聖徳太子と法隆寺
日本で最も早く仏教が根付いた斑鳩里(いかるがのさと)と呼ばれる一帯。
法隆寺をはじめ、法起寺、法輪寺、中宮寺など飛鳥時代のお寺が点在。
いずれも 聖徳太子と、とてもゆかりの深いお寺。
法隆寺は聖徳太子が、607年に父・用明天皇のために建立したことが、始まりといわれてます。
聖徳太子は、叔母にあたる推古天皇の摂政として、政治手腕を発揮。
「冠位十二階」、「十七条憲法」など 聞き覚えありますよね?
遣隋使を送り、仏教をはじめ 大陸の文化を積極的に受け入れました。
法隆寺以外にも、大阪四天王寺など、各地に多数のお寺を建てたと伝わっています。
夢殿は現存する最古の八角円堂。
聖徳太子が亡くなり、一族も滅び 一帯は荒廃。
739年 その状況を悲しんだ高僧・行信律師(ぎょうしんりつし)が、その地に建設したのが夢殿でした。
聖徳太子の肖像と伝わる本尊の救世(くぜ)観音像が、祀られてます。
平安時代になると、法隆寺は聖徳太子が創建した西院と、夢殿がある東院が一つになります。
そして、聖徳太子の業績を描いた伝記や絵画により、聖徳太子は神格化。
聖徳太子自体が信仰の対象に。
天台宗開祖最澄は、自らを聖徳太子の生まれ変わりと言ったと伝わります。
空海や藤原道長も生まれ変わりと信じられてました。
聖徳太子への篤い信仰心が、法隆寺の永い繁栄を支える大きな要因でした。
1993年 日本で最初の世界遺産4件が登録されます。
「法隆寺地域の仏教建造物」はそのうちの一件。
因みに、1998年に登録された「古都奈良の文化財」とは別物。
最初 少し混乱したのは、私だけ?(≧▽≦)