2024.09.16 近況 - Rise from the depths
ご無沙汰しております。
二か月振りの投稿となりました。なんとか楽しく生きてます。
久々にエッセイというか、自分の深く突っ込んだことについて書きます。ちょっとしたカミングアウトも入るので不快な方もいるかと予めごめんなさいしときます。大まかに①病んでた時~仕事について②これからの活動についての二部構成。
Dive
弊noteを継続して読者となってくれている方には既知かもしれないが、このアカウントの中の人は30代手前(コロナ禍初期くらい)で適応障害からの双極性障害2型に罹患、退職、療養期間を経て、のち段階を踏んだ社会復帰をしつつ今年の夏から4年振りに安定した雇用形態へとレールを戻した経過である。とりあえず、胸を張って社会人と言えるレベルには復活した。
いまのところ仕事は楽しい。中途で入って2ヵ月ほどだが、新卒からの今までで一番やりがいを感じてるまである。同じセリフを年末や次年度も言っている保証はどこにもないが。
何だかんだ、20代であがいて、苦しんだ結果が明確に今に繋がっていると感じる。お金とか役職とか明確なキャリアアップには表れてないが、「この人はどんなニーズを抱えているだろう、どんなアプローチをすればいい」「このシチュエーションならお前はどう立ち回る」の引き出しが格段に増えた。ナチュラルにとった行動が、自ら重ねてきたロジックの元にあることに気付く。逆もまた然り、20代の頃より冷静に自身のロジックに基づいた動線を組み立てられている。ような気がする。ちょっとだけ。
明言した形では書かないが、適応障害で倒れた前々職と大枠で業界は変えていない。仕事内容を変えたという形。療養中は色々別ルートを模索したが、結局、保守的かつ怠惰な自分は療養からのリハビリ復帰のタイミングで「でもお前の出来ること結局これじゃん」「お前が人より詳しいと言える分野ってそれしかないじゃん」という脳内のある種諦観的な囁きに身体を委ねた。しかし、後述するがこの選択はある種の自信にもなった。
(ここより前後の数ブロック、この記事はわたしの感情の留めおきと備忘録であるため、自身にしか分からない抽象的な表現が多く非常に読みにくい文章であることをご容赦いただきたい)
新卒で入った団体にてそれなりに結果を出し、特に根拠のない若気の至り特有の自信を付けたわたしは当時住んでいた湘南から横浜への脱出とキャリアアップの体でベンチャー風味の会社に転職した。仕事自体は学生時代から興味のある内容であったが、自身に適性がないことを実感するのに時間はかからなかった。何故かというと、その仕事のキラキラした印象とは裏腹に、実際のソレは「わたし自身が思春期に抱え、そして逃げてきたトラウマとがっぷり四つで組み合うこと」「わたし自身を苦しめた、苦しめられている存在に赦しを与える」ことだったからだ。加えて小規模事業ゆえ、直属の上長が社長(元暴走族※入社後発覚)、その価値観のトップダウン運営という環境もわたしの性格上、心身を擦り減らすのに拍車をかけた。
今となってはご指導頂いた内容について正統性極まりないものが多く、当時のわたしがあまりにも未熟かつ無知だっただけの話で、間違いなく現在進行形でわたしの今に活きている内容は多岐に渡る。感謝もしている。ただ、どうしてもわたしにはアンマッチだっただけのことだ。わたしの狭量な価値観では「過去の暴力行為を誇り、その上で今が存在するとのたまう輩」「罵声で他者をコントロールするマネジメント」がとにかく許せなかっただけの話だ。ただ、それと真っ向から闘う勇気もなく、震えていた。果ては職場で視界が頭痛とともに突然ブラックアウトしデスクに伏せることが週一ペースで訪れた。それを揶揄されたことも許せなかった。心身に無理がたったわたしはある朝ベッドから動けなくなった。
「これからどうしようか」
ある種のバーンアウト状態だ。わたしのやりたかったと思っていたことは、自分のトラウマに囲まれ、向き合い、赦すことだった。
じゃあ、わたしという人間は何を成し遂げたかったのだろう。療養期間はその深淵に潜り込む日々だった。
出した答えは、単純に「自分を救いたかった」それだけである。
自身のトラウマを想起させるものとあえて向き合い、そこで何かしらの結果を出すことでこの閉塞感に溢れた人生に辻褄をつけたかったのだろう。地元を飛び出したはいいが、結局は過去の自分とキャットファイトしていただけなのだ。
それに気付いたあとは(というよりも、以前から分かってはいたが倒れたことで明確に身に染みた)、かなり楽になった。「自分はもう負けた、もう勝ち目のない戦いに身を置かなくていいんだ」と。ただ、わたしの人生はまだまだ続く。一応のバッドエンドを迎えたとしても。
今後生きるためには何が必要かとなったときに、「結局は身体が大事じゃん」に行き着いた。「じゃあ、無理なことはしなくていいし近付かなくていいじゃん」「自分にできることやればいいじゃん」「その上で嫌いな地元に頼らず自活できるお金稼げることなーんだ」と行き着く。保守と怠惰、と上述したがそれはわたしの人生と能力に対する割り切りでもあった。
そして、前職はリハビリがてらの社会復帰であったが「この仕事何だかんだ愛着あるな」「仕事のうえで人と関わるのは結構好きかも、なんなら向いてるかも」と過去のトラウマに対する復讐ではなく、純粋に仕事そのものへのポジティブな気持ちを見出すことができた。
