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純粋なもの
朝、目覚めると腑に落ちている。
夢を見て、魂と会話をして、腑に落ちて、目が覚める。
今朝は、
「自分自身への誤解を解いていくこと」だった。
見た夢は、「その瞬間の純粋さ」がテーマだった。
ストーリーは、ざっくり説明すると
女性達の無念な思いが渦巻く場所で、
何とかその念を払おうと私が奮闘していた。
無念を抱く前の、出来事に取組んでいた「その瞬間の純粋な想い」にフォーカスしてもらうという取り組みだった。
無念に支配される前の想いも、同じだけ汲み取れていれば
バランスが取れていくのだが、人はそれが難しいのだなぁと夢の中で感じていた。
「無念」がその人の設定になってしまっていた。
自分自身に対する大きな誤解だ。
夢が終わり、自分の魂との会話が始まった。
私も自分の事、誤解しているよね?
人に干渉したくないのは、関心がないからでも
冷たいからでもないよね?
「その人の中から湧き出る、純粋な想いの表現を邪魔をしたくないだけだよね?」
そう問いかけられ、幼い頃の体感が蘇った。
ひとつの出来事から、たくさんの事を感じていた。
言葉で言い表すことができなくて、泣いたり、怒ったりしていた。
大人は、その人の世界観で私の気持ちを推測して
導こうとしているけれど
「そうじゃない!違う!違うのに!」
こんなに沢山感じているのに
なぜ「悲しい」一言で済まされるの?
なぜ「美しい」一言で済まされるの?
悲しいの中にも嬉しいがあって、気持ちがいいも、悔しいも
、辛いも、全部ある!全部あるよ!
そう、思っていた。
今思うと、その感情ひとつひとつに、名前を付けて自分なりの表現をすれば良かったのだなと思う。
私の特殊な体感(一般的には見えないものが見える笑)もあり、「言葉」は想いを誰かに伝える道具ではなく、心を守るための盾の役割となった。
その状況を早く終わらせるための、大人の導きは
私の心から湧き出す純粋な想いを閉じ込める方向で働いた。
そんな経験を重ね、クセになった私は
導きをコントロールとして認識するようになったのだと
腑に落ちて目が覚めた。
これ、めっちゃ小さい時の話だな🤣
人は、生きている限りこのような設定(クセ)を日々生み出し
覚えてもいない昔の設定(クセ)を引きずりながら過ごしている。
気がつくと、大抵自然消滅してしまうので
今回の「導き🟰コントロール」設定も少しずつ消えてなくなるのだと思う。
人に干渉すると、その人の純粋な想いの表現を阻害する
そんな思込みを手放せたら、とってもお節介な人になるかもしれない笑
相手が心を感じてゆっくり表現できるように
待つということと、私が感じている事に名前を付けて表現していくともっと自由に羽ばたける気がする。
こんな感じで、毎朝腑に落ちて目が覚める。
ありがたいことだ。
昨日は「何を言わないかが知性」の解説だった笑
夢すら気付きで、目が覚めても
向き合うことから様々な気づきがある。
今、借りてる本を読む必要がなくなったかもしれない笑
知りたい!と思うことは日常から自然と浮き上がってくる。
それを見つめるだけでいい。
私たちの日常は、奇跡で溢れている。