君の声は最後まで聞こえる 1.

 正確に言うと繰り返しが始まった瞬間のことを私はよく憶えていなくて、気がついたら時間の繰り返しの中にいた。だからそれまでにどのくらいの回数、私たちが時間を繰り返していたのかは、自分にも分からない。
 十回だろうか? 百回だろうか? もしかすると千回、いやさらにもしかすると、一万回も繰り返しているのかもしれない。何しろ気がつくまでは気がついていなかったからだ。夢を見ている間には夢を見ていると気がつけないように、繰り返していると気がつくまでの間は、自分が何回も同じ時間を繰り返していると気がつけなかったのだ。
 気が付いたのは、今日、八月三十一日日曜日、午後十一時五十九分のこと(繰り返しているのだから、いまがいつかというようなことは、厳密に言えば無意味だけれども)。
 今日は私たち高校二年生の最後の夏休みで、来年は受験が始まってしまって、こんなふうにのんきに過ごすことのできる可能性のある最後の夏休みだったから、ふと、私は友達である平河(ひらかわ)きよに、「夏休みの最後の夜だから、これから朝までとは言わないけれども、一瞬だけでもなんか夏休みの夜みたいなことをしよう」、って言おうとして、彼女の家の前まで歩いて行くところだった。きよの家は私の家のすぐ近所にあったから、徒歩でも充分着ける距離だったのだ。
 家を出たのが午後十一時四十五分ぐらい、それから十分ぐらい歩いて、スマホを取り出してちらっと時間を見たのが午後十一時五十九分。きよの家の前に着いて、私が彼女に電話を掛けようとしたその時、ふと、頭痛のような、腹痛のような、何かしらの身体の違和感がよぎって、なんだこの感じ? と思いながら、猫よけの超音波発生装置でも近くにあるのかな? と思いながら、周囲を見まわした。
 それが何かというと言いづらいのだけれども、一番近いのは自分が高速で回るような乗り物に乗ってぐるぐる振り回されているという感覚が一番近いと思う。コーヒーカップを回しすぎてしまったときの、景色が延々と視界の周辺へ向かって回り続けていってしまう感覚。耳の中の三半規管が、自分の体がぐるぐる回っているということを私に伝えようとしてきて、その感覚の揺れや波が急にきて、立っていられないくらい全身にいきわたってしまう。
 最初、地震が起きているのじゃないかと思って、とっさに辺りを見まわして倒れてきそうなものがないだろうかと思って、あっ、ブロック塀があるから少し離れなきゃと思って距離を取って、それからスマホで“地震”で検索を掛けて地震速報を見て、どこが震源か確かめようと思った。
 けれどもネットで検索しても地震速報は流れていなくて、あれ、今のは錯覚だったのかなと思うけれども、でも気持ち悪くなるような回転の感覚は揺れの感覚に似ていたから、じゃあ今のはなんだったんだろうなあと思い、疲れているのかなって思いながらスマホのホーム画面をぼんやり見つめていると、違和感に気がついた。
 スマホは午前零時ちょうどを示している。それはいい。さっき時間を見たときは午後十一時でそろそろ日付が変わりそうだったから、それは当然午前零時になっていなければおかしいのだけれども、でもそういうことじゃない。
 時刻の下に表示されている日付の文字列を見て何か強烈な違和感を感じて、何だろうと思ってじっと目をこらしてみる。
 八月二十五日月曜日、午前零時一分。八月二十五日、月曜日。
 それが、スマホの画面に表示されていた。
 はじめ、うん? と思い、なんだろう、と思い、設定間違えたかな、って思い、スマホにおける日付とか時刻の設定ってなんだよ、と思い、そんなのネットと接続してるから自動だろうが、と思い、故障かな? 太陽フレアとかそんなのか? と思い、首をもう十五度ぐらいかしげる気持ちになって、あれ、って思い続けた。
 それとも、記憶違いだっただろうか? 今日は日曜日で、夏休み最後の週で、明日からまた学校へ行かなくちゃいけない日じゃなかったっけ? 私が最初から全部勘違いしていたんだっけ? 一週間分、カレンダーを間違えて覚えていただけだったっけ? と思った。
 頭が混乱して、一瞬、さっきのぐるぐる回る感覚と、自分の中の違和感とかが結びついて、ああやばい、とうとう頭がおかしくなっちゃったんだ、っていう不安が浮かんで、いやいやいや、そんなわけないでしょ、自覚症状、なかったでしょ、って頭の中で自分で自分につっこみを入れる。
 スマホの画面を見る。八月二十五日月曜日。八月二十五日月曜日。何度見てもその表示は変わっていなくて、私が一瞬期待した、これは一時的な故障で、今は時間差でネットのちゃんとした時刻と調整をしたから、九月一日に表示が戻っていた、などということもない。いつまで画面を見つめていてもなんの変哲もなくて、表示されているのは確かに八月二十五日月曜日、のままだった。
「なにこれ」
