お化粧を「ハレとケと化学実験」から考える
男性は誰もが、ある時、女性が毎朝「化学実験」をしていることを知る。大体は大学生くらいになって、初めて彼女ができた頃ではないだろうか。
そう、鏡の前に色とりどりの薬品を並べて、それを調合しながらお肌に馴染ませていくのだ。時にはカタカナの金属製の機器を使うこともある。
1. 化粧の大変さの衝撃
大袈裟だろうか。ぼくは初めて女性の化粧道具を見たとき「今から化学実験が始まるのか」と本気で思った。
そして「こんな大変なことを毎日しているのか」と感心したものである。
2. 日本の状況
実際、世界の他の国々と比べて「日本の女性はしっかりお化粧をしている」、むしろ「しないといけないという暗黙の空気があるんではないか」という記事を読んだことがある。
もし、あの「化学実験」をやりたくないのにさせられているのであれば、ぼくはすぐにやめさせてあげたいと思うし、みなさん、すっぴんでも十分美しいと思う。
もちろん人によって考え方は違うのだろう。ぼくの妻はお化粧を結構楽しんでいるようだ。(新しい化粧品の購入明細を見るぼくは楽しくないのだけど。)
話を戻すと、諸外国の人があまりお化粧をしていないのに、日本人がマナーのようにお化粧を求められるようになったのはなぜなのだろう。
3. 「ハレとケ」との関係
一つの仮説を考えた。
もともと日本には「ハレ」と「ケ」という考え方がある。ハレ=晴れの日は、お祭りや結婚式など、非日常でありお洒落をする日。ケ=毎日の生活、日常。この二つを分けていたことで、日本人は日々の暮らしに良い意味のメリハリを持つことができていたようだ。
だとしたら、お化粧というのは、もともとこの「ハレ」の日にするべきものだったものが、いつのまにか「ケ」に侵食してきたのかもしれない。
考えてみると、昔、女性は社会進出を許されていなかった。そんな中で、近所以外の公の場所、電車で出かけたり、都会などに行くことは、きっと特別で「ハレ」だったのではないだろうか。だから、お化粧をして出かけていた。
ところが、女性の社会進出が進んで、公の場に出かけるのが当たり前になる中で、「ハレ」が「ケ」に変わっていったのに、それに気づかず、そのままお化粧だけ「ハレ」として続けてしまっているのかもしれない。
これからますます女性が活躍していくことになる令和の時代に、これではいけないと思う。
4. 「ケ」のお化粧はいらない
お化粧を自己表現の一つとして続けたい人は、もちろんこれからもどんどんしたら良いと思うけど、お化粧をしたくない人は日常(ケ)は不要とする文化を形成していくべきだ。
仕事だけでも大変なのに、他にもたくさんの「用事」を強いられていることが多い現代の女性たちに、これ以上望まない「科学実験」をさせる必要なんてない。
日本に古来からある「ハレ」と「ケ」の考え方を取り入れて、お化粧は、自分が一番輝く晴れやかな日にだけしてもらえば良い。