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映画感想③:グラディエーター2 英雄を呼ぶ声
作る必要のない続編だったと思う。
1作目のグラディエーターは、忠義や誠実さ、誇りがテーマだった。主人公であるグラディエーターは物語の最後で、義を全うし、主や家族のための復讐を果たす。汚いやり方で権力を求め、虚栄を張ることしかできない、偽りの王を打ち倒すことにより、家族たちの死に報いるとともに、亡くなった王の弔いをもし、それによって自らの誇りを回復する。どんな立場になろうとも、決して朽ちることない心、英雄の精神を描いた映画だった。
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今作は大きく二つの物語からなっている。ひとつが「王の帰還の物語」だ。指輪物語のアラゴルンと同じように(そしてほかにも無数に存在する、色々な物語内の王と同じように)、主人公は典型的な貴種流離譚の「貴種」であり、生まれた国を離れ、流れ者(?)となっていた彼が、最終的に「人を導くもの」、「他者の希望」であるところの自らの役割を自覚し、受け入れていくという物語である。いかにもギリシャ悲劇的な「父(らしき存在)との対立→赦し」「母との和解」といった流れが、ストーリーに盛り込まれている。
もう一つの大きな物語が、デンゼル・ワシントン演じる男のもたらす「革命の物語」だ。かつてローマ帝国の奴隷だった彼は、帝国を維持している制度(システム)は、他者の犠牲=弱者の隷属・搾取によって成り立っていることを、自らの身でよく知っている。それがために(しかもその制度は現代の多くの国家と同じように、完膚なきまでに腐敗している)、内側からそれを破壊せんと画策する…という「復讐」の物語である。
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ふたつの物語にはどちらも穴らしい穴はないのだが、全体としてあまりいい物語だとは感じなかった。とにかく演技も含めて、ポール・マスカル演じる主人公の2代目グラディエーターより、デンゼル・ワシントン演じる男のほうがはるかに魅力的であり、最終的にポール・マスカルがデンゼル・ワシントンを打ち倒すという結末に、カタルシスをあまり感じられなかったというのが大きい。前作と比べ、リドリー・スコット映画特有の影がはっきりしたビジュアルの美しさもあまり感じられなかった。画的なこだわりが全体にあまり感じられず、その中でほとんど唯一視覚的に楽しいと感じられるシーンも、デンゼル・ワシントンが王の首を切り落とすゴアシーンだったりするのでやはり惜しい。ふたつのしっかりしたストーリーがあるにもかかわらず、全体的に、演出・物語ともにどこか焦点の合わない、ぼやけた印象になってしまっている気がするのは、上のようなことが理由だと思う。
あとCGはやはりよくないと思った。予算の都合などもあると思うが、特に水のシーンは本当にしょぼかった。前作では、倒れたチャリオットにボンベが見えたり、コロシアムで観客の持つペットボトルが映っていたりと、「映画のウソ」がミームのようになっている映画としても有名だが、そんなシーンもこんな風に撮った映画では生まれない。CGは悪。