 夜の蝉がみんみんと鳴いていた。近くの木に止まっている蝉の声がやたらとうるさく耳にこだましている。LEDの強烈な閃光が私の影を真っ黒なアスファルトの上に長くタールみたいに延ばしている。首都圏ではあるけれども郊外の私たちの住んでいるN市はその日も熱帯夜で、夜になっても気温は三十度を下回らない。私は背中に汗をかいていた。その汗が冷たく、つーっとお尻の方へ落ちていく。
 スマホを握り直し、そうだ、誰かに聞こうと思って、平河きよにメッセージを送ろうとする。何かの間違いであって欲しいって思いながら、私の思い違いであって欲しいって思いながら、いっそのこと、むしろ、私の病気であって欲しいって思いながら(いや、日時の取り違えをするような病気は、かなり重篤な脳の病気じゃないのという気もするけれども、本当に時間が巻き戻っているなんていう事実に直面するよりはずっとましだ)。
 何かの間違いであってくれ。
『きよ、今って、何月何日?』
 スマホでメッセージを送る。一分もしないうちに、きよからはすぐに返事が返ってきて、それは猫が何かの餌を食べている絵文字のついたメッセージで、いつもの通りのきよの調子で、
『八月二十四、じゃなかった! 二十五。最後の一週間じゃ』
と返ってくる。
(嘘言うなよきよ。おい)
 私は手が震える。なんて言ったらいいのか、なんて返信したらいいのか分からない。きよに私が頭がおかしくなったって思われるのはいやだけれども、でもどうすればこの事態を理解してもらえるのかが分からない。
 もう一度きよにメッセージを送る。『今、時間、巻き戻らなかった?』って、この文章を打つだけでも、背中にいやな汗をだらだらと書いてしまう。この文章を送るだけでも、何か、自分で書いた反省文を自分で読み上げさせられているような、そんな居心地の悪さを感じる。
 きよは、理解力をすぐ発揮してくれて、こう返信してくれた。
『おっ未来から来た依ちゃんだ。戻ってきたの? どれくらい未来から?』
『今って九月一日じゃない?』
『おっ、ってことはだよ、依ちゃんは夏休み最後の一週間、繰り返してんじゃん、やったじゃん』
 きよは気づいていないのだ。おそらく、そうだ。あたりまえだ。
 震える手で、『やっぱりかー、戻ってたかー』なんて冗談めかしたメッセージをきよに送りながら、スマホの画面から目を離す。
 すぐ、別の人たちにもメッセージを送ろうと思いたつ。きよだけじゃだめだ。他の人たちにも確認しないと、他の人たちさえ今が九月一日だと認めてくれさえすれば、私はまだなんとか正気を保っていられるはずだった。
 尋ねる。今って何日? 今って何月何日? 今って九月一日じゃない? さっき何か、地震起こらなかった?
 それに対して、返信はこうだった。
『八月二十五日』『八月二十五日零時十分』『八月二十五日』『地震? なかったよー疲れてる?』
 誰も知らない。
 誰も、時間が繰り返したことに気が付いていなかった。
 私は自分の口の内側の肉を噛みながら、どいうことだろうと考えている。
 一番分かりいいのは、私の認識が間違っていると考えることだ。
 実は今日(日付が変わった直後なのでややこしいが、日付が変わる前、午後十一時五十九分まで)はもともと八月二十四日で、そうであるならば、二十四日の次が二十五日になることは何の問題もない。私は、何らかの理由で――たとえばそうだ、夏休みが終わるのがいやでいやで、とか――この一週間、今週が八月最終週だと思い込んでいて、そしてその都度、今週は八月最終週だ、と自分に言い聞かせてきてしまった。そしてその認識の誤りが、今日になってやっと修正されたのだ、と。
 でもそんなことってありうるのだろうか? 一週間ものあいだ、日付を間違え続けるなどということが? たとえば外部と完全に隔絶しているような缶詰状態の漫画家が、今日が何日かもわかんないような生活を送っているのであるならばともかく(いや、漫画家は締め切りがあるだろうから、むしろ日付には敏感か?)、少なくとも週の何日かは外へ出て、週の何日かは人と話しているような生活を送っていた人間が、そんな間違いを犯すだろうか。
 だから、よりよい仮説、よりスマートな仮説は、あまり考えたくはないが、さっきも思ったように、私が病気になったのではないか、ということだ。みんなが間違っていて、自分だけが正しいと思っているような状態、これは認知症に似ている。これまで自覚症状は一切なかったのだけれども、やはり私は病気になっていて、今日の混乱はそのことが原因で、病気になっていたから日付を取り違えていたか、あるいは病気になっていたから時間が戻ったように感じてしまったのではないか。
 とはいえ、それでもやっぱり、その仮説を挙げてみたところで、完全には納得できない。
 仮に病気だとしても、病気であるという自覚症状がこれまで一切感じられなかったというのは、いささか荒唐無稽であるような気がする。本当に病気になったのだったら、周りの人達とのやりとりの中で、いろんな種類の違和感を感じて、そしてその結果、私自身が私自身に疑いを抱くというようなことが、これまでにだって何回も起こってこなくてはつじつまが合わないのではないだろうか。
