小説 お化け屋敷で迷子
お化け屋敷で迷子になって仕方なくそこで暮らしていた。
「困ってるの?」ってお化けが聞いてくれる。うん。困ってるんだ。出口がわかんなくなっちゃって。でもいまさら別に出なくたっていいかな、という気もしているよ。
「どうして?」
外へ出ても、だれもわたしのことを必要とはしていないしね。わたしがいなくても仕事は進むし、そりゃ困ることは困るだろうけど、でもすっごく困るってほどじゃない。だれかがわたしのポジションに収まって、それでおしまいさ。
「ふうん。きみはお化けみたいなやつなんだね」とお化け。そうかもしれない。きっとそうなのだろう。生まれて初めて合点がいった。
それからお化けと一緒になってやってくる人を脅かすことにした。ジャンプスケアじゃなくて不気味さで怖がらせられるようになるにはコツがいる。ゾンビのお化けからはゾンビみたいな歩き方を教えてもらう。ここにいればどんな歩き方も許された。
「板についてきたね」とお化け。うん。わたしはもっと早くからこうすればよかったのかもしれない。お化けになって誰にも見えなくなってしまうこと。お化け屋敷の中にずっといることを選んでおけば。
お化け屋敷が看板になると、お化けたちと一緒に雑魚寝をした。合宿みたいで嬉しかった。お化けたちの幽かに光る眼や人魂の灯りでボードゲームをした。人生ゲームでは何回やり直してもお化けの会社に就職した。
「お化け」なんて職業はあったっけ?
「あるよ。ぼくたちの人生ゲームでは、お化けになることがいっとう上等というルールなんだ」
それもそうだ。それ以外にないのだ。お化け以外の選択肢なんて。
わたしは何回もお化けになった。油すましに、船幽霊に、フランケンシュタインのモンスターに。
けれどもある日、お化け屋敷がなくなることになった。
「もともと夏季限定の出し物だったからね」とお化け。
「ここは閉館して、建物は解体するのさ」
そんな。わたしはほかに行くところはないんだ。どうにかここへ置いてもらうことはできないかな?
お化けは気の毒そうに肩をすくめる。
「すぐにユンボがやってきて、お化け屋敷は解体される。だからきみはここからでていくといいよ」
あなたたちは?
「ぼくたちはお化けだもの。お化け屋敷の中でしか生きられない。お化け屋敷がなくなっちまったら、陽の光にあたって朝露みたいに蒸発するしかないさ」
わたしだって!
「でも、きみは違うんだ」
お化けに背中を押されていく。いやだ! わたしだっておんなじだ。わたしだってみんなと一緒なんだ。明るいところは歩けないんだ。月のない夜しか安心できないんだよ。
陽の当たるところを歩いたって、息がくるしくなるばかりなのに。
どんっ、と飛び出した先は工事現場だ。眩しい太陽が、洞窟の生き物の退化した目を打つようにわたしを打った。
現場監督の人が驚いた。
「まだ中に居たんですか」
わたしはなんにも答えられない。口をぱくぱくさせることしかできない。太陽は、わたしの循環器に苦しい。
「危ないですよ、ここは解体するんです。早く出てください」
お化け屋敷の中へ戻ろうとするわたしを、現場監督は腕を取って抑えた。戻してください。帰してください。わたしの居られるところ、わたしの帰れるところに。
「もう入らないでくださいね」
そう言って、わたしはお化け屋敷から追放されて、二度と戻ることはかなわなかった。
アパートに戻る。ずっとお化け屋敷にいたような気がしたのに、数えてみると三日しか経っていない。くしゃくしゃのベッドの上にくずおれる。遮光カーテン越しの薄明かりの下、わたしはぴくりとも動けなくなる。
お化けたちに会いたい。お化けたちと人生ゲームをしたい。人を脅かして、ジャンプスケアじゃない怖がらせ方でみんなの居心地を悪くしたい。あそこならそれができたのに。
そうだ、とわたしは明かりを消すことを思いついた。明かりを消せば、ここはお化け屋敷になる。お化けたちがそこにいるようになる。そうじゃないだろうか? わたしは部屋の明かりを消した。真っ暗だ。この目に見えない深淵の向こうに、わたしのお化けたちがいるはずなんだ。でも。
ひそひそ声はしなかった。誰かの悲鳴も聞こえなかった。不気味な足音も、油の差していない蝶番の軋みも、狼の遠吠えも、なにもなかった。
吸血鬼はいない。一つ目小僧はいない。ミイラ男も、一反もめんも。天狗に小豆とぎにウィル・オー・ウィスプも。だれも。ここにはいなかった。
目をつむれば、瞼の裏にお化けたちが見える気がしたのに。なにも見えない。お化けたちは見えない。どこにもいない。
気の違ってしまいそうな、午前十時の明かりしか、ここにはなくて。