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走りは「芸術」の領域

ここにきて、いろんなシューズメーカーから、様々なシューズがリリースされてきた。

従来のレース用シューズとは異なる、強い反発力、推進力を持ったシューズが次々に登場してきているように思う。

長野県の長距離界のレジェンドも、ミズノ製のシューズの反発の凄さを伝えている。

振り返ってみると、今年の箱根駅伝では、ほとんどの選手がナイキの厚底シューズを履いていた。その割合は、全体の85%にも及ぶと言う。

3月の東京マラソンを見ても、上位のランナーはほとんどナイキの厚底シューズだった。
もちろん、上位のランナーだけではない。私の周りの人も、ナイキの厚底シューズを履いている人が多かった。

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そんな状況を踏まえても、ここまではナイキの独り勝ちモードと言っても過言ではなかったと思う。

しかし、各メーカーも、それでいいと思っているはずがない。当然、ナイキに対抗できるシューズを作ってくるはずである。

でも、たまに思うことがある。

「ナイキでいいじゃん」って。

これだけ実績が証明されている中で、他のメーカーから新しいシューズが出てきたとしても、ナイキの厚底シューズと同等の性能ならば、ナイキを選べばいいと思うのだ。

しかも、アルファフライや、ヴェイパーフライNEXT%の完成度は相当高い。

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よっぽど、ナイキの厚底シューズと相性が悪いランナーか、メーカーの契約選手でもない限りは、スペック未知数の新作品よりも、既に使い慣れていて挙動の読めるナイキの厚底シューズの方がリスクも少ないと思う。

それにもかかわらず、私たちはナイキ以外のシューズを履いてみたくなってしまうのだ。

その根底にあるのは、
「他の人と同じシューズでは面白くない」という気持ちだと思う。

マラソンに限らず、長距離競技というのは、誰と誰が戦っているのかが曖昧なところがある。

マラソンにおいては、優勝を目指している人もいれば、8位に入りたい人もいるし、自己ベストを狙って走る人もいれば、サブ3を目指して走る人もいるし、完走を目出している人もいれば、スタートすることが目標の人もいる。

少なくとも、完走を目指す人と、優勝を目指す人は競っていないはずだ。

これが、野球やサッカー、相撲、ボクシングの場合は、相手が明確にあるものなので、そんなことはない。

そういう意味では、長距離種目(走ること)と言うのは、「スポーツ」というジャンルを飛び越えて、「カルチャー」の分野に属しているのではないかと思うことがある。

いわゆる、「書道」とか「華道」とか「盆栽」のようなジャンルに近いのではないかと思う。

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遠くから眺めて楽しむような、
つまり、「芸術」の世界である。

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「走ること」によって「表現」すると言うのだろうか。

そう考えると、「走ること」を豊かにしようと思ったら、少しでも「他者との違い」が必要になってくる。

競技としての「速さ」にしても、「他の人には無い」ものに繋がってくる。

「速く走る」というのは、「唯一」を目指すという意味では、究極の「他者との違い」の追求だと思う。

全体のナンバーワンでなくても、あるカテゴリーにおいては「唯一」であることもある。

また、トップランナーというのは、多かれ少なかれ変わった人が多い。
それは、それぞれが異なる「クレイジー」を持っているということでもあるのだが、その「クレイジー」を、いかに美しく表現するか、どうやって世の中に認めてもらえるように表現するかだと思う。

ランナーが「速さ」を求める理由は、そんなところにあるのかもしれない。

ここに10人のアーティストが集まって、みんなで花を描いたとする。

どんな絵を描いてもいい。

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それなのに、そこに集まった人が全員、同じバラの花を、同じ色で、同じようなタッチで描いたとしたら、面白いだろうか。

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きっと、つまらないと思う。

赤いバラを描く人、青いバラを描く人、枯れそうなバラを描く人、ゴテゴテに描く人、サラッと描く人がいるからこそ、それぞれに違いがあって、世界が面白くなっているのだと思う。

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「違う」ということは、「面白い」ということ。

だから、10人のランナーが集まって、みんなで同じシューズを履いて走っても、面白くないのだ。

「芸術」とは、果てしなく「違い」を追求していくもの。

ならば、ランナーは人と違うことに取り組んで、違うものを着て、違うシューズを履いて走りたいと思うのは、当然のことだ。

世の中にはいろんな人がいて、1か月に1,500kmの距離を走ってしまう人もいれば、裸足で走っている人もいるし、20kgの米俵担いで走る人もいれば、ビールを飲みながら走る人もいる。

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他にも、マラソン大会では仮装して走るランナーがたくさんいる。

どうして、そんなことやるのかと疑問に思う人もいるかもしれないが、それも「アート」だと言われれば、不思議ではない。

何かスタンダードの外側に「越えていこう」として、いろんな方法で「表現」をしているのだ。

だから、誰も履きこなすことができないシューズを履きこなすことや、他人と違うシューズで勝つことに「面白さ」があってもいいと思う。

他人が見て驚くようなことをやってみたい。
それは、ランナーというより、アーティストの発想だと思う。

走りは「芸術」の領域。

誰かが目標を達成したときに、見ている人も一緒になって喜べるのも、そんなところからくるのかもしれない。

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