『ポセイドン・アドベンチャー』について、あれこれ……
『ポセイドン・アドベンチャー』を見る。劇場で見た記憶はないので、テレビで見たのを、再びテレビ(今回はNHKのBS)で見たことになる。
印象を一言で言えば、面白かった。二度目に、がっかり……という映画は少なくないが、そんなことはなかった。それだけシナリオが綿密に作られているということだが、不満がないわけではない。
ハリケーンか何かが発生したという情報が無線で届く。レーダーにも、あまりはっきりしたかたちではないけれど、写っている。それを見てスピードを落とそうとする船長に対し、船主が監視のために送り込んだ代理人が「到着が遅れたら、賠償してもらうぞ」と脅す。
「自殺するようなものだ」と、レスリー・ニールセンとは思えぬ真面目な態度で反対する船長。二人が押し問答を繰り返している時、巨大な波が押し寄せる。驚愕する二人の顔。こののインサートカットは一秒にも満たないが、実に効果的だ。
その後、海軍の将校を思わせる制服で身を固めていた船長も、船主の代理人を含め、全員、押し流されてしまう。ここで不満が残るのは、悪役=代理人が姿を消してしまうこと。『エイリアン』の場合は、契約書に「地球外生命体を発見した場合は、持ち帰ること」という項目があり、これが宇宙船(ノストロム号)の乗務員の行動を縛り、悲劇が……という話になっているが、ポセイドン号の場合は、悪役のみならず、責任を取りうる乗務員が全員死んでしまうので、脱出劇オンリーになってしまった。
以上、閑話休題として、ポセイドン号が巨大な波に襲われたのは大晦日だったので、船内の豪華なレストランで年越しパーティーを開いていた、そのカウントダウンの終了と同時に巨大な波が襲う、という仕掛け、
ポセイドン号の乗務員で、唯一、行き乗ったのは、老人、というほどではないけれど、初老のパーサーただ一人。このパーサーは「博士ちゃん」のような、船舶オタクの少年に「ポセイドン号の本当の船長は私だよと言う。
パーサー曰く「ポセイドン号の目的は乗客の皆さんを楽しませることにあるのだからね。それを仕切っているのは私なのさ」と言う。
このレストランのパーサーが、船腹に向かって上に登っていくべきだと主張するスコット牧師に対し「大型船は、小さなセル(=防水壁)で分けられているから、海水がいっぺんに流れ込んでくることはないから、救助を待つべきだ」と反論、そして「私はレストランのパーサーだが、船の乗務員でもあり、あなたよりポセイドン号に詳しい」と言う。それで乗客の大半は、パーサーの言葉に従うことになる。実際の話、ここは大いに迷うところだ。そもそもの話、ポセイドン号は、タイタニック号のように千メートル以上の深海に沈んだわけではなく、「救出を待つ」という選択肢もあり得る。従って、スコットの主張が正しかったというのはストーリー的には御都合主義と言わざるを得ない。これほど大事な役柄がウィキをはじめ、ネットで見た限り、解説にはひと言も書かれていない。従ってパーサーの名前も、役者も分からなかった。ウィキには三百円も寄付したのに。
このことも閑話休題として、かくしてスコットと、スコットに従う十数人の乗客が上り終えた時、海水がなだれ込んでくる。パニックになった乗客はスコットの「一人づつだ!」という言葉を聞くはずもなく、クリスマスツリーに殺到、天辺までよじ登ったところに、ツリーは海水に足元をさらわれ、手を差し出すスミスの指も届かず、海水に飲み込まれていく……。
このあとは、海水と各所で燃え上がっている炎の中を船腹に向かって突き進む脱出劇だ。この間、スコット以下、冒頭でエピソード的に紹介されていた人々の人間ドラマが絡むわけだが、これもよくできている。例えば、街角で客待ちしているストリートガール(ステラ・スティーブンス)を何回も逮捕した上、その女性と結婚した元刑事のロッド。ロッドはアーネスト・ボーグナインで、醜男の恋愛を描いた『マーティー』でアカデミー賞を取っているからまさに適役。アメリカの観客は、ハリウッドの歴史に詳しいので、意図的な配役だったかもしれない。
しかし、新妻は、途中で死んでしまう。絶望して「俺を放って、進んでくれ」とスコットに言うと、「お前は、俺が万が一の場合、リーダーになってもらおうと決めていたんだ」と言う。
「なぜ?」というロッドに、スコットは「お前は、俺がなにかあった時、にリーダーになってくれ」という。「なぜ、俺が?」と問う、ロッドに、「俺と似てるから」と答える。どこが、どう似ているのか、よく分からないが、原作でそうなっているのかも。
