はずかしいかもしれない|愛犬と過ごすなかでのひとりごと【エッセイ】
まだ、わんこを迎え入れる前のはなし。
「ちょっと旅行してくる」とのことで、上司といっしょに暮らしているわんこのお世話を任された。上司とわたしの家は電車で何駅かしか離れていないため、今度の食事代を条件に、首を縦にふった。
「しょうがないですね」
そう言いながらも、わんこと何度か会っていたため、また遊べると思うと内心うれしかった。
旅行日当日、夜ご飯どきに、教えてもらった上司の宅へ。わんこと住めるマンションなだけあり、扉越しに耳を立てても部屋の様子はわからない。ガチャンと扉をあけると、うれしそうにぴょんぴょん跳ねながら歓迎してくれた。
しばらくしてケージから出すと、家じゅうをせわしなく走り回りだした。クンクンとあたりを嗅いだり、おもちゃを噛んだり、ときにはわたしの元へ思いきり飛びこんで顔をしきりに舐めたりした。からだを撫でると気持ちよさそうに体重を預けてくれるものの、それはほんの一瞬。すぐにまた部屋中をいっしょうけんめいに走り回りだした。部屋がはちゃめちゃになっていくが、私の部屋ではないからいいか、とのんびり見つめていた。
そろそろごはんを…と思いキッチンへ向かうと、わんこの動きがピタッと止まった。ごはんをもらえると察知したのか、目を輝かせながらわたしの一挙動一挙動をじいっと見つめくる。
すこしプレッシャーを感じながら冷蔵庫を開けると、タッパーに何食分かのごはんが。にんじんやきゃべつなどの野菜を細かくして煮たものだった。野菜の、あまいにおいが鼻をかすめた。上司から伝えられていた通り、お玉で適量を掬ってお皿に盛った。ずいぶんとおなかがすいていたのか、ごはんを目の前に置くと、もちゃもちゃと勢いよく食べだした。
ピカピカに舐められたお皿を片づけていると…そうだ、と思い出した。お世話と言えば、トイレだ。おしっこは、わたしが家についてしばらくしてから1度していた。あとは、うんちだ。ごはんも食べた後だからすぐに出るだろうと思い、ケージに入れた。
まもなくして、予想通りトイレシートのうえでクルクルしだした。「おっ」と、つい声を出して、わんこの様子を凝視する体制になる。クルクルが止まると、背中を丸くして、ついにうんちの姿勢になった。その様子を見ていると…不意にわんこがこちらをチラッと見てきた。まるではずかしがっているかのような表情で。
そこで、ふと思った。もしかしたら、わんこはうんちやおしっこをしている姿を見られると、はずかしいのかもしれない。
わたしたち人も、排便シーンを見られたいなんて、そうそう思わない。ただ、わんこは生まれたときからうんちを人前でしているし、生理的な現象だし、見られることにはじらいを感じないだろうと勝手に思い込んでいた。けれど、私たちと同じように「感じる気持ち」がある生きものなのだから、「はずかしい」と思わないとも言い切れない。
コロコロした元気なうんちを回収しながら、「もしわんこと暮らす日が来たら、ばれないように目の端っこあたりで見るようにしよう」と心に誓った夜だった。
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