鹿児島ストロング。一時的に身体障害者になった僕の話1

 現在(2024.10.8)椎間板ヘルニアの悪化で左足が不自由になっているので、杖を使う生活になっています。杖を使う生活は人生初めてなので、感じたことを記録として書いていきます。

 今まで腰痛はありましたが、それまでは薬をもらってリハビリを定期的に行っていて、日常生活に支障はないので、深く考えていなかったです。

 ヘルニアの悪化は9/29(日)からでした。左足が痺れて立つ、歩くが難しくなり、気合で体を動かしました。体を動かすだけでイチイチうめいていましたね。翌日9/30(月)に慌てて掛かりつけの整形に行くも、痛み止めの注射はやらないと言われて薬をもらうだけでした。素人考えでも「これは投薬だけでは治まらないだろ」と疑問でしたね。やっぱり薬を飲んでも全く痛みが治まらず、動けない状態が続いたので、痛み止めの注射を打ってくれるところをネットで調べてその整形に行きました。

 紹介状を書いてもらう余裕もなく、整形に駆け込んだので、レントゲン、MRIを撮ってから注射を打ちました。そのときまで痛み止めの注射を打つだけだと思っていましたが、ブロック注射と言って痛む部位の神経付近に麻酔薬を入れて、痛みが脳に行くのを止めるものと聞いて、「そんなに大事な注射なんだ」と驚きましたね。「術後の経過を見るために明日も来てください」と言われたときは、「ここまで大事だったとは」と思いましたね。

 MRIを撮るときや注射を打つとき体勢を変えるときうめいていたので、注射を打ったときは「頑張りましたね」と言われたときは、「ここまでひどい状況だったのか」と驚きました。僕はあらゆることに無知でした。

 これからが本題に入りますが、今日はここまでにしておきます。

 追記。タイトルはボストンマラソンの爆破事件に巻き込まれて、両足を失った人の映画「ボストンストロング」から取りました。フェンウェイパークでペドロ・マルティネスに付き添われて始球式をやるラストが好きです。

 

 

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