見出し画像

「ピカソ理論」 起爆剤となった写実、そして心から写実を愛す者の為に。 (9/23追記、再編集)

完成された理想形として、しばしばモデルケースのように語られる先人の一人にパブロ・ピカソが居ますよね。

彼はキュビスムで有名です。

今回の記事では私が長々と構想を練っており、近日開講予定
ようやく開講した哲学・絵画・アート教室の「魔術学院」について考えていた中で書き出そうと思った一つの理論
「ピカソ理論」について解説します。

個人の好みで言うなら、彼の代表的な作風であるキュビスムの絵画は正直に言うとそこまで特別に偏愛しているというわけでも無いのですが、私は彼の作風の遍歴に対し最もわかりやすい成長のパターンであり多くの人が受け入れられる或いは理想と見なすものがあるのだと考えています。
また、「絵が上手くなりたい」という多くの現代人の思いの本質を包括できる教育のため参考になる人物だと思うのでカリキュラムを考える上での参考にしました。


【そもそもピカソは何故あの独特の作風に辿り着けたのか?】

ピカソは元々、幼い頃から本格的な美術教育を受けさせられることで大人にも負けず劣らないような写実技術を身に着けていました。
早い話ここに多くがあると思います。
早いうちから写実技術を身につけたという重要なピースがあり、尚且つ表現したい形が主に写実表現の外に位置した人物であったからこそ彼は若くして写実に「飽きる」ことも可能だった。
そういう話なのだと思います。

この場合に写実はある種の必要悪・起爆剤となったのです。

写実に逆行しているような絵を描いたイメージが強い人物として知られていますが、その一方でピカソを「ピカソ」にしたのは「写実に飽きさせた」人々の功績であるとも言えるわけです。
制約が人を羽ばたかせることも時にはあります。

しかし、生徒を傷つけるような非合理的な制限の数々が教育の現場で蔓延っているようにも思います。
体罰や感情のコントロールを欠いた怒鳴りの行為。
(これらは科学的に見ても脳に悪影響を与える。)
髪型、服装、そういう類の合理性を欠いた法律にすら依らぬ制限。
それ自体が基本的人権に反するとも言えるでしょう
これに対し中学生だった当時の私は非常に不満でした。
そのようなバックグラウンドからお分かりの通り
私はあくまでもトレーニング上での人道的な範囲の負荷として&手札を増やしてより自由になるための道具としての写実を広めたいと考えているのみであり、そういった因習には併合しません。

制限の恩恵と、制限がもたらす痛み。
この相反する2つの事象を解決したいのが「魔術学院」です。

(違憲的で倫理に欠ける指導と制限でしか教育を行えないというのは、教える者側のスキル不足への良いわけであり怠惰です。
そのスキルに責任を持ち、それを磨くこと自体教える者にとって当たり前の仕事の一部であるという認識自体を広める。これを行うために私はそうあろうと考えています。)

あくまでも写実は道具の一つであり、正義・正解・正しさといったものではありません。
こういった思想の極まった先が「退廃芸術展」にあると思います。
自分の生徒からはそのような者は排出したくないので私はそのように仕向ける教育は行いたくありません。

また、昨今よく見られるような写実画を「個性的な絵」より劣ったものと見做す風潮もただ単に反転しただけの「退廃芸術展」だと思うのでそういう方向性で表現手法に優劣を決める考えは採用しません。

だからこそ、「個性的な絵」を描きたい人にも写実的な見方も教えます。あくまでも見方です。
楽しみそのものを見つけるのは本人であり、本質的な目的は楽しむことです。

(絵を楽しむことが第一歩なので楽しく描くことを第一優先とします。
写実画が楽しくない人に無理に描かせたりはしません。
考えていく中で、まず写実であるということよりも楽しむことが根幹になると気づいたためそちらを優先します。
あくまでも「写実的な見方・考え方」を一つの例としてアドバイスに含めるというだけです。 :2024/9/23追記)

【箱庭的、日本的な侘び寂びとしての写実愛】
前述の通り、私はいわゆる前衛的な美術だけが良いものであると私は思いません。純粋な写実画だからこその良さも沢山あります。

「写実」というわかりやすい箱に収めることにより、その収め方にそれぞれの考え方や見方・表し方の個性が覗き見れるという部分に趣があると思います。
細かい色覚もきっと人によって異なるのだと感じます。
実際に私は「なぜその色で塗るの?」とよく言われてきました。
そう見えるから以外に答えが無かったのでそれが不思議でした。

その人間としての「違い」の部分を楽しむものとしての写実があると思うので、自分の絵と他人の絵の両方をより豊かで面白いものとするという目的もあり写実画的な世界の見方が出来る者を増やしたいのです。写実を志す上で「違い」を否定するなんてあり得ないと思っています。
また、それが世界をちょっとでも幸せに楽しく出来ると信じています。これは強い信念です。

おそらく、ここが従来の受験絵画的な教育の扱う「写実」と私の行いたい教育の相違点なのかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?