便利さ vs 気持ち良さ その2 vol.1/5 - サステナブルな社会を阻む壁になってしまっている、気持ちよくない伝え方しちゃう人々 -
シリーズ通して伝えたいこと
「過剰に便利さを追求するエコノミー(経済)も、
余剰を許さず不便さを強制するエコロジー(環境配慮)も、
どっちかだけだと疲れるから、うまいこと融合させて中庸を見つけましょうよ。
こんな人たちに読んでもらいたい、とイメージして書いてます。
もしかしたらあなたの心の声と同じのがあるかも?
便利さ vs 気持ち良さを言い換えてみる
「便利さ vs 気持ち良さ」は
「大量生産/消費/廃棄 vs 持続可能に必要な分だけ生産消費」
ってことですよね、要ゎ。
さらに言い換えると、
「大量生産/消費/廃棄ありきで数十年間生き延びてきた経済圏
vs
持続可能生産消費に変換してもその経済圏を維持・向上できる新しい経済の仕組み」
既に仕上がっている既得権益と、
サステナブル(持続可能)という新しい波との、
せめぎ合いの構図にも見えています。私には。
ただ、この新しい波は「その経済圏を維持・向上できる」印象を与え切れていない、まだ道半ばの、羽化する前の幼虫のような状態。
この波って、どんなメッセージとして受け取れば正解なんでしょうね。
「かつて不便だったものを、技術の力で便利にしました。でもなんやかんや問題あるから、その便利さはもう捨てましょう。」
うーん、抽象的過ぎるから、前回に続きプラスチックごみ問題の例で例えると、
「外で水分とるのに水筒とか、豆腐屋さんに買いに行くのに鍋もって行くとかを、ペットボトルとかパックを使い捨てできるようなの作って衛生面も低コスト化もバッチリ。でも積もり積もってごみ問題になっちゃったから、やっぱ無しにして、水筒と鍋に戻ろう」
ご覧の通り、相当極端な例えに見えますが。
これがまた、環境問題なんてものを仕事で扱っていると、割とこれに近しい主張”だけ"で発信している人って、実はいるとこにはいます。
(うまく便利さも織り交ぜている賢い人も、ちゃんといるとこにはいる。)
別にその論理が間違っていると言いたいわけではないんです。
伝え方はそれじゃない方が、もっとちゃんと伝わると思うんですよねー、とは言いたいかも。
「これが絶対正義!」って伝え方は、味方以上に敵をつくってしまう。
正義の反対側は悪じゃなくて、もう1つの正義。
『正しい考え方』に相対するのは『間違った考え方』じゃなくて、『別の正しい考え方』。
羽化しそうな幼虫がどんな風に育つかは、
白か黒しかない。
正解は1つだけ。
うーん、その未来はなんかつまんなそー。どんなに一瞬気持ちの良いものなんだとしても。続かなそう。持続可能に聞こえない。
様々な可能性とパターンがあった方が、面白そうに感じるのが人情ってもんですよね。
次回、便利さ vs 気持ち良さ その2 vol.2/5
- 極端か当たり前か、は視点による -
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