ただ、起きたこと
5年前の深夜、突然てんかん発作が起こりました。
発作の間の記憶はわたしにはなく、でも言われてみたらなんか苦しかったかな?でも夢だよね?という感覚だけが残っていました。
夫に名前を呼ばれて、うっすら目を開けたら救急隊員の方々がわたしをのぞき込んでいて、それがあまりにも恐怖すぎてパニックになったあたりの記憶はあります。おそらく直後気を失ったのか、次の場面では救急処置室で点滴を受けていました。
原因は脳腫瘍で、過去にも何回か起こった可能性があるということでした。
幸い発作が起きてから半年間に手術で速やかに腫瘍は摘出され、てんかん発作を抑える薬を飲みながら通院すること5年目、嬉しいことに薬を止めてみましょうということになりました。通院も半年後。
さて、さらっと書いた脳腫瘍の手術ですが、受けてからなにか変わった?と聞かれることがあります。お腹の手術をしたときには聞かれなかったのに頭の手術をしたらなにか変わった?性格変わった?なにか見えるようになった?などなど聞かれます。
もちろん、なにも変わりませんし性格も変わりませんしなにも見えませんと答えています。
でも実は変わっていました。
今日ははじまりだけお話しようかと思います。
ある時、通勤のバスに揺られていました。早朝出勤なのでバスは空いていてわたしはうつらうつらと眠りかけていました。
そのときとても低く力強い男性の声で「おーーーーーんーーーーー」と、お経の一節かあるいは歌のような抑揚のある声が頭の中で鳴り響いたのです。なんとなくそこで目を開けてはいけない気がして、わたしはその声の余韻を追いかけるように声に集中しました。すると余韻が終わるか終わらないかのところで今度は、とてもささやかな女性の声(、あるいはなにかの楽器)で「ホリン」と聞こえました。
あの状態を瞑想というのでしょうか。
わたしは、わたしという自我を忘れただただ深い闇にありました。わたしという存在がなくなり、でもそれは恐怖でもなんでもなく心地のよい安心の中にただあるのです。
言葉では表現しにくいのですが、そんな状態になりました。
「次は〇〇、〇〇」という最寄りのバス停のアナウンスでハッと我に返りそそくさとバスを降りたのですが、体感時間は10分ほどでしたがいつの間にか40分近く時間が過ぎていたことに驚きました。
2019年に起きた、この小さな出来事からはじまったのでした。
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