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何も知らなかった私が          酪農の世界に入って感じたこと①

私は海がきれいな茨城県日立市で育ち、東京の服飾専門学校を卒業した。
卒業後はいろんな職を経験したが、最終的に洋服のリフォームの仕事にたどりついた。

それまでの私は「農業」や「酪農」というもののかけらも知らなかった。
興味もなかったと思う。
農業といったらおじいちゃん、おばあちゃん、軽トラ、のんびりのどかな
イメージ。そんな感じだった。

いろんな流れを経て、北海道に短期間住むことを決めた。
北海道といえば、牛。そんな安易なイメージから、北海道らしい仕事をしよう!
と入り込んだのが「酪農」との出会いだ。

放牧は北海道でも約5%、全国では2%程度なんだよ〜

北海道にきて、私が思う農業のイメージが変わった。
広大な畑と見たことない大きさのトラクター。
農薬を撒く、大きな羽を広げたようなフォルムの機械にも
おおお〜と興奮していた。

トラクターを運転しているのは若い人も多く、
大きなトラクターも相まってかっこいいな〜と思った。
それに農業に携わる男の人は、体がかっこいい。(場合が多い笑)
筋肉のある男性の素敵さに気づいたのも、北海道にきてからだ。笑

酪農業界に入った最初のころ。
「牛大きい!」「匂いとかうんことか、私全然平気だな」
「こうやって餌やるんだ〜」とか新たな世界に興奮しつつも、
覚えることに必死で牛をよく見たり、かわいいとか思うこともそんなになかった。

朝早くから働きながら、こうやってお乳を出してくれる牛と
搾ってくれる酪農家さんがいるから牛乳ってものがあったんだと、
関わって初めて実感した。

しばらく働いていると、衝撃的な場面に出会う。
まだ生きている大きな牛が、クレーンで3mぐらいの高さに宙吊りになっていた。
初めてそれを見た時、私は固まった。
あおりの高いトラックに積んでいるところだった。
巨体を足一本で吊られた牛は、弱々しく鳴いていた。
心がしめつけられた。

吊られていたのはどんな牛かというと、病気などで治療をしていたが
治る見込みのない牛だった。

治療で薬を使うと、休薬期間というものがあってそれを経過しなければ
食肉として流通することがないのだ。
(私が関わっているのは乳牛の世界だが、乳牛も最後にはお肉となって
みなさんも口にしていることを知らない方は多い。)

食肉にならない牛はレンダリング工場というところに運ばれ、
熱処理され、石鹸、肥料、化粧品、ペットフードなどの原料となる。

当時はレンダリング工場に運ばれる際、
限られた地域で、このように生きたまま吊られ、
トラックに山積みにされ、牛が牛の下敷きになり運ばれていたのだ。

一緒に働いてきた牛の最後がこんな苦しい形なんて、
お世話になってきた牛にあんまりだ、と思った。

(現在は生きたまま吊られることはありません。
長く苦しむことがなくなって、私は良かったと思っています。)

牛に愛着はまだわかなくとも、こんな風な「命の扱われ方」や
生と死、「命」そのものについてのさまざまな場面に遭遇し、
「知らない世界楽しい!」「農業かっこいい」
という気持ちと合わせて、心を痛めることもあると知った
当時の私だった。

つづく。

これを読んでくれた方は、ここまでで判断せず
つづきも読んでほしいです。

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