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ミクロの視点もマクロの視点も持つこと

学生時代、経営学が専攻だったものの一応経済学もとらなきゃいけなかったんだけどミクロ経済は小難しいしマクロ経済は意味不明だと思っていたのに気付いたらマクロな統計ばっかり見てる。

宇佐兎三でございます。

まぁ、、、今の相場感的に暴落いつ起きるの?って思ってひたすらに米国雇用統計とかみまくりってだけなんだけど。でもここに来て何に使うかわからなかったマクロ経済がバチーンとハマりまくって、勉強し直そうかなやんじゃってるわけだけど。

とはいえ、今回言いたいのは経済の話ではなくて。もっと一般的な話。割と普通の話だと思うけれど。


視点と抽象性

ものごとを考える際の観測点には、具体と抽象以外に、視点の高さの度合いというものがある。

大学の経済系学部の中で、経済学、経営学、商学とあるが、経済学の方がより抽象的で、商学はより具体的で実践的。これについて経済学と商学は宇佐兎三のイメージでしかないんだけど、経済学はより学問学問していてこれを知ってビジネスをやるというよりはむしろ政治よりだと思うし、商学はより個々の商店経営の実践をやってるんじゃないかなと思う。
経営学部は中途半端にどっちの授業もあった気がする(笑)

で、さらに経済学ではミクロとマクロの目線というものが加わってくる。
ミクロとマクロとは、地面から横に見渡すようなミクロが蟻の視点で、マクロは鷹の目線というか神の視点というか、規模はある地域だったり国だったり世界全体だったり色々だけど、もっと人類全体をみるような視点。

で、どの視点が一番良いのではなくて、できれば自由に視点を変えながらモノを考えることができた方がいいんだよね。

そして、この考え方は経済学に限らずあらゆることで応用できると思ってる。

より地面に近く、実践的、具体的な視点(商学的視点)

子供時代にはこの視点からしか宇佐兎三モノみれなかったんだよね。それくらいに身近な視点だし、実際の生活はこの視点だったりするのでもっとも重要なんだけど、何かを「具体的に行動する」にはこの視点でせざる得ないことの方が多い一方で、何かを「考える」には視野が狭く不便だと思う。

目線が低く具体的なのはものすごくわかりやすいんだけれども、じゃあ自分のケースは?と考えるときは、この目線と具体によりすぎてると自分にドンピシャなケースが当たらないんだよね。中学生くらいの本を読み始めたばっかりの頃は「本なんて読んでも自分に当てはまらない」と思ってた。
それは抽象的な視点が宇佐兎三には足りなかったからで、自分のケースに合うように具体を導き出すには、いくつものケースを学習してそのパターンから抽象化や俯瞰して応用しないとだからね。読んだ内容を抽象化するのも、何冊もの本をつなぎ合わせて俯瞰できるようにするにはある程度の経験値と修行が必要な気がしてる。

情報としてはものすごくパーソナライズしたものが占いだったり診断の結果だったりコンサルだったりするんだけど、まともなやつは統計を俯瞰した中での「あなたはこのポイントですよ」言ってるハズでだから結果だけを教えてもらう分にはめちゃくちゃ低い視点の具体なんだけど、本当は占いの本の全部のケースを目を通して、「他の全員の分も含めた全体はこんなかんじ!」っていうのを知ると視点の位置が高くなる。

より天に近く俯瞰的で抽象的な視点(マクロ経済的視点)

学生時代はマクロ経済を勉強して何の役に立つのかわからなかったくらいに大人的視点(笑)でもそういう視点もあるんだと学生時代に知れたのはよかったかもしれない。
ヤフコメとかYoutubeのコメントみてても大局からの視点がズッポリ抜けたど近眼視点での書き込みをたくさん見るんだけど、もしかしたら大人になってもこの視点を持たない人が結構いるのかもしれない。

俯瞰しているときに、その視点の高さは世界全体であったり、もうちょっと低めの地域に限定されたものだったりする。
さらにいうと視点の高さによって規模も変わるけど、時間的にもこの瞬間というよりは長期にわたる統計を扱うことになることが多いよね。

昨日あげていたこの記事の動画がまさにマクロな視点且つ、抽象的なもので、

まさにこのくらいのところにある話だった。

経済の話としては超抽象的、超マクロ的。

マクロな話は基本的には学問的な意味合いが強いんだけど、裏技的な使用法として、ものすごく感情的に揺れちゃうくらい悲しい時とか怒りを感じた時に、今いる地点からGoogleEarthよろしく視点をめちゃくちゃ高くもっていって、「自分の悩みなんて地球規模で見たら大したことないや」と思うっていうのがあってな。
若い頃、めちゃくちゃ凹んだ時に、自分の地点から意識を日本全体くらいにめちゃくちゃズームアウトしちゃうとちょっと落ち着くってのをやってた。

原理的には釈迦の砂の説法とほぼ同じなわけだけど。
原理主義的仏教ってマクロ視点なお経ばっかりなのは、
釈迦が王族だったことも関係していそうな気がする。

やってたの失恋した時だけどな(笑)

どんどん視点を上げていくと、個々の事情とか感情とかな関係なくなってくるから高い視点だけでモノを考えるとサイコパス的判断になりがちなんだけど、必然的に抽象度もあがるので、問題解決の道筋が見つけやすくなる。