 答えは、出ない。おそらく今この場では、答えを出すことはできないだろう。
 私は腕を組みながら、暑さのためだけではなくだらだら流れる汗を感じながら、口をへの字に結んだ。
 とりあえず今は、検証してみるしかない。“病気になったのかも仮説”は、これからの数日間で、他の人たちとのやりとりの中で検証をしてみるしかないのだ。仮に私が変な行動をしたら、きっと、私自身に“変なことをしている”という自覚は無くとも、周囲の人達のリアクションがなにか違和感のあるものになるはずだ。私が突拍子も無いことを言ったり、突拍子も無い認識をしたことに対して、彼らはきっとそのことを口には出さずとも、何かしらの違和感として態度に表明するはずなのだ。
 今のところは、その程度しか分からない。不安をぐっとこらえながら、とりあえず、きよの家には行かないことに決めた。
 少し風が吹いてくる。この町は海が近いから、夜風の中に潮の匂いを感じ、私はそれをお腹の中まで吸い込んで大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせる。駅から続く人通りのある通りまで出て、その人たちがいつもの調子で歩いたりしゃべったりスマホをいじったりしているところを見て、ああいつも通りだって安心する。いや、いつも通りだから安心できないのだけれども、でもそばに赤の他人でもいいから人がいるっていうことに安心する。
 コンビニへ寄って、アイスを買って――きよと二人で食べようと思って、財布を持ってきたんだったけれども、もうきよと二人では食べられなくなってしまったから、かなり残念な気持ちで二個、買い――コンビニの前で包装を破いて、ゴミ箱にゴミを放り込んで食べる。急いで食べて、もう一個包装を破いて、そっちもゴミ箱に放り込んで、食べる。
 アイスは冷たい。夜風は蒸し暑い。自分の感覚が前と変わっていないことを認識する。
 大丈夫。大丈夫。何にも変わってない。
 私は何にも変わってないよ。


 それから数日の間、私はどちらかといえば引きこもり体質の人間だったのだけれども、自分から積極的に人を誘って、積極的に人と会って話をすることにした。
 まだ夏休みなのだから同級生と接触することは容易で、私はきよを誘い、また同じく友達の串良良子(くしらりょうこ)を誘って遊んだりした。
 あんまり近所に娯楽のない街だから、私たちが夏にお金を掛けないですることと言ったらスーパーでかき氷を買って海の見える近所の公園で食べるぐらいしかない。女子高生なのにそんなことしかすることがないってことがあるのか?(あるのだ)。このくそ暑いのに近所の公園まで出かけていって、私たちはかき氷を食べることぐらいしかできないが、私はそのことがそんなに嫌いではない。
 水平線を見れば沖の方には船やヨットの影に混じって陽炎らしい揺らめいた陸地の影みたいなものも見えていて、きよが、「あれって蜃気楼かなあ」ってちょっと頭の悪そうな舌っ足らずの声で言う(私はきよがちょっと頭の悪そうな感じで言う声が好きだけれども、きよは実際のところあまり頭が悪くはなくむしろかなり頭のいい部類に入る)。良子が、「蜃気楼って魚津でしか見えないのよ」って言う。私は魚津じゃなくても見えるんじゃないとは思って「魚津じゃなくても見えるでしょ」と言い、良子が「えぇ?」と抗議の発言をし、「そうかなぁ」と言いながらスマホで検索をして、「ああ見えることは見えるのねぇ」と言う。
 二人に合わせてかき氷を買ったけれども、あんまり食べる気にはなれなくて、青と白の縞模様のストローで氷の山を突き崩してばかりいる。赤い色のシロップが氷を溶かしてぼたぼたと氷の中に落ち込んで穴が空いていくところをじっと見る。蝉が鳴いていて潮騒が聞こえていて、海の生臭い臭いがたまに風に乗ってやってくる。さくさく、さくさくと私はかき氷の氷を崩してばかりいる。
 良子が私をじっと見て、「かき氷、食べないの」っていう。「食べたかったら食べてもいいよ」って私は言う。「ダイエットしてんの?」って良子は言う(良子は、ちょっと太っている)。私は「ダイエットしてないよ」って言う。きよは「私食べてあげようか」っていう。ちょっと悩み、きよにかき氷の入ったコップを渡す。
 良子が私をじっと見ている。「暑いね」って私は良子に言う。良子は「暑いね」って言う。暑い。本当に暑い。公園に設置されている東屋の影だから直射日光は入ってこないけど、こんな暑い日に、別にむりして外へ出ることなんかないのに、私たちは行くところがないからこんなところにいる。
 良子はどうして私をじっと見ているんだろう。この間思ったことが、さっそく現実になったんじゃないかっていう考えが浮かんで私は不安になってしまう。私がもう変なことをしていて、それできよや良子たちが不審に思って私のことを見ているんじゃないかっていう不安。どきどきして、きよに渡すときに一緒に渡さなかった青と白のストローを、指の間で挟んでぶんぶんとペン回しのように振ってしまう。
