市民ランナーって何だろう
「市民ランナー」という言葉がある。
実業団等に所属したり、専門的な指導を受けたりせずに、趣味でマラソンや駅伝などを楽しむランナーのことを指す言葉だ。
最近は、実業団ランナーにも匹敵する強い市民ランナーが増えてきていると思う。
実業団ランナーが市民ランナーに勝っても当たり前だと思われる一方で、市民ランナーが実業団ランナーに勝つと賞賛される現状を見ても、世間一般から見た市民ランナーというのは実業団ランナーに比べて弱者的な存在なのだろう。
モータースポーツに例えると、NSXがシビックに勝っても当たり前と思われるのに対して、シビックがNSXに勝つとスゴイと評価されるのと同じようなものだ。
しかし、実業団ランナーに匹敵する市民ランナーというのは本当にすごいのだろうか?
強い市民ランナーが賞賛される理由は、フルタイムで働いていていながらも、実業団ランナーに匹敵するパフォーマンスを発揮するからだろう。
時間的にも制約のある中で結果を出すことは、たしかにスゴイことだと思う。
ただ、市民ランナーの全てがフルタイム勤務とは限らない。
1日あたり4,5時間労働のパートタイマーもいれば、専業主婦だっているし、不労所得だけで生活している人だっているかもしれない。
逆に、実業団ランナーでもフルタイム勤務の人はいるので、市民ランナーが実業団ランナーに比べて時間的な制約が大きいとは一概には言えない。
また、「専門的な指導を受けていない中で結果を出す」という点についても疑問が残る。
実業団には監督・コーチがいたり、専属の管理栄養士がいたり、あらゆる分野で適切な指導を受けることができるというイメージがある。
では、市民ランナーはどうなのかと言うと、専門的な指導を受けずに自己流で走っている人ももちろんいると思うが、コーチをつけて活動している人だっているし、お金を払ってグループに所属して指導を受けている人だっている。
そもそも、学生時代に本格的に競技をしてきたランナーなら、学生時代の経験やノウハウをそのまま生かすことができるだろうし、箱根駅伝を走った経験のあるようなランナーともなれば、専門的なトレーニングをしていないわけがない。
もっとも、実業団に匹敵するくらいの強い市民ランナーというのは、間違いなく専門的なトレーニングを積んでいると思っていいだろう。
結局のところ、突き詰めていけば市民ランナーも実業団ランナーと同じようなトレーニングを積んでいるのだ。
そうやって考えれば、市民ランナーと実業団ランナーとの差なんてほとんどないようなものだ。
そもそも、「市民ランナー」って何だろうか?
そんな想いから「市民ランナー」の定義を考えてみたのだが、結局よく分からなかった。
国語辞典界のキングと言われる広辞苑で「市民ランナー」を引いても、その記載はなく、誰が作った言葉なのか、定義もはっきりしていない言葉だった。
それゆえに、限りなく実業団ランナーに近いような人でも、市民ランナーであることを強く主張してくることもある。
それは、打算的に考えて市民ランナーというカテゴリーの中にいれば、同じ結果を残しても賞賛される確率が上がるからだろう。
しかし、こんな言葉に縛られていても、何も始まらない。
マラソンはスタートしてしまえば、実業団ランナーも市民ランナーも関係ない無差別級の戦いだからだ。
もっと言うと、生まれ持った才能や身体能力、環境、経済力、価値観だってみんな違うし、世の中と言うのは決して平等ではない。
資本主義社会においては、スタートラインから違うということは当然のことであり、「不平等」、「弱者」ということを言い訳にしたところで、何も変わることなんてない。
結局、私たちはどんな状況であれ、トレーニングできる環境に恵まれていようが恵まれていなかろうが、才能があろうが無かろうが、裕福な家に生まれようが貧しい家に生まれようが、それを言い訳にすることはできないのだ。
スヌーピーの言葉に、次のような言葉がある。
「配られたカードで勝負するしかないのさ、それがどういう意味であれ。」
意外と自分がどんなカードを持っているかというのは、把握できていないものだ。
自分のカードを把握できていないと、他の人が持っているカードに意識がいってしまい、他人が持っているカードが自分の手札に無いと、自分が恵まれていないように思ってしまう。
でも、そうじゃない。
もし、手札にブルーアイズホワイトドラゴンのカードを持っていなくても、ブラックマジシャンのカードがあるかもしれない。
一番大切なことは、持っているカードを最大限に生かすことであって、他の人が持っているカードを羨ましがることではない。
限られたカードの中に、運命を切り開いていける何かを、自分なりに見つけることができるようになりたいと思う。
どんなカードなのかは分からないが、走ることを職業とするランナーが持っていないカードを切り札にできるかどうかが重要なカギになるだろう。
最後に、私は走ることを職業にせずに、趣味として走ることができて良かったと思っている。
なぜなら、走ることは人間の生き方を教えてくれるものだから。
そこが一番面白いことだと思っている。
走ることを職業のためだけに考えるとつまらないし、もったいないと思う。
そして、それが現在の自分のスタイルの最大のメリットだと言いたい。
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