン行きたくなる時があったっていいじゃないですか。
その前後にちゃんと節制すれば。
人間は不完全な存在だから、妥協する
人間が問題を解決するには、圧政で押さえつけていてもいずれ滅びることは歴史が何度も何度も証明してくれています。
人間は不完全な存在だから、妥協する。社会の中で生きていれば妥協しないとやってられないことだって沢山あるじゃないですか。
完璧を目指して過剰になるのではなく、不完全である前提の余剰を持ったエコシステムが作れたら、いいですね。
それが難しいんですよね。はい、分かってます。
今の、誰も彼もが外ではマスクを付けている様子を見ていて常日頃思います。自分や家族の命が関わる事態であれば、マスクもリモートワークも"新しい生活様式"はこれだけの短期間で取り入れられます。が、
本当は自らの命に関わることなはずだけど、「"持続可能な生活様式"にしないと、地球資源にも環境にもガタがきちゃってて、これから気候変動で大変だよー」
と分かっちゃいるけど、やめられない"便利な生活様式"。
一旦上がっちゃった生活レベルを落とせないのは、誰でも同じ。
大量生産消費がもたらす便利さは、資源の枯渇や、温室効果ガス排出や、ごみ問題なども考えれば非合理的な状態であることは、多分わかっている人は分かってるはず。
けど超絶持続可能でめっちゃエコで気持ちいい、でも不便だけどね、というだけでは分かっちゃいるけど切り替えられないっていうのも、無視できない人間の側面だと思うんですよ。
「そんなこと言ってられない!」というサステナブルというカタカナ空気感が西欧から吹いてくる風はあるにはあるんだけども、確かにその通りなんだけど、何かが足りない。
妥協を許す余剰。他者の価値観にも耳を傾ける心のゆとり。
ダラけるための妥協を許せというのではなく、サステナブルシフトという過渡期の中に妥協しながらシフトするという余剰ありきでシフトさせてかないと、72億人の行き着く先を合理性一本勝負だけでコントロールしようとするのは、ムリゲーですからね。
妥協はわるくない、変化に必要なスペース。そんな雰囲気でシフト感出せないもんでしょうか。