 遠くを乳母車を押したお母さんが影絵のようになって歩いて行くのを私たちはなんとなく見ている。「子供欲しい?」ってきよがたぶん何にも考えずに聞いてくる。良子と私は首を振る。きよは笑って、「よかった、私も」って言う。そうなんだ。私はそうだけれども、きよもそうなんだって思う。乳母車を押したお母さんは静かに、音も立てずにいなくなる。午後六時。まだまだ表は明るくて、きよは夕日が水平線に落ちるところを見ていこうよって言い出すけれども、日没は何時だろうと思って、私は良子と顔を見合わせて、「あちーよぉ」と言う。
 言いながら、良子がまた私を見ていることに私は気がついてしまう。どうしてそんなに見るんだ、って私は良子に言おうとして、でもそれを言ってしまって、もし本当に私が変な行動をしていて、でもそれに自分で気がついていないのだという事実に直面してしまったらものすごく恐ろしいから、どう、という言葉だけが喉の奥で止まって、それ以上言葉にはできなかった。
 つばを飲み込む。喉が渇いて、きよにあげたかき氷を本当は全部食べてしまえばよかったのに、って思いながらきよの方を見たら、きよはもうあげたかき氷を全部食べてしまっている。ちくしょう。きよは甘いものをいくら食べたって太らない女の子で、私はきよのことを心底うらやましいと思っている。
「夕日がさあ、水平線に沈むところをさあ、見ていこうよぉ」ってきよは強弁する。私たちは暑いから見たくなくて、「そんなの毎日沈んでるだろが」ってきよに言う。良子もきよに、「毎日沈んでるよきよ」、って言う。「いいじゃんよお」ときよは言う。
「私たちの、今日、高校二年生の夏休みの最後の週のこの夕日は、もう永遠に見られないんだよ。たとえこの一週間が繰り返しても、もう永遠に見られないんだ。だから貴重なんだよ、二人とも、わかんないなあ」
 “一週間が繰り返しても”というところで、私はどきっとしてしまう。きよはもしかして、何か知っているのだろうか、と思ったところで、そういえば、時間が巻き戻ったまさにその瞬間にきよにそんな内容のメッセージを送ったんだった、と思い出し、ああ、きよはそのことを繰り返してるだけか、って思う。
「重要なのはいまだけなのさ。依ちゃん、クシラ(きよは良子のことを“クシラ”って言う。本当はそんなイントネーションではないんだけれども、きよはたぶん“ゴジラ”みたいな感じで呼んでいるのだ)。今を生きれないやつに、明日を語る資格はないのさ。そして私はその資格を得ようとしている。二人にも、得させてあげようというのさ」
「いらないよ」
「いらない」
「二人とも、おいきみら」
 きよが笑いながらふてくされる。私は釣られて笑う。
 良子がかき氷をつつきながらぼそっと言う。
「でも私、一週間が繰り返したら、いやだな」
「夏休み最後の週だったらいいじゃない」
 きよが言う。どうだろうと思う。夏休みだったら繰り返してもいいだろうかと思う。確かにそれも一興ではないかとも思えるけれども。
「スキーいきたいじゃん」
「スキーかー、スキーなー」
「きよは滑れないからでしょ」
「滑れるよお」
「滑れないよきよは」
 私も茶々を入れる。今この瞬間が楽しくないなどということは絶対にない、と心から思う。確かにきよの言うとおり、夏休みがいつまでも繰り返すのだったら、もしかしたら繰り返したっていいと思えるのかもしれない。
 この二人の友達とまたここで沈む夕日を見られたら、それはそれでいいのかもしれない、と思った。
 それから、なんだかんだで私たちはきよに強要されて沈む夕日を見るまでその場に残ることになってしまう。太陽は不気味なほど大きく、みかんのようにオレンジ色をしている。それは永遠そのもののようにゆっくりと水平線に沈んでいく。“永遠そのもの”なんてご大層に考えるけれども、でも私の考える永遠そのものなんて他愛のないものばかりだ。たとえばそれは、削りたての鉛筆のなめらかな面を見ているときや、きらきらするシールのきらきらする光が目の中に反射しているとき、休日の朝にお父さんの入れたコーヒーポットの中のコーヒーの黒い色に蛍光灯が反射しているのを見るとき、夜に出会ったおとなしい近所の野良猫の目の中の光、きよに外で近づいたときにだけやっと分かる程度の少し羊羹色の髪の毛、そんな、永遠そのものではなさそうなものに、私はよく、永遠そのものを感じてしまう。
 今この瞬間を閉じ込めてしまおうとする何者か、そんな者が、もし本当にいたとすれば、そいつが夏休みの最後の一週間を繰り返しているのだろうか。何か大切な、いま私が考えたような、取るに足らないようなものだけれども、でもその中に永遠そのものの面影を見ることができるような、大切な何かを守るために、最後の一週間を繰り返し続けているのだろうか。
 それが誰なのか、そんな者が本当にいるのか、私には分からないけれども。
 夕日は沈んだ。私たちは家路につき、そして一週間がまた、終わろうとしていた。