また、マッピングした世界の全てが詳細まで寄れないとしても、ある程度ここらへんにコレがあるとわかっていたら、ハマってないパズルのピースを埋めていったら今まで学んだバラバラのことが繋がったりするので、俯瞰してその世界の形がどんななのかを考えてみるのはいいと思う。
ちなみに昔の言葉でこういうのを「岡目八目」っていうわな。(割と普通のことっていうのはそのあたりw)
そのために、具体的な本ばっかり読んでいる場合はもうちょっと大局からみた概要を書かれている本を読んでみるのが良いと思う。

どっちが良いとかではなく
自由に観測点を変えれるのが良い

宇佐兎三もさ、いきなり全体の俯瞰も計画もしないでいきなり何かを掘り始めちゃうときもあるのよ。まぁとりあえずはじめてから考えればいいやみたいな。

実際完全に新しいことを始める場合は、結局全部掘るならどっから掘るかによって効率は違うかも知れないけれど、どこから掘るか迷いすぎて結局掘らないよりはとりあえずみえるところから掘り始めちゃってもいいよねって思う。

ただ、地の視点だけのときはコワイと感じることも多いし、ものすごく迷いやすいのよ。

別に仰々しい話なんかじゃなくても、2年前に引っ越して、脳内の白地図を埋めるような作業を割と地の視点でとりあえずははじめていたわけだけど、碁盤の目上の土地ならばそれだけでいいけど残念ながら前の家に引き続き三角形みたいな道がたくさんある地域なので、最終的には地図を見ながら確認して学習していかないと普段通らない道が思わぬところにつながっていたりする。道1本間違えたがために隣の駅にでちゃったりとか。
なにも学問だけでなく、普通に新しく行った土地ですら実際に文字通り地を這うにしてもGPSや地図という天の視点があった方がいい。

そして、地の視点に寄りすぎて考えてる時は感情に流されやすいので、例えばコワイなーとか緊張するなーって思うときはちょっとだけ視点を上に上げてやると案外うまくいくというか、宇佐兎三の場合は地の視点によりすぎてるときがマジでうまくいかなさすぎる。

道だけではなくて、何かものごとをするときは、実際にやる視点は限りになく地面に近いところであっても、ある程度のところに行ったら、実際に自分では堀りに行かない場所であったとしてももうちょっと俯瞰して高いポイントから広域に位置を確認した方がいい。

例えば、何かのビジネスをやるとするならば、ビジネスを回すための会計とか仕入れとかそういったことをごくごく実務的なところをはじめに学ぶべきかもしれないけれど、ある程度まで行ったら同じ技術で他のことをやってる人がいないか探してみたり、今度はその業界のことだけじゃなくて類似する業界の技術ついて学んでみたり、全然別の業界の慣習を学んでみるのもいいと思う。

ちなみに全然別の業界の慣習っていうのはものすごく狙い目で、とある業界の常識は他の業界の非常識だったりするんだけど、そこをうまくあてはめだけでめちゃくちゃうまく物事が回ったりする。
ただそれもある程度物事を俯瞰してみれてないとできなかったりするんだけど。

視点をあげると抽象度も上がってくからたぶん三角

灰色のところの中だけで物事を考えるより、水色のところでモノを考えられた方がいいよね。

地域のビジネスをやりたいのに、世界経済まで視点のレベルをあげるのはやりすぎだけど(ただ知らないよりは知ってた方がいい場合もあると思う)ある程度自由に視点の高さを変えて考えられるようにその世界の形を把握するのが、知見ってやつだと思うんだよね。

本を読むなら両方の視点の作家を
見つけられるといいよね

宇佐兎三が好きな作家は、地の視点からものすごく高いところまで見上げることができる。

ただ、彼が天の視点をまったくもってチェックしてないわけではない。上から偉そうにいいやがってっていう形ではあるけれど、似たようなところを天から観測するハラリについて言及があるからだ。まさに上からモノ言ってるのよ。

で、我々がどうしたらいいかというと、両者とも読んで時と場合によって適切な観測点で物事を考えられるようにするのがいいと思ってて。

この2人の作家の組み合わせはたまたま見つけたけど、みんながみんな社会学とか経済に興味があるわけじゃないと思ってるし、ジャンルによると思うんだけど、もっとわかりやすく、普段具体的なタイトルの本ばっかり読んでいるなら、タイトルとかで大カテゴリの概要っぽいのを読んでみるのもいいと思う。

上と下の視点から語る作家を見つけられたら理解は片方だけ読んだ時より深まる。
さらに参考文献などから、左右の話を見つければ知識の空間の中の好きな場所からモノを考えることができる。

宇佐兎三自身、その空間がめっちゃ広い人見ると、いいなぁって思うし、最近ベッドで読み始めても5分で寝ちゃってて全然進まないけど(笑)もっと本読まないとなって思う。

なんていうのを、フォローしているnoterさんが最近めっちゃ思考の迷路にはまってるけど、最近読んでる本というのをみながらめっちゃ具体な本だけだし、言ってることもやっぱり地からの視点だけなんだよなぁって思いながら書いてみたんだけど、抽象・具体くらいまではともかくとして、これってマクロ経済とミクロ経済のコンセプトがわからないともしやむずい?
まぁ考え方の一助に。


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