「半沢直樹」の頭取のような上司が現場を混乱させる
相変わらず、ドラマ半沢直樹が面白い。しかし、北大路欽也さんが演じる中野渡頭取に違和感を覚えるのはぼくだけだろうか。主人公の半沢(堺雅人)や、ヒールの大和田(香川照之)についての話題が多いけれど、ここではあえて頭取について言及しておきたい。
というのも、この人の動きが解せないのだ。(もちろん劇中の頭取の話をしているのであって、北大路欽也さんの演技は最高だ。)
不思議な頭取の動き
そもそも、伝説の7年前のシーズン1の最終回では、銀行のために尽くした半沢を頭取室に呼び出して頭取が発した「出向を命ずる」という一言で終わっていた。これについては、出向は降格の一種であり「頑張った半沢がなぜ評価されないのか」と話題になった。当時から頭取の動きは謎であった。
今回の放送が始まると、やっぱり半沢は出向先で仕事をしていた。そして、そこから頑張って銀行本体に戻ってくるのだが、その銀行本体に戻す時に、頭取がやっと半沢を褒めるシーンがある。でも、それ以外はほとんど感情を表さず、頑張っている半沢の姿は見えていないかのように、気難しい顔をしながら役員を睨みつけているだけである。応援しているのかしていないのか全くわからない。なんなら試しているようにも見える。
衝撃的なのは、頭取の目の前で、部下である取締役や半沢たちが裏切りや不正の証拠を突き付けあい、言い争って、泣いて、時には土下座さえしているような状況の中で、頭取はその事象が見えていないかのように、静かに中空を睨んでいるのである(こんな銀行が本当にあったらとっくにTwitterで炎上していると思うけど)。
勧善懲悪の世界
考えてみれば、歌舞伎役者も多く出演し「勧善懲悪の世界観」と言われる半沢直樹にあって、頭取は半沢の仲間でもなければ、悪役でもない、唯一立ち位置がわからない役どころになっているように思う。
作者は意識してそのようにしているのかもしれないし、何を考えているのか、敵か味方かわからず寡黙であるからこそ、時々は発する一言が重要になっているのだと思う。といっても、これまで頭取が示してくれた方針は2つくらい。
「顧客第一主義」(半沢の出向先の子会社が銀行と対峙したとき)
「不正は隠してはならない」(金融庁検査の対応)
この2つは、もちろん大切なことなのだが、当たり前のことである。こんな当たり前のことを役員に言わないといけないような状態の銀行は正直今の時代には厳しいのではないだろうか。
確かに、昭和や平成の一桁台の頃は、トップはこうやって静かに座って、たまに重要な方針を示していればよかったのだと思う。
それを、中間管理職が忖度して、末端の部下にまで伝えることで会社は成り立っていた。はっきりとした言葉で伝わらないので、間違っていることもしばしばあって、それは人事という形で年に1度くらい現れて、それを見て「ああ、あの人のやり方は正しかったんだ」と社の方針が決まっていく。そんな時代だったのではないかと思う。
でも今は違う。
トップに必要な資質
情報が瞬時に世界中を駆け巡り、各産業の変化のスピードもかつての数倍となる中で、中野渡頭取の発信力では、全く伝わらない。今の時代、中間管理職が、頭取の表情を見ながら「右かな左かな」と迷って、部下全員もそれにぶらさがってまさに字の如く右往左往している暇はないのだ。
だからトップはもっと広く、明確に全職員とビジョンを共有する必要があるのだ。
そんな中で、中野渡頭取は時代遅れである。そして、あえて苦言を言わせて貰えば、そのような情報発信だから、東京中央銀行は大和田のような悪い人が取締役をしている組織になってしまったのではないだろうか。
しかし、もちろんこれはドラマである。
だから、悪い人はできるだけ悪く、何を考えているのかわからない人はできるだけ分かりにくいほど見ていてワクワクドキドキしていて楽しい。だから中野渡頭取には、このまま曖昧な感じでいて欲しいと思う。
そもそも、シーンにはないが、中野渡頭取も行員向けのメールマガジンなどで、ビジョンを共有しているのかもしれない。でなければ、あれほど部下から尊敬される頭取になることなんてできないはずだ。
なんにしても、間違いなくドラマ半沢直樹の中で、中野渡頭取の「曖昧さ」は見所の一つである。
でも、もしこんなトップがいたら、ぼくはその会社では働きたくないと思うけど。
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