 私は結局、この一週間で、自分がおかしくなっているという証拠を見つけることはできなかった。私は前と変わらない、時間の繰り返しに遭遇する前とおんなじ私のまま、少なくとも、自分で感じている部分だけは、私は私のままだった。
 八月三十一日日曜日。夕暮れの風が吹き、熱風の吹き込む自分の部屋の中で、私は膝を抱えながら考える。
 お父さんと、お母さんと、私と、三人暮らしのマンションの一室で、私は何回も、自分が何か別のものに変わってしまったのではないかとおびえていた。自分がおかしくなったのではないかと考え、検証しようと思うこの一週間のいろんな試みはつらかったけれども、しかし少なくとも、私自身から見て。それから家族や友達のリアクションから見て、私が変わったとは言えなかった。
 だから、もしかしたら、何にも変わったりなんかしてはいないのかもしれない。
 希望に満ちて、そんなことを考える。あれは単に、一回こっきりの勘違いで、単に一週間、日めくりカレンダーをめくるのを、連続で忘れ続けていたというだけの、間抜けなオチがつくような話なのかもしれない。
 先週、私は確かにそのカレンダーを一枚一枚破っていった。それは確かな記憶であるけれども、もしかするとそれは、嘘の記憶だったのかもしれない。
 朝起きて、パジャマを脱いで、それから日めくりカレンダーを破る。毎朝のおんなじ行動の中で、そのカレンダーを破る動きは、たとえば、目覚まし時計のスヌーズ機能を止める手の動きとほとんど同じくらい、記憶にとどまらないくらい習慣化されてしまっているはずなのだ。
 だから、カレンダーを破ることをうっかり忘れていたというのは、べつだん不思議なことではない、ありえそうな話なのだ。私は何回、目覚ましのスヌーズ機能を消すのを忘れて、歯を磨いている最中に鳴り出した目覚まし時計を、戻って消すというのを繰り返してきただろうか?
 記憶なんてじつに怪しいものだ。単に何もかも間違えているだけなのかもしれない。何かの拍子で、自分の時間感覚を一週間、まるまるずらしてしまっていただけなのかもしれない。それだけなのかもしれないのだ。
 そう、私に言い聞かせる。
 それに――きよも言っていたではないか――夏休みが一週間伸びて、いったい、誰が文句を言うというのだろう?
 私はすべてを肯定的に考えることにした。
 何にも起こりはしなかったんだ。

 夜になる。八月三十一日日曜日。午後十一時四十分。
 私は今日の夜をどう過ごそうかというのをずっと前から考えていて、どう過ごしたら“正解”なのか、あるいはどう過ごしたら時間の繰り返しの中から逃れられるのか(それは、私が間違った時間の過ごし方をしてしまったせいで、時間の繰り返しに陥る羽目になってしまったのだ、という、どこかゲームじみた思考のためだけれども、もちろんそれが強迫的な思い込みに過ぎないと言うことは分かっている)ということを迷っていた。けれども結局、私は“一週間前”と同じ行動をしようと思い立った。
 つまり、きよの家に向かい、きよの家の前から、きよに「夏休みの最後の一日を、楽しくすごそうよ」という連絡をしようと思っていた。
 何かが起こるとしたらこの日だ。この日に時間は一週間前に戻り、私は自分がおかしくなったのじゃないかという疑心暗鬼に一週間ものあいだ苦しむことになった。私は同じ行動をし、あのときの時間をなぞりながら、今度こそ正しい時間軸に戻らなければいけないのじゃないかと思っていた。違う行動を取ってしまうことはかえって、時間の袋小路の中に囚われてしまうのではないかと思っていた。
 何にも起こらないはずだった。何も起こらないはずなのだ、と私は自分自身に言い聞かす。一週間前の私の混乱は、単なる勘違い、日めくりカレンダーのめくり忘れ、高校二年の夏休み、何者でもない、モラトリアムを堪能する若者の中に流れる、ある種の絶望と未来に対する不安が生み出した、ちょっとした錯覚、九月一日になればきよと一緒にジョークの種にできるだけの、他愛のない笑い話だ。
 時間は流れるはずなのだ。同じ時間に二回も遭遇するなんて、そんなことがこの宇宙で起こっていいはずはない。
 だから私はリラックスしてその時を迎えようとした。正確にはリラックスしてその時を迎えているようなふりをしていた。なんにも起こらないよ。なんにも起こらない。大丈夫、大丈夫。
 私は着の身着のままで家を出てきよの家に向かった。生温かい風が吹いてくる。電気自動車がロボットのような音を立てながら横を通り過ぎる。蝉が鳴いて、植栽の中で虫が鳴いている。
 昼間に食べたそうめんのつるつるとした食感をなぜか思い出す。一週間前は、そうめんじゃなかったなって思う。思いながら、おんなじ時間を繰り返しているわけじゃないんだな、と思う。もし本当に時間が繰り返しているのだとしたら、私は一週間前だってそうめんを食べていなくちゃいけなかったはず。ドラえもんのタイムマシンで一週間前に戻ったら、私はやっぱり、今日の昼は、一週間前に食べたものと同じもの(何だったかは忘れたけど)を食べていないといけないはずなのだ。だから別に、同じ時間を繰り返しているわけではないのだ。
