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願わくばサリエリではなく

サルエリは品行方正であり社会的に成功していていながらも、不徳でならず者のアマデウスの才能に嫉妬し、ノイローゼにさせてしまう殺してしまう。

ならず物のアマデウスとは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。現代の名声とは裏腹に下品で派手で借金まみれな男。

アントニオ・サリエリ
宮廷音楽界を上り詰め社会的には絶対的に成功していると言っていいが、映画の中では硬すぎるくらいにキリスト教的な価値観を貫く男が、最後には宗教から科学への時代の変化の象徴ともいえる形で教会ではなく精神病棟で懺悔をするという皮肉がきいた映画なのだけれども。

史実では、経済的に成功していたため慈善活動として弟子からは謝礼も受け取らず支援しベートーヴェンやシューベルト、リストを育てていたりと映画と事実は異なるようだけれども。

私の記事に返答するこの記事を読んでていて、この映画の

神はなぜ私だけにヤツ(アマデウス)の才能を理解するだけの能力を与えながら、それ以上の才能をお与えにならなかったのだろう。

というクダリを思い出した。(うろ覚え)

この怒りは、そもそもがサリエリの信仰として才能は神に与えられるものであるということ、当時の音楽が神や神が作った宇宙を数学的に表現する手法だったという思想的背景も留意は必要であるが。

彼の敬虔さゆえに、神をも冒涜するヤカラに才能を与えた神が疎ましかったという話だ。社会的成功すら意味をなさないくらいに。

初めて「アマデウス」鑑たのは小学生くらいのときに、親の横でだったと思う。
子供の頃はアマデウスになりたかった。


さて。

現代社会では、天才になるにはあまりに世界が大きすぎる気がしている。小さな世界だったころは天才でいれた人も多かったかもしれないけれど。
もちろん世界の大きさがいかほどであろうと天才はいるんだけれども。野良の天才を発見しやすくなった今たくさんのサリエリを産んでしまっている気がしてしまう。

とはいえ、史実の方を紐解いてみればサリエリは差がわかるからこそ、ベートーヴェンやシューベルトといった次世代の教育ができたとも言えなくないわけで。

何ごとも差に気づくところから始まるのかもしれない。

みんな忙しいから通り過ぎてしまうような分野も多いし、実際私も音に対しては沼っている友達の話は長らく聞き流してきていた。(オーディオ関連はそもそも値段の問題は大きい分野なんだよね。値段で引いちゃう)

でも私の幸いはおそらく職業柄、いくつかの自分の専門とは違う技術で勝負する業界に年単位でどっぷり見てきた結果ある程度何が一流かわかるようになったことだと思う。その分野に対して手を動かしてはいないから、本当の意味では理解してない部分はもちろんあると思うけれども。

でも、はじめはそれこそ達人の仕事をどう評価したらいいのかわからなかったんだよね。というかもっといっちゃえば恥ずかしながら全然良いと思えなかった。

でも若い技術者から中堅から達人級までたくさんのパターンを1年以上うんざりするくらいに見まくって(むしろ見せられてかもしれない)ようやく何が良いかわかったんだよね。

逆に言えばそれくらいみないと本当にいいものなんてわからないのと、最高の技術を使ったものは大概無駄がなさすぎてつまらなくて陳腐。

でもだから突き詰めてない通りすがりでもわかる派手なものが好まれたりするし、宣伝広告を作るならばそれを加味した上で作らなきゃいけないし、技術的に若くて甘くても尖ってて勢いだけでやるようなものが一般的に好まれるのもめちゃくちゃわかるんだけど。

いくつかの自分の専門じゃないけれど興味のある分野でずっとGoogleの検索結果を見るでもいいけれど、イマイチなモノから上手なものまで年単位でみるものを定めてずっと見続けてみたりするには感性を伸ばす上ではものすごく有効だと思っていて。

いくつか一流と三流の違いがわかるまで目を養ったら、どんなものが一流かの勘所ができるから、その後はそこまでやらなくていいけどいくつかの分野に1カ月とか3カ月くらいのそれくらいのスパンで着目してみる。

そして現代は、何か一つに没頭するには情報が過多すぎるというのもあるんだけれども、私たちが手に取る製品の一つをみても作った人の何かしらの考えが詰まっているわけで、まずは差を知る努力をするということはそれ自体が人生の役に立つかどうかはともかく、人生を少しだけでも面白くする。

人気商品を模した中華製激安バッタモノですら、本来の機能としては役にたたなかったりする本末転倒ながら案外その人気商品動きをめちゃくちゃ安価に再現してたりしていて。

サルエリになりたくないなんて思ったけれど、たくさんの分野でサリエリになろうと努力することが案外今の時代っぽいのかもしれないなんて、ちょっと音質が良くなったスピーカーでこの曲を聴きながら思ったのでした。

とはいえ、サリエリだって、きっちりとした作曲家だけどね。
37:47からのVariazioni sulla Folliaはたぶん何かの映画で聞いたことある気がするし(アマデウス以外でだとおもうんだけど)、FF9のBGMって全体的にこれっぽいなぁとか。(基本的な引き出しがゲームになっちゃうのはシカタナイね)

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