京都人が毎年「立木山」に登る理由
京都から車で小一時間ほどの滋賀県大津市の山間に、立木山(たちきさん)という山がある。
標高305mの山で、山腹に立木観音というお寺があって、空海がこのお寺を開いたのが42歳の厄年であったことから「厄除けの寺」として有名である。
京都人はなんにでも「さん」をつける。「たちきさん」の「さん」も本来「山」なのだけど、なんとなく「立木さん」と擬人化しているような雰囲気はある。富士山と似たようなものである。
そしてこのお寺、山腹にあるだけあって、車で入れる道からお寺までは、約800段の階段があり、50階建てのビルに登るのと同じくらいの労力がかかるのだが、多くの京都人は厄年にこの立木観音を参拝をしている。
ただ、厄年にとは言っても、後厄と前厄もあって、夫婦で考えると女性の厄年と男性の厄年が違い、年齢も違ったりして、なんだかんだで、30代になってからほぼ毎年のように行く必要があって、実際、毎年行くようにしている人も多いようだ。
ぼくは元々京都人ではないので、奥さんに言われて仕方なく行っていたのだけど、30代前半から行き始めて、後半に差し掛かった頃に、なぜ京都人が毎年立木山に登るのかわかった気がした。
そう思ったのは34歳くらいの時。毎年と同じように山を登っていたのだけど、その年は、突然息が上がるようになったのだ。
それまでは、汗はかくし、多少息は荒くなるものの「はぁはぁ、ぜいぜい」というほどではなかった。でも、その年は、そしてその年以降は、そんな状態になってしまった。
やはり、歳をとるとゆっくりと体力が落ちていくのだと思う。でも、毎日暮らしている中で、支障がない限りは気づかない。気づかなければ、どんどん弱っていってしまって、気づいた時には怪我をしたり、事故にあったりするかもしれない。
でも、立木山に毎年登っていれば、それがわかるのだ。
「去年までは息が上がらなかったのに」、「休憩しなかったのに」という具合に、自分がどれくらい体力が落ちているのか理解できるのである。
だから、立木山は、おそらくお寺としての「厄除け」の効力ももちろんあると思うけど、それに加えて、自分の健康のベンチマークとして、毎年京都人が通っているのだと思う。
そして、ぼくは立木山にほぼ毎年通ってきたおかげで、大きな病気もせず、今年も無事参拝を終えることができたのだと思う。
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