 そうだ。だから何もかも、錯覚なのに違いない。
 きよの家の前に来る。きよの家はアパートの三階で、水色に塗られた外壁は夜に見ると茶色に見えた。私はスマホを取り出し、時間を確認する。八月三十一日、午後十一時五十九分。私はごくりとつばを飲み込む。
 「何にも起こらない」と声に出して自分に言い聞かせる。声に出して言わないと恐ろしかったからだ。何にも起こらないと、聞き分けの悪い子供に言い聞かせるように言い続けなければならなかった。
 その時だ。
 どこかで、波の音みたいな、虫の声みたいな音がし始める。どこから聞こえてるんだろう、と思い、自分の体の中で鳴ってるんじゃないだろうか、と思う。耳をふさぐ。けれども、その音は消えない耳鳴りのようにいつまでも鳴り続ける。どうしてこんな音がするんだろうと思う。そして、どこかで聞いたことのあるような音だな、と思う。
 空を見上げた。雲があって、夏の夜の雲はお化けのようで怖いなと思ったけれども、その雲が渦を巻いているのが見えて、なんだろう、あれ、と思う。たとえるならそれは、何も入れていない洗濯機の中の水が渦を巻いているみたいで、雲がぐるぐると層をなして夜空に白く広がっている。台風でも竜巻でもないのにあんなふうに雲が渦巻くような自然現象ってあるのだろうか?
 頭がくらくらする。止めて欲しいって思う。こんなのはみんな夢だったってだれかに言って欲しい。目をつむって目を開けたら、私はベッドの上で目を覚まして欲しいって思いながら、目をつむる。でも変わらない。空には雲が渦巻いていて、頭の中からは耳鳴りが止まらない。
 あの時とおんなじだ。
 私はスマホを見る。スマホの日時が八月三十一日十一時五十九分五十五秒を指している。私は願うようにスマホを握りしめる。しゃがみながら、食い入るようにその表示を見つめている。目が乾き、頭がちりちりする。背中から汗がどっと吹き出てきてシャツを濡らしている。お願い、戻らないで、とほとんど口に出して言っている。
 五十六、五十七、五十八、お願い、戻らないで――五十九――

 一瞬、気を失っていたような気がして、はっと気がつく。スマホの表示を見る。スマホは、八月二十五日午前零時ちょうど、を示している。
 私は、力なくうなだれて、しゃがみ込んだまま、体の力が抜けていくのを感じる。
 頭がおかしくなったのではなかった。思い違いをしていたのではなかった。おかしくなっていたのは、時間の方だったのだ。
 それまでは、汚れたら嫌だなと思ってしゃがんだままでいたのだけれども、なんだかもうどうでもよくなって、アスファルトにお尻をつけて座ってしまう。昼間の熱がまだ残ったアスファルトは冷たくない。ジャージ越しにアスファルトのでこぼこがお尻に当たって痛いけれども、でもいまはそれどころじゃない。
 スマホを握り、震える指でアプリを開いて、きよに今が何日か、何月何日何時何分かを、もう一度尋ねようと思った。
『きよ、今って、何月何日?』
『依ちゃん、なんか先週も聞いてなかった?』
 きよが一分もしないうちに返してくる。まだ起きてるんだなって思う。そういえば、先週もすぐ返してくれたっけな、と思う。そしてそういえば先週も、おんなじメッセージを送ったな、って思い出す。
 スマホが震えて、きよがメッセージを返してくる。『今日は八月二十五日だよ。依ちゃん、そんなに宿題が終わっていないのだ?』
 スマホを掴んでいることができなくなるくらい、手に力が入らなくなって、ポケットにスマホをしまった。きよに返事を出すこともできずに、しばらく口を開けたままぼけっとしていて、いろんな考えることがあるのだけれども、何にも考えられなくなる。
 怖くて、目から涙がぽろぽろ出てくる。どうしちゃったんだろう。何が起こっているんだろう。
 もう間違いない。先週も間違いではなかったのだ。私は繰り返している。どういうわけか、夏休みの最後の一週間を、この間から繰り返してしまっているのだ。
 私はどうすればいいのだろうか。
 夏休みがいつまでも続くことを喜ぶべきなのか? それとも悲しむべきなのか? 気づいていないみんなに対して、時間は繰り返しているんだよって大声で叫んで回るべきなのか? 国のしかるべき研究機関に、時間の流れがおかしくなっているから調査をしてくださいってお願いに上がるべきなのか?(そんなことしたら私の頭を調べられて終わりだろう。だってみんな、時間の流れがおかしいことに気がついていないのだ)。
 ぼんやりしたまま立ち上がるけれどもふらふらしている。頭をがつんと打たれて、頭だけ遠くまで飛んでいってしまったような気がする。もう二度と、何にも考えずに毎日を過ごしていた日々には戻れないような、そんな感覚に襲われて、私は立っていられなくなる。私はどこにいるんだろう。どこに向かっているんだろう。ここは私が慣れ親しんでいた、これまで住んでいた世界なんだろうか?
