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情報を遮断する

もし、自分の耳が、FMラジオのアンテナのように、遠くの音でも聞くことができるようになっていたらどうなるだろうか。

集中すれば、遠くで話している人たちの声が聞こえるのだ。

知っている人の会話や、知らない人の会話、本来知ることができないような情報、知りたくもない情報も入ってくるし、友人の噂話も聞こえてくるだろう。

その中には、自分への批判や悪口もあるかもしれない。

もちろん、聞いて良かったこともあるかもしれないけど、それ以上に知らなければ穏やかに過ごせたことというのは多いと思う。

もし、全てを聞くことができたとしても、心はそれに耐えられずに壊れてしまうだろう。

これが耳ではなく、目だったらどうなるか。

やはり同じことだ。

見えて良かったこと以上に、見なければ良かったことが出てくると思う。

今の時代は、高性能な耳や目が無くても、あらゆる情報が手に入るようになった。

SNS等の普及に伴って、情報発信は「マスコミ」と呼ばれる一部の人たちの特権ではなくなり、誰でも簡単にできるようになったからだ。

今は、テレビを付けても、ニュースを見ても、SNSを見ても、そこにあるのはコロナウイルスに関することばかり。

しかも、どこで感染者が出たとか、何人の感染者が出たとか、ここがクラスターだったとか、こんな研究結果があるとか、こんな批判をしている人がいるとか、情報のほとんどは必要のないことばかりだ。

もっと言うと、正しい情報なのか、ただの噂なのか、推論なのか、デマなのかも分からない情報が飛び交っている。

いや、そんな情報でも必要だと言う人もいるかもしれない。

しかし、それを知ったところで、私たちができることは、「手を洗う」、「三密を避ける」、「咳エチケット」くらいしかない。

それなのに、私たちはその溢れる情報を得ることによって「不安」や「恐怖」を抱くことになる。

日本の市場から、マスクが消えたのも、トイレットペーパーが消えたのも、スーパーで食料品が消えそうになっているのも、その情報から生み出された「不安」と「恐怖」が根底にあると思う。

そして、「不安」と「恐怖」は、いろんなところで「パニック」を引き起こしている。

マスクをして走るとか、バフをして走るとか、普通に考えたら不審者以外の何者でもないのだが、それが普通に思えてしまうのも、パニックの影響だろう。

これは絶対におかしい。
冷静な判断ができなくなっているのだ。

そして、パニックを助長する情報操作も怖い。

例えば「ロックダウン」という言葉だって、すごくインパクトが強い。

どうして、そんな言葉を使うのかと思ってしまう。

実際に、コロナウィルスに感染するよりも、偏った情報によってもたらされた「不安」と「恐怖」によるストレスの方が、私たちの寿命を縮めているのではないだろうか。

もちろん、過度のストレスを抱えた方が免疫力も低下するので、コロナウイルスにも感染しやすくなる。

こうなってくると、「知らぬが仏」という言葉もあるように、アンテナの感度を下げることだって必要なのかもしれない。

テレビは偏った情報が多いし、SNSは正しい情報かデマなのかが掴めない。

いっそのこと、精神を守るためにも、情報を遮断した方が穏やかに過ごせるのかもしれない。

どんなに、情報が飛び交うようになっても、アンテナが敏感になっても、私たちの精神は、縄文時代からほとんど変わっていないのだから。

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牛山純一
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