15年ぶりの京都 Vo.1
15年ぶりに京都に行った。3泊4日。夫のリクエストで。思えば、15年前に行った京都も夫と一緒で、そのときの私達はまだ夫婦ではなかった。
15年前は、高校生の修学旅行以来の京都で、「京都には大人になってから来るモンだ。高校生にはまだ、このよさはわからんよ」などと思ったのだった。それに、夜の京都を歩く機会がなかった10代の自分を思いながら、大人になって多くのことを見知ったような気分になったのも、記憶している。
今回もまた、同じように思うのだけれども、とはいえ訪問3回目で、京都初心者に分類されるであろう私たちは、結局、修学旅行で行くような場所をめぐることになるのである。
まずは清水寺。
桜の時期は終わって、ゴールデンウィーク前のこの時期だったら、ピークほどは混んでいないだろうなんて思っていたら、人、人、人!!
日本人より外国人が多い空間にいたのは久しぶりだ。
あまりの人ごみは、苦手と思っている身でありながら、本来、人がたくさんいたはずの場所がガランとしてしまうと、それはそれで心細いものだと知ったここ数年。日常が戻ってきたことに、ホッとする。
すれ違う外国人の中に、タイ人がいると反応したりして。5年近くもバンコクにいたのに、タイ語を話せない私であるが、それがタイ語であるということは聞けばわかるようになった。
そういえば、この時期、タイは旧正月で祝日なのである。休暇を利用して日本に遊びに来てくれたのね、ありがとう!なんて心の中で思う。
タイの旧正月は、ソンクランといって水かけ祭りで盛り上がる。バンコク在住時に、水鉄砲を持って、水かけ祭りに参加したのがよい思い出だ。
大人になってから、大きな水鉄砲を持って本気の水のかけ合いをする機会なんて、なかなかない。水かけ祭りの本来の目的は、水遊びではないんですけどね。
コロナの影響で、ここ数年は水かけ祭りには制限がかかっていたそうだが、今年はいつも通り開催されたそうだ。そちらにも、日常がかえってきたんですね、とこれまた心の中で思う。
さて、清水寺といえば、「清水の舞台から飛び降りる」ということわざが真っ先に思い浮かぶ。この言葉は、子供の頃、度々聞かされた言葉でもあった。
母が、思い切った買い物やそれで手にした逸品について語るときに、よく使っていた言葉だからだ。その言葉を聞く機会がわりと頻繁だったものだから、母が飛び降りたというその舞台は、高さよりも観客の多さにおいて度胸が試される場なのだと想像していた。
要は勇気さえあれば、飛び降りても危険はない舞台なのだと。
ところが、実物は高さ12メートルほどもあるんですね。4階建てに相当する高さだとか。江戸時代には、願掛けで実際に飛び降りた人が234人いたとかで、飛び降りた人の生存率は約85%とのことだ。
この確率を聞いて、「結構高い確率で助かるんだな」という感想を持つ人もいるだろう。しかし私は、命を落とした15%の方が気になるのだ。
どんなときにも少数派がいて、どんな人にもたった一度きりの人生だったんだ。
飛び降りる理由は、
だそうで、生きるために、あるいは誰かの命を思って飛び降りたということだ。「信仰」というのは、ずいぶんと思い切ったことを人にさせる力がありますね。いずれにせよ、よほど、切羽つまった願いだったんだろう。
明治時代には、飛び降りの禁止令が出されたそうだ。
それにしても、見事な柱。下から見ると迫力満点だ。釘を1本も使っていないというのも驚きだ。
長くなりそうなので、続きは次回に。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?