 そのときだ。
 パンッ、という、風船を割ったような音が後ろから聞こえてきた。振り返ると、何か白いものが道路の真ん中にあって、頭をつぶされたミミズがめちゃくちゃにもがいているような感じで右に左に動いていた。
 最初、タヌキでも車に轢かれたのかと思った。でも違った。長い手足がじたばたしている。白いと見えたのは、着ている洋服が白いシャツだからだ。
 人間だった。
 苦しいのだろう。悲鳴とも、うめき声ともつかないものが、その人の口から出てきて、怖気が走ってとっさに耳をふさいだ。聞きたくない、と反射的に思う。
 飛び降りたんだ。たぶん、近くのマンションから。私は耳をふさいだまま、どうしたらいいか分からなくなってへたり込む。この場所から一刻も早く逃げ出したいのに、いろんなことが重なって、そうするだけの元気も出てこなかった。
 その人の動きが徐々にゆっくりになる。振り回していた両手両足の動きが収まってきて、その人が力なく頭を地面に下ろしてしまう。その顔を、見たくないのに私は見てしまう。
 良子。
 目が開く。その目が私を見る。私も良子を見る。良子。串良良子だ。私の友達の、きよの友達の、この間、おととい、話したばかりの、女の子。
「りょ」
 私は突き動かされて良子のそばへ行く。もう助からない、と私の中で冷静な私が声を上げる。でもそういうことじゃない。行かないといけない。良子に話しかけないといけないって思う。
 人びとが集まってきて、救急車だ、警察だ、と話している。私はその人たちの間を縫って、良子のそばに行って声を掛ける。
「良子」
 良子がこっちを見る。でも顔が腫れて目は開けづらそうだった。街灯の白い明かりが良子の顔に飛び散った血の飛沫を偽物のように真っ赤に見せている。それはまるでみんなハロウィン用の特殊メイクだと言わんばかりの赤い色だ。何もかも現実離れしていて、今、目の前で本当に苦しんでいるのが良子だということを、いつまでも現実のこととして受け取められない。
「依子」
「どう、良子、どう」
 何を言っても場違いになる。
 私は結局、良子が自殺を考えて、そして本当に自殺してしまうほど困っていたのに、気づけなかったほどの間抜けな友達なのだ、と思う。私は大事な親友の悩み事に気づけなかった。そんな私に、たとえば、(どうしてこんなことしたの)なんてことを、聞く資格はないって思ってしまう。
 だから、どうして? とも聞けない。何があったの? とも聞けない。良子の手を取ろうとするけれども、でも、血が飛び散った良子の体には怖くて触ることもできない。自分がみっともなく思えてくるくらい、弱虫だ。
「依子、こんなこと、信じてはもらえないと思うんだけどさ」
 そのとき、良子は言った。もうすぐ死んでしまう人間だとは思えないくらい、はっきりとした口調で、言った。
「私たちね、同じ一週間を繰り返してるんだよ」


 思い出す。
 それはいつのことだったか。
 この二週間のことではないだろう。あるいはずっと昔の、思い出せないくらい昔の話かもしれない。でもその日も夏だったような気がするから、もしかするともう繰り返しの中にいたのかもしれない。今にして思えば、私は繰り返しに気がついたのは先週だったけれども、それよりもずっと前から、時間を繰り返していた、ということも、ありうるのだ。
 私たち。私、きよ、良子は、喫茶店で話していた。
「夏、暑いね」とか、「私、夏の生まれだから平気」とか、「冬の生まれは寒さに強いのかよ」とか、「春の生まれは防御力ゼロじゃん」とか、そんな、他愛のない話をしていたはずだった。
 私はアイスティーを、きよはミルクティーを、良子はカフェラテを頼んでいた。良子は最近コーヒーが飲めるようになったのだと言っていた。私はいまだにコーヒーが飲めなかった。きよもコーヒーは飲めなかった。でも、きよが飲めないのは、カフェインがきよのお腹と合わないせいなので、私はそのことを(かわいいな)って思っていた。本人からすれば、きっと切実なんだろうけれども。
「冬、冬に行きたいな」
 良子はぽつりと言った。その言い方が、単なる雑談の言い方という感じじゃなかったから、私はきっと何か話題のきっかけにしたいんだと思って、その言葉を拾ってつないだ。
「冬に行こうよ」
 良子はうなずく。
「冬の概念ってこと?」
 違うよ、と良子は言い、どこか私でない、寂しそうなところを見るような目をしながら、
「でも私たちって、永遠に冬にはいけないんだよ」と言った。
 それは半ば冗談ぽく、でも、つきあいの浅い人が見たら冗談だとは分かんないような表情で、真剣に、カフェラテの入ったカップを持ち上げながら、化粧禁止のはずなのに少し化粧をしてる唇から、そんなことを言った。
「私たちって、ずっと夏を繰り返してるんだよ」
