イタリア学会の声明文
日本学術会議が推薦した候補者の内6名を管総理が任命しなかったことについて、科学者からは強い抗議が行われている。さりげなくとんでもないことがやられてしまったと思い、私も危機感を持っている。
そんな中で、「イタリア学会」の声明文を読んだ。私とは、普段関係の無い学会ではあるが、朝日新聞の紹介記事で声明文の存在をで知り読んでみた。
今回の事件は何が問題なのかを、ギリシャ・ローマから説き起こした名文で感動した。
この声明文で主張している最も重要な点は、「説明がない」ことである。
説明なしに権力によって処分されることは考えるだけでも恐ろしい。なぜかは、胸に手を当てて考えて見なさいということを言いたいのかも・・・。権力者にとっては実に都合がよい。
前にこのnoteで紹介した桐野夏生の「日没」では、文学分野でのその恐ろしさを表現している。今回の話は、広がっていけば科学者だけに限ったものではない。
一方、科学者も「研究の自由が侵される」と叫んでいるだけでは、権力には勝てないかもしれない。これを機会に、科学者自身が「だれのために」、「何をめざして」研究しているのかを、真剣に見直さなければならないと思う。それがなければ、権力側に足下をみられて敗北するかもしれない。敗北後のおぞましい世界は想像したくもない。
イタリア学会声明文は下のURLから。
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