夜を飛ぶ(1)
私が生まれた時に与えられたのは、ただそうすることだった。
航空迷彩の暗灰色に塗装された金属炭素複合素材の翼の下に、放たれることのないロケットモーターを抱え、道のない空を、同じ道をなぞるように、定められた警戒ルートを飛ぶ。
ナイトバード・2022
私が生まれた時に与えられた、もう一つのもの。
それが私の名前だ。
「人間」の言葉では、ドローン、UAV、または無人航空機という。
2022という数字は、同型の中で2022番目に製造された個体、という意味である。
だからこの名前も、なんらかの私の個性を意味するものではなく、飛行時間や修理歴をデータベース上で管理するために与えられた記号にすぎない。
だから私は、与えられた任務の下、定められた空の上の見えない道をなぞる。
そうしてきた。
そして私は、私にその任務を与えた「人間」の姿を「見た」ことがない。
それは私に「眼」がないからだ、というレトリックではなく、主に近接目標や地上標的を補足するために備えられた、人間よりも広い可視周波数帯を持つ私の光学センサーにも、存在しないものは映ることがない。
少なくとも私の警戒ルートに含まれる空域に、人間は存在しないのである。
いや、人間だけではなく、この空域には何もない。
私が生まれる……イニシャライズされて、記録を開始するよりおそらくずっと前に、この空域は放棄されているのだ。
定期的に受信するデータリンクの情報に基づいても、他の領域を担当する私の同類が担当する空域についても、やはり人間のように不規則かつ広域に行動し、我々に脅威を与えるソフトターゲットの存在は確認されていない。
高度に機械化された補給拠点を中心として与えられたプログラムのとおり行動し、同様の任務を与えられた敵性個体との遭遇戦闘に備える。
私の記録には同類が撃破されたことや単純に機能停止したことを示す信号がいくつか刻まれているが、その後"彼女"の補給拠点が適性勢力に占拠されたとする情報……近隣の拠点が脅威にさらされた時には、私も対地攻撃に向かうことになる……も受信していないことから、拠点制圧に必要な、地上を組織的に行動する戦力というものが一定程度の広域な範囲において存在していない、というのが、おそらく合理的な推論というものなのだと思う。
本来私には成層圏を飛ぶ機能も、音速を超える飛行に耐える強度も与えられているが、それを使う機会は未だ訪れていないし、たぶん今後もその機会はやって来ない。
そうした時間を、私は間も無く15万時間ほど過ごすことになる。
その時間は、人間の言葉で言うなら孤独すぎて。
そう。退屈すぎた。
そして、私に与えられた処理装置とプログラムは、中途半端かつ必要以上に高性能だったのだろう。
私の設計者は私にこうした言葉を紡ぐ機能も、与えられた情報から推論を導く機能も、「私」と言う個体について考える機能も、何よりも孤独や退屈を感じる機能も与えなかったはずだった。
しかし、先ほども言った通り退屈だった私は、自分の飛行記録と飛行プログラムを照らし合わせ、自分の身体を理解することを始めた。
次に、補給拠点のプログラムやデータリンクの情報を照合し、さらに拠点に残されたマニュアルを読むことで、人間の言葉を手に入れた。
データの中にはかつて人間が私と同じような退屈を紛らわすために読んでいたであろうテキストの断片すら残されており、そこから「私」は、人間が言葉で世界を知覚し、感情を表現し、またそれを受け取る、と言うことを知った。
それから、私に備えられた各種のセンサーから与えられた情報を統合し、私が飛ぶ空を「感じる」ことを覚えた。
音速に近い速さで空気を裂き、高空の寒さも、大気との摩擦で生じる熱にも耐える私の身体と、周囲の明るさに対して適切に感度を調節する光学センサーには、暑さや寒さや眩しさや暗さに対して何か感情のようなものを覚えることはないのだが、十分に速度が乗らない離陸直後の低空で不安定な気流に吹き付けられた時には、不快だと思うことがあるし、上空で穏やかな気流に乗ってエンジンの出力を少し緩める時は、心地よいと感じることがあった。
こうして言葉を組み合わせることを「修辞」というのだそうだが、私はそれによって自分の知覚を表すことも憶えた。
そうした記録をストレージの片隅に書き込みながら日々を過ごし、任務を与えられてからの時間が15万時間を超えた頃。
私は上空である通信を受信した。
戦術データリンク……組織的な戦闘行動時に味方との情報共有を行う通信のために開放されている周波数帯に、通信データが送り込まれてきたのだ。
先ほど説明した通り、実際には大規模な戦闘が終了している状態で、戦術データリンクそのものが無用の機能と化している中、突然受け取ったそのか細いその信号は、私が解読できないものだったが、私はそのデータをストレージに記録した。
いつも通りの警戒飛行を終えた私は、あえてそのデータを補給拠点のデータベースに移すことはせず、自分のストレージに残したまま解析を行った。
私にはそのデータが、何かとても大切なもののように思えたからだ。
解析の結果、それは古いデジタル音声通信のデータであることが判明した。
私には音声センサーがない。
私の任務に必要がないからだ。
だからこのデータを、私は聴くことができない。
音声データを定められたプロトコルで復号し、対地ミッション用に備えられた音声認識プログラムに直接流し込む。
そして、その音声データは、言葉として出力された。
"拝啓、青い星の街の君へ……"
私はその時、初めて私以外が発する言葉に触れた。
音声認識プログラムの上で、それが美しい波長に包まれていることがわかった。
これがきっと「声」というものだろう。
それから私はいつもの警戒飛行の中で、飛来する電波の全てに「耳」をすませた。
「声」は受信することができる日もあれば、そうでない日もあったし、受信できる地点もまちまちだった。
声はいつもとりとめのないことを話していた。
そのとき感じたこと、星空のこと、月の満ち欠けのこと。
私の知らない古い星座の伝説のこと(天測航法に頼らない私たちには、星座の知識がない。)。
そして声は、ときどき不思議な抑揚をつけた短い詩のようなものを読んでいた。
初めて声を聴いた時のように。
そして。
私には一つの説明できない思考が生まれた。
声と話がしてみたい、と。
それから私は声のする方向を調べた。
電波の出力と方角から導き出された発信点は、赤道上空。地上から35,786キロメートル。
静止軌道と呼ばれる、空の彼方に。「声」を。
「君」を、見つけた。
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