「それってどういう」
「クシラは井上さんと別れちゃったからでしょ」
「えっ別れたの?」
「関係ないでしょう今、その話題」
「なんで別れたの」
「夏をずっと繰り返してるんだよ、私たち」
 良子は誤魔化すように言う。
「でもさ、それって、夏休みを無限に楽しめるってことじゃない?」
ときよは言う。
「もしそんなんだったらさ、いいじゃない、勉強しなくて済むし、私、夏休みを永遠に繰り返すんだったら、いいかな」
「私、飽きたよ、夏」
 良子は笑っていう。
「もう飽きちゃったよ。冬に行きたい。私、冬の生まれだから」
「クシラ、落ち込んでる?」
「ううん」
 違和感を覚えたのを覚えている。良子の言うことがなにか切実な話題のように聞こえるからだ。
 たとえばそれは、良子の両親が別れるとか別れないとか、良子の弟がぐれているだとかぐれていないだとか、そんなことを言う時の、一種の気まずさとおんなじような感じだったからだ。
 良子。夏休みだから髪の毛をインナーカラーでグレーを入れて、首の辺りまでのボブにしている。太ってきたのを隠すためだと私には言っている。そんな良子が言う。
「冬になったら三人でスノボ行こう。白馬の」
「私スノボしたことないよ」
 私はある。
「いいね、良子あるんだスノボ」
「ない」
「ないの」
「でもしたかったんだ、一度」
「いいじゃない」
「きよは滑れないでしょ」
「滑れるよお」
 だから三人でスノボに行こうと良子は言う。そうだね、悪くない。悪くないよって思った。
 平日の午後の、駅から離れているから、サラリーマンもほとんど来ない、近所の奥さん連中だけがたまにくるような、流行っていない喫茶店のけだるい光の中で、私たちはいつまでも、永遠に時間が続いているかのようにいつまでも、だべっていた。


 思い出す。そうだ。確かに良子は言っていた。繰り返しているって。
 どうして忘れていたんだろう。
 そして良子はそのことを、きっと信じてはもらえないだろうと思って、だから今まで、誰にも本気では言わなかったのだ。
 後悔する。今になってはもう遅いけれども、でも、それでも、もっとできたことがあるんじゃないかって後悔しながら、良子のそばに近づいた。
「信じるよ良子」
「依子」
「ほんと、だって、繰り返したのって、さっきでしょう。五分前」
「うん」
「気づいたの、先週だから」
 どうしてもっと早く、良子に相談しなかったんだろう。そうしたら良子は、死ぬのを止めたかもしれないのに。
「ねえ良子、私たち、何回ぐらい、繰り返してるの? 私、わかんないんだ、気づいたの、先週だから。でも、今思って、私たち、とんでもない回数、繰り返していて、私は単にそれに、気づいてなかっただけなんじゃないかって……」
「三百回」
「え?」
「ちょうど、これで三百回目」
「さん」
「でも分からない、私も気づいた、その時だから。もしかしたらその前もず、ずっと、ずっ、繰り返してたの、かも」
 三百回。時間にすると、時間にするとどうなるんだ? 七日×三百回。二千百日……六年ぐらい。六年ぐらい間、良子は、同じ時間を繰り返していて、そしてもし良子の言うことが正しければ、私たちみんな、同じ時間を繰り返していたのか?
「ね、依子、スノボ行きたかったね」
 そんなこと。良子が振り絞るように言う。私は良子の手を取る。手に血が付いてしまうけれども、良子の手を取る。
「行こうよ良子、行こうよ、治って」
 良子が目を閉じる。治らないだろう。
 良子はたぶんもう、治らないだろう。
 私は良子の行くところまで付いていってあげたかったけれども、でも。
 良子が目を閉じる。私は口が震えて、上手く言葉を言うことはもうできない。


 救急車がやっと来て、良子が運ばれる。私は一人取り残されてしまった気がして、動けない。けど、私たちを取り巻く人の間に、きよと、きよのお兄さんの健兄がいるのに気がついて、きよもこっちに気がついて、おそるおそる、私の方に近づいてくる。
 きよは何を言ったものか迷っているのだろう。それから、不安そうに私を見る。
「血、付いてる」
「うん」
「拭く?」
「うん」
 きよがハンカチを渡してくれる。私はうなずいたものの、そのハンカチで血を拭いていいものかどうか分からずにためらう。きよは黙って、私の手や腕についた血を拭ってくれる。強く、痛いくらいに。
 拭きながら、聞いてくる。
「クシラじゃないでしょ?」
「良子だよ」
 断言する。けれどもきよはまだ納得できないように一瞬、押し黙って、それからもういっぺん聞いてくる。
「クシラじゃないでしょ?」
「良子だよ、きよ」
 きよは黙ってしまう。私は、きよにというよりも、自分自身に言い聞かせるように、もう一回言った。
「良子だよ、きよ」