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雷山千如寺大悲王院

久しぶりに、雷山にあるお寺を訪れた。
楓の木の前で涙が止まらない不思議な体験をしたお寺だ。
不思議な体験以降、旦那と糸島方面を訪れるたびに何故かこのお寺の通り道に出たりして。
呼ばれているのかなぁ。また行きたいなぁと思っていた。

このお寺では頭痛がして身体が重く感じたと旦那は言う。
どんなにお寺の近くまできていても、私が行きたいと思っている事を知っていても、そのお寺に寄ることはなかった。

お寺に来るためには、旦那以外の人と来るか、ひとりで行くしかなかった。
友達を誘い、予定を立てるも前日になると必ず私の体調が悪くなる。ひとりで行こうとしても同じだった。
そんな事が4回続いた。

もう今年は行けないかなーと諦めていたある日。
旦那が雷山のお寺に行きたいと突然言い出した。
最近、気になっていると言う。

そして、その日ついにふたたび訪れる事ができた。

観音様の姿を拝観させていただける部屋に着くと。
旦那はやはり、頭痛がすると言った。

優しい優しいお顔の観音様。
「木造十一面千手千眼観音立像」
鎌倉時代に作られた、国の重要文化財だそうだ。
目を閉じておられるのだが。

私には、目を開けてこちらをじっと見ておられるように見える。
側に立つ薬師如来様を見て、あっ!と思った。
少し前に私の夢に出てこられたのはこの方だと思ったのだ。
薬師如来様も目を閉じておられるのだが。
私には、目を開けて観察しておられるように映る。

不思議だなぁとひとりでじっと見ていた。
旦那にも言わなかった。

感じる事を話すと決めたけれど。
やっぱり全ては話せない。
私の世界は、現実から離れすぎている。

お坊さんが「慈悲」の心について鬼滅の刃を例に出してお話をされた。

今年に入ってから。
次々に私に降りてくるイメージや言葉は。
鬼滅の刃を例にしたものが多かった。
お坊さんのお話は、人間の世界で人々が受け入れてられる範囲のものにとどめられている。
仏教もそうだ。

なぜ、私はその範囲を超えるメッセージを受け取るのだろう。どんどん人から離れていくような感覚になる。
お坊さんのお話に、ジーンとした。

言葉には、深い深いメッセージが込められている。
表面的に、人間的にしか解釈されなかったとしても。
魂にはきちんと届いているのだなぁと思った。

私の見える、感じる世界や真実をそのまま人に話さなくても。一般的に、日常的に使われている言葉に。
深い深い意味を込めて。意図すれば。
その人の魂に届いているのだと感じた。

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