毎日、「健康のため」と言って甲板を走っている雑貨屋の男がいて、なんのために走っているのか、と甲板で甲羅干ししている人々は思っている。というのも、この雑貨屋の男は女性とは全く縁のない生活をしている独身男で、そんな男が、何のために体を鍛えているのかと、いうのだ。甲板で甲羅干ししている金持ちが、雑貨屋の素姓を知っているはずもないのだが、観客がわかっていればいい、ということだろう。実際、この男は、船が転覆した後、牧師のスコットを信じ、助ける。
走って体を鍛えていたのはこのためだったのかと思ってしまう。脱出行の間に、女性と知り合って……というエピソードもないのだ。演じたのはレッド・バトンズという名優だが、「イロをつけてくれよ」、くらい、監督、歩い脚本家に注文してもよかったのではないか。それは兎も角、船のことをよく知らないスコットが船舶マニアの少年の案内――あと、もう一人、食堂のボーイに意見を聞く。このボーイはちゃんとキャスト表に出ていた――で、彼らに意見を聞きながら、脱出口を探る。
それから、「孫にペンダントをお土産に届けるのが目的の船旅」というわけではないのだろうが、シェリー・ウィンタース演じる太ったおばあさん。このおばあさんは、若い頃、水泳の選手で、脱出劇におけるヒロインとなっている。というのも、スコットが「アスリートだったから」と言って、海水の中に紐をもって飛び込もうとする。この紐を伝って後から続け、というのだ。一方、おばあさんは、「今は太ったおばあさんだけど、若い頃は水泳選手で、息を止めるコンテストで優勝したこともある」と言って、自分がやると申し出るが、スコットはそれを断り「一分たっても合図がなかったら、助けてくれ」と言って、飛び込む。
ところが一分経っても合図がない。すかさずだ飛び込だおばあさんは鉄の扉の下敷きになっているスコットを発見、二人で力をあわせて扉を押し戻す。
スコットは、再度、海水に飛び込み、待ちかねていた人々に、後に続けと言う。最後になったのはおばあさんの夫だった。スコットは奥さんの死を言い兼ねていたのだ。それを察した夫は「妻は死んだのか?」と言う。スコットは「彼女のおかげで助かった」とだけ答える。紐を伝って水中をくぐり抜けた夫は、妻が死んだことを知って、「これ以上頑張ることはできない。妻と一緒にいる」と言う夫に、スコットはペンダントを渡し、「あなたにはなすべき仕事が残っている」と励ます。夫はうなづく。 この感動的なエピソードの後、スコットは機関室を通り抜け、船底にいたる抜け道を塞いでいるリングにぶら下がり、一寸刻みにリングを回すが、回し終えた後、力尽きてボイラーの熱湯に落ちてしまう。
今までちゃんと映画を見ていなかったからだと言われてもやむを得ないが、それまで全てに的確な判断を下してきたスコットが死んでしまうとは!――と、驚くとともに『ターミネーター』のシュワルツネッガーみたいに「アイル・ビー・バッック!と言のではないか、と思った。それで念のため、『ターミネーター』の画像を探したら、まさにぴたりの画像だった。
それで『ターミネーター』をつくった監督は誰かと思ったら、ジェームス・キャメロンだった。ジェームス・キャメロンなら『タイタニック』の監督ではないか! 『タイタニック』と『ポセイドン・アドベンチャー』と比べた批評を目にした記憶はないけれど……それは閑話休題として、誰一人として指摘していない場面がある。それはスコットが死んでしまう、少し前だったと思うけれど、船内には死体が散らばっている。「死体は見るな!」とスコットはみんなに命じて、さらに先に進んで行く時、十数人の乗客がふらふらとゾンビのように歩いている。「生きている人がいたんだ!」と驚くスコットだが、彼らに声をかけて、仲間にしようとはしない。実際の話、彼らの歩き方はゾンビそのものだ。
一体、何のためにこんなシーンを入れたのだろう。
このことについては、解答はないし、だから取り上げている人もいないのだと思う。
……というわけで、船腹にたどりつくと、スコットからバトンタッチされたロゴの指揮のもと、鉄棒で船腹を叩き続け、やがてヘリコプターがやってくるという、ハッピーエンドだけれど、最後、はたと気がついたのは、先に触れたけれど、ポセイドン号は、タイタニックのように、千メートルの深海に沈んだわけではない。この辺の説明が、どこにも書かれていないのだが、ポセイドン号は八万トン級の巨大な客船だから、船腹から煙突まで、百メートルとして、だいたいそれくらいの深さの海で転覆したのだろう。
要するに、いわば、安定した閉塞空間におけるアドベンチャーが、「ポセイドン・アドベンチャー」なのだ。