溝口健二vs谷崎潤一郎
アマゾンのプライムビデオで古い日本映画を漁っているが、なぜか監督の名前がない。小説に作者名がないのと同じだが、新鮮な驚きの機会を与えてくれるという意味では面白い試み(?)かもしれない。というのも、意味深なタイトルで以前から気になっていた『お遊さま』を見たら、なんと溝口健二の作品で、一般的には失敗作とみなされている作品らしいが、いろいろな意味で見どころが多かった。
原作は谷崎潤一郎で、明治初め頃の話だが、映画は、昭和初期あたりをイメージしていたようだ。作品が公開されたのは、戦後の1949年だ。主人公は京都の金満家の家の息子、慎之介で、見合いを繰り返しているが、趣味が偏っていて、難癖をつけて断ってしまう。それで慎之介の叔母さんがとっておきの美しい女性ですと言って、お静(乙羽信子)という女性との見合いを進めるが、慎之介は、お静の付き添いでやってきたお静の姉の「お遊さま(田中絹代)」に一目惚れしてしまう。慎之介は気まずい思いで見合いの席に望むが、お静もまた、写真でわかるように、はにかんでいる。これは乙女ならではの態度だと、一見見えるし、観客もそう思うだろう。でもそれだけではなかったのだ。この衝撃の事実は、お静の口から明かされるわけだが、それはさておくとして、周囲は「お静さんとなら、似合いのカップルだ」と言うのに、「お遊さま」に心を奪われている慎之介は口を濁すばかりだった。
ところが、某日、慎之介が憧れる「お遊さま」が妹のお静をもらってくださいと、慎之介慎之介に言う。そして、お静と自分は一心同体の姉妹なので、慎之介がお静と夫婦になってくれれば、あなただったらこれまでのような姉妹関係を続けることができると言う。慎之介は不信に思いながらも、結婚に同意するが、当のお静が慎之介に「形だけの夫婦」にしてくれと言う。驚く慎之介に、慎之介が本当に好きなのは姉であること、姉もまた慎之介が好きであることはわかっているから、と言う。慎之介はこの条件を受け入れる。でも、正直言ってよくわからないストーリーだなあ、と思って、原作を読んだら、お静と姉のお遊の関係は、普通の仲の良い姉妹の限度を超えていて、たとえば、お遊は、一度結婚したことがあり、息子を産んでいるのだが、その時、お乳が張って苦しいというお遊の乳房をお静が吸ってあげる。そんな「親しい」関係なのだった。もちろん、映画ではそんな場面はなく、慎之介とお静、そして「お遊さま」の三人は単純に、仲のよすぎる三人組という感じで、物見遊山に明け暮れ、お遊と慎之介が夫婦だと料亭の女中に間違われたりするが、三人が三人とも、間違われて大喜びする。でも三人の心理は、それぞれ別のことを考えているわけだが。ここらへんは、わかるような、わからないような、まさに「意味深」な場面で、それなりに面白い。ただ、この関係に限界を感じたお静が、どんなことを言ったか、忘れたが、慎之介に苦しみを訴え、また姉に、自分たちは「形だけの夫婦」と告白して愚かせる。その後、姉と旅館で寝ている時、足が寒いというお遊に、昔のように湯たんぽがわりになりましょうか、とお静が言う。お遊は「いいのよ」と笑いながら断る。襖で仕切られてはいたけれど、姉妹が、二人で会話を交わす場面は、小津の『晩春』を思わせるなあ、やっぱり。
しかし、三人の仲がよすぎるという世間の噂が、親戚の間の不信を呼ぶことになり、お遊の幼い息子が疫病にかかって死んだことをきっかけに、お遊は、かねてお遊に執心していた金満家との再婚を強いられ、「お遊さま」は昔のようなみやびな生活に戻るが、慎之介は零落し、路地の奥の貧しい家屋で、お静と新生活をはじめる。この運命の暗転は、薄汚れた小川のほとりの貧しい家屋の写真で直截的に示されるが、いかにも、溝口らしい場面で、平安貴族を思わせる豪華なシーンも、溝口らしいが、個人的には、こっちの貧乏所帯の場面が好きだし、実際に、二人も幸福そうだ。
斯くして、二人は、普通の夫婦関係を取り戻し、子供もできるが、お静はそれがもとで死んでしまう。慎之介は、かつて自分が憧れ、惚れ込んだ、豪華な生活をしている「お遊さま」に、お静と自分の間に生まれた赤ん坊の養育を託す。お遊さまは、赤ん坊に添えられた慎之介の手紙を読んで、本当の自分の子供ができたと狂喜する。一方、慎之介は、かつて自分が憧れたみやびな世界を忍ばせるような、月影を背景にした静かな川辺に佇んでいる。
というシーンで、ジ・エンドになるが、全体的には乙羽信子が可愛いかったという印象。乙羽信子は後に新藤兼人のパートナーとして、硬派の映画に多く出ているので「百万ドルのえくぼ」と言われた可愛らしさがいまいち理解できなかったのだが、『お遊さま』で見ることができた。特に花嫁姿のお静は――蓮實重彦曰く「紋切り型」の『晩春』における原節子の花嫁姿に比べ――断トツに新鮮、かつ可愛らしい。写真の右横で花嫁姿を点検しているのが「お遊さま」だが、慎之介が惚れたというのは、ちょっと不思議……と言わざるを得ない。はっきり言って、年増、と思ってしまうのだが、そのお遊は、原作では十七歳となっていた。そんなこんなで、脚本の依田義賢の苦労がしのばれるが、さすが、依田というシナリオでもあった。
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