2014年1月23日木曜日

ほんとに久々に仕事とか、真関係なく、本読んだー。
ゆるりとしたー。
司馬さんとドナルド・キーンさんの『世界のなかの日本 16世紀まで遡ってよむ』

これは、時々読みたくなる対談集。日本の近世を伝統と思い込むここ400年に縛られる現代までの歩みを振り返るんだけど、明治以降の、西欧的な物に飲み込まれそうになるたびに、やはり、江戸に懐古する時代の流れは、当たり前に受け入れられるだけでなく、散文の世界で、漱石をはじめとする日本語で散文小説を書き始めたひとびとの、一体、西欧式に生きるこれからの日本の散文、思想方式についての挫折感について、そりゃ、留学して、しんどくもなって、一気に大学教授職を捨て、新聞掲載小説家にもなるよな。と思っていたのだけど、晩に、萩原朔太郎の『月に吠える』を読んでいたら、序文で朔太郎は、軽々と、西欧が生み出したと思われる『感覚』の波動みたいなものをことば以上のことば(彼は、それが詩や音楽だとしてるんだけど)だとして、日本語のビートに読み込んでた。もちろんそれは、詩を読めば明らかで、ポーやボードレールとは異なる繊細さと、序文で、白秋が表現するように、ヒョイっと朔太郎は、ポーの『盗まれた手紙』のデュパンのイメージも飲み込みかみくだしてる。なんかさー、新しい物の到来ってすぐは、あまりに衝撃なんだが、そこから、80年くらい経てば、すぐ、人はそれを自分たちの言葉を使う音楽にしちゃうんだな。にしても、朔太郎さんのことばは、ロックですな。http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/859_21656.html

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