花の都パリ誕生のお話
世界中からの多くの観光客を魅了する花の都パリ。
実は 私たちが目にしている美しい街並みの大部分は、19世紀後半に造られた景色。
フランス革命以前のパリは人口が急増。
小さな建物が密集。その間に狭い路地。道はぬかるみ、下水道はなし。狭くて雑然とした街並み。
家で捨てる場所のない汚水やゴミを、窓から道に投げ捨て、路地は身の毛もよだつ悪臭。
歩いていて 頭の上に汚物が降ってくるなんて、考えただけでも、ぞっとする
150年くらい前のパリは、憧れの街からは程遠い、不潔極まりない街でした。
1853年 皇帝ナポレオン三世が、セーヌ県知事にオスマン男爵を任命。
因みに、ナポレオン三世とは、あの有名なナポレオン一世(ナポレオン・ボナパルト)の甥です、念のため。
ナポレオン三世は、都市機能を失いかけたパリを大改造することを計画。
ナポレオン三世の命を受け、オスマンは17年の任期中、改造計画を精力的に進めます。
大通りを作るため、密集した数百件の家を取り除き街を整理。
改造の中で最も評価が高かったのが、凱旋門を起点とする道路整備。放射線状に12本の規則正しく美しく広がる道路。
大通りからは、歴史的な建造物が見えるように計算。
広くなった道路は景観を良くしただけではなく、交通網の麻痺も改善。
集合住宅アパルトマンも次々と建設。窓を大きくとった清潔な居住空間。美観を保つために建物の高さも統一。最上階の屋根の角度も統一。
下水道の整備、緑地の整備。
パリは明るく清潔な街へ生まれかわり、19世紀後半に遂に世界の憧れの都へ。
ナポレオン三世とオスマンがいなければ、パリの近代化はこれほど成功していなかったのかもしれません。
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