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はがき


郵便受けに1枚の年賀状を見つけたのは、1週間前のことだった。年賀はがきではなかったから、正確には年賀状ではなくて寒中見舞いかもしれないけれど。

はがきは大学生のときにお世話になった教授からだ。

1月の間が抜けたタイミングで届く年賀状というのは、
相手から届いたのを見て慌てて出したことを白状するものであり、
でも、届いたからにはお返しをする律義さを証明するものでもあり、
まあ、つまりは若干の気まずさなんかもまといながら、やってくるものだ。

その気まずさを乗り越えた律義さに、敬意をしめしたい。

それに私は、先生から、そのはがきが必ず届くはずとも思っていたのだった。

学生時代、イギリス人のその教授には、本当にお世話になった。

彼は、なかなか卒論に手をつけない私を見かねて、資料となる本を買って実家まで送ってくれたりもした。
大学が夏休みの時期だったから、先生は私が実家に帰省していると思ったのだろう。夏休みも東京に残り、バイトに遊びに明け暮れていた私は、本が届いたという連絡を実家から受けて、しぶしぶ卒論に着手したのだった。

先生は、私の文法ミスやらスペルミスやらを、根気よく直してくれたし、丁寧にアドバイスもくれた。

無事に卒業できたのは、「先生、あなたのおかげです!」ってなわけである。


ところで当時、先生と私は、時々、うわさの種になっていたようなのだ。

男女の噂を立てられてもおかしくないくらい、一緒にいる機会も多かったのは事実だ。

「当然卒論はランクAだったんでしょ?(先生と仲がいいから)」と同級生に聞かれたときには、さすがに失礼な質問だな、と思った。

よい成績目当てに先生と仲良くしていたわけでは、もちろんない。

当時の私は学校の成績には興味なくて、うまくいかなかった就職活動に打ちのめされていた。
ロクに準備もしないまま、ロクに努力もしないまま、大手出版社だけ受けて、全敗したのは当然だったが、落ち込む私に先生は、「インターネットに文章を書いたらいい」とアドバイスをくれた。

そのときの私は、そんなことしても誰も読まないし、それで就職できるわけでもないしと耳を貸さなかった。
けれども、今の私はこうやってインターネットに向かって文章を書くことがとっても楽しい。
先生の言う通りにしておけばよかったのかもしれない。


先生の授業は、アメリカの古い映画を題材に進める授業で、小さな教室で少人数の生徒しか受講していないような、正直、人気の低い授業だった。

ラクそうだから、と受講を決めた生徒もいたのだろう。

授業中、先生が問いを呼びかけても誰も返事をしない。大講堂での大人数の講義でもないし、目の前の人に話しかけて無視されたら、先生という立場の大人だって心細いだろう。ましてや異国の地で。

なんでみんな普段は大声で話しているのに、こういうときは声が出ないのかしら?

先生が憐れに思えて、積極的にリアクションをしていた私を先生は「いい人認定」したのでしょう。

先生と私は、徐々に雑談をしたり、食事をしたりするようになった。

学校の売店でばったり会えば、ホットドックをおごってくれたし(一緒にいた友達の分も)、よく夕食にも連れて行ってくれた。

遠慮すると先生は「僕はお金持ちだから大丈夫」とお財布に入ったお札を見せて笑った。

ご飯と引き換えに何かを要求されることなんて、もちろんなかった。

一度だけ先生から頼まれごとをされたことがある。
高校生に向けて大学の説明会を開くときに、アシスタントを務めてほしいと。コピーした資料をホチキスでまとめたり、机にセットしたりする役割だ。

そんなのお安い御用だったし、自分が先生にとって頼みやすい人であれたことに嬉しく思ったのだった。


一度、先生になんで日本に来たのか尋ねたことがある

「忘れたかったから」と言っていた。

その先は聞けなかった。

私が卒業するときに、先生は言った。

「I like you」

そして、寂しくなるな、とも。

生真面目で礼儀正しくて、シャイで少し皮肉屋な先生が、感情をストレートに表現するのは珍しいことだった。


そうそう、先生はジェントルマンでもあった。ドアをあけていつもレディーファーストをしてくれたし、髪色や服装を褒めてくれることはあっても、「太った?」などとネガティブないじりをすることは決してなかった。

卒業後、私は何度か先生の教授室に遊びにいったこともあったが、段々と疎遠になってしまった。SNSでゆるくつながっているくらい。

その後、日本人の奥さんと結婚して、幸せに暮らしているようだった。


そんな先生から、去年の夏に久しぶりにメッセンジャーで連絡がきた。どうやら、私の同級生とばったり会ったあとのようで、その同級生と、私と他のメンバー、そして先生と一緒に映っている写真が送られきた。

「右に座っているのが君でしょ?その向かいが今日ばったり会った彼女。奥の席の彼と隣の彼の名前覚えてる?」というメッセージだった。

先生がバッタリ会ったという彼女のことは私も覚えていたが、奥の彼は、顔は覚えているのに名前が思い出せない。向かいの彼は、名前は思い出せないものの、あだなだけは思い出せた。奥の彼がどうしてもわからない!!

そんなやり取りから、近況報告なんかをしているなかで、「色々忘れちゃったけど、先生が授業で扱っていた映画は面白かったよ」と伝えたら、他にも色々おススメを紹介してくれた。

「当時、君以外はあの映画に興味もってくれなかったね、みんなディカプリオの方がよかったのかな...」という先生のぼやきというか本音も聞けた。

「仕方ないよ、『タイタニック』が大ヒットしていた時期だし、ディカプリオはキュートだし…」
となだめつつ、私も『タイタニック』は観に行ったしと白状したりもした。


当時にもまして頼りない私の英語力では、Google翻訳を使いまくりだけれども、完全にコピペだと先生に申し訳ない気がして(かつてあんなに添削してもらったのに!)ところどころ、アレンジを入れる。

間違っているかもしれないが、それがオリジナルっぽくていいだろう。

時々、( )書きで日本語を補足で入れてくれるのはさすが先生!


そんな風に懐かしいやり取りが復活した数か月後。
「今、断捨離をしている最中なんだけど、君の卒論の冊子が出てきた。よかったら自宅に送るけどどう?」と先生から連絡があった。

送ってもらうことにした。

卒論の原本は本人も持っているはずで、私のも実家のどこかに埋もれているはず。実際、先生の手元にある方は処分してもらっても構わないのだけれども、連絡をとった記憶に新しい私の分は、先生としてもなんとなく捨てずらかったのだろう。

「着払いで送って」と住所を連絡したら、「着払いだなんてそんなナンセンスな心配はいらないよ」と連絡がきて、懐かしいその冊子は無事に私の手元にやってきたのだった。

「おめでとう!ついに真の持ち主にもとに帰ったね」と手書きのメッセージが書かれたカードが添えらえていた。

あとで、U-NEXTで先生に勧められた白黒の映画を観てみた。やっぱり面白かった。先生と私は、歳の離れた、そして趣味の合う友達みたいなもんなんだろう、と思う。

そんなことが夏にあったものだから、もう何年も誰にも出していない年賀状を先生には出してみたのだった。

先生から来たはがきには、昨日のおしゃべりの続きのようなことが書いてあった。私も年賀状には、今、おしゃべりしたいことを書いたし。

うん、やっぱり気の合う友達なのさ、と思うのだった。


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