加えて「自分がやりたいこと・できること・やりたくないけど頑張ればできる(かもしれない)こと・やりたくないしできないこと」が明確になった。そのうえで、左から3つにフォーカスできかつ正雇用、というのがわたしの現在に適したものだと感じた。
大まかにではあるが、自分が賃金労働でやりたいことは「支えを必要としている誰かに対しての力添え」耐えられないことはまず「暴力と罵声」次点で「良くて現状維持、緩やかな停滞が永遠に続くこと」だった。
これは今までの転職を踏まえた解で、マインドとしてはようやく収まるところに収まった感がある。やっと自己分析が終わった。普通はこれ大学生の時にやっとくもんだぞ。
そして、大枠で業界を変えなかったこともあり今までの経験が現職で活かされているのだが、それは単純にスキル的な経験値に加え、トライアンドエラーが人よりも多く(特に後者)それらのサンプルがある程度揃いデッキを組めるくらいになるのが30歳前後なのではないか、という仮説がわたしの中にある。いわゆる「発達障害30歳成人説」というやつだ。
わたしは確定診断こそ受けてないが、とあるきっかけで然るべき機関にて5年前に検査を受けた結果、発達に凹凸があることがわかった。いわゆるグレーゾーンというやつ。大学時代~新卒1年目辺りで恐らくそうじゃねぇかなぁと自覚があったので何の驚きもなかった。ちなみに動作性IQというやつが死んでるらしいです。言語性はそれなりにあるらしい。だからnoteはやれてるしな。
「家庭環境がアレでおじいちゃん子の彼女に、その祖父が危篤だと判明した時"でも俺家族に思い入れないからわかんねぇや"」と言ってはいけないのだ。絶対。そら振られて当然だわ。…というのを自分軸で悪気なくやってしまうことで「えっこれってダメなんだ」の解に至った、というわたしの具体的クズエピソードを例に出すとわかりやすいだろう。カスである。
その「言われなくてもわかるやろ」サンプルが数々の失敗とともに積み重なり、数学の方程式のように感情ではなくロジックで理解することで人間社会で擬態できるようになる、のに10年くらいの失敗かかるよね~というのがこれである。
一応言っておくと、人を傷つけてしまったあとはちゃんと反省はする。何なら身体反応としてえづいたり迷走神経反射起きたりみたいになることもあるよ(これは自分の例なので、あくまでスペクトラム、グラデーションで人によって症状や様子は違います)。
これについても「まぁ生まれつきのもんだししゃーない」「他責してても誰も助けてくれんからどうにか自分で生きてくしかないわな」と半分楽観、半分諦めで捉えていたりする。そして、上述のようにその積み重ねたトライアンドエラーがいきなり線になってるのが今だったりするので「あれってそういうことだったのか」「こう立ち回ればよかったのか」みたいな気付きが前職にて30を超えた辺りから多く感じなんなら「ウケる」くらいに思っている。一回身体壊すと価値観変わるね。勿論まだまだ失敗は続くけど。人生、これからこそが楽しいと信じたい。残念ながら思いとは裏腹にアンチエイジングが必要とされる身体でもあるけど。
ひとまず、ある程度マインドセットが整ったのでそれに準じた勉強必要だなとは思っている。もうちょい稼ぎたいし資格取りたい。
大事にすることは「誠実に取り組む」「慌てず、常にフラットに構えろ」「自分以外の誰かにはそれぞれ自分に無い良いところがある、それを観察しろ」「全部自分に返ってくるんやで(だから謙虚でいろよ)」の精神。
Rise
プライベートでは、前居の横浜から現居の横浜へと引っ越した。その差5km。なんなら職場から自宅の距離は前居の方が近い。トータルで費用50万近く飛んだ。(引っ越しにまつわる諸々で色々とここに書けるようなエピソードはあったのだけど、それはまたの機会に)
とにかく運気を変えたかった。前居は立地的に都会で悪くなかったけど広さを妥協した1Kだったし、陽当たり超悪い。転職してさあ再出発といういま、20代後半~ジャスサー時のわたしに纏ったオーラを部屋ごと引きずりたくなかった。
まずはちょっと頑張ってアパートからマンションへと条件を変えた。部屋も広いところを選んだ。また風水的なものを信じるわけじゃないが、とりあえず家具類は全て前居と逆向きに置いた。マッチョイズムや封建主義を鬼のように嫌っているわたしはどちらかというと中性的な持ち物を好むのだが、前職までの通勤時は頑なにトートバッグだったのを思い切ってリュックサックに変えた。定期のPASMOをSuicaにした。惰性で追ってたコンテンツはかなりの量を断捨離した。ちなみに部屋の陽当たりは良い。良すぎる。暑い。
焦っているのかもしれない。
いや、焦っているふりをした自分に浸ることで安心したいだけなのかもしれない。
気付けば、「アラサー」が”もうすぐ30歳”から”30代見習い”であるわたしをそれとなく煙に巻くワードになっていて。
いわゆる働き盛りともいえる、大半の人のライフステージが変容を迎えるであろう期間をわたしは周りほど乗りこなせはしなかった。
ただ、外れてしまったレールをしっかりと自らの力で再構築して軌道を前に戻すことはできたと思う。ある程度感情の整理も済んだ。
そんな上記期間が丸々とnote開設からの現在に繋がってるので、いま当時の記事を読み直すと今すぐ穴に飛び込みたくなるものもある(この記事自体がそうというのは置いておく)。当時罹患してしまった症状のせいもあるのだろうが、今以上に稚拙で、偏狭で、歪んでいる。そっとエントリを消したいところではあるが、戒めと記念の意をもって残しておくこととする。
しかし、書いてる内容は稚拙であれそこには当時の自分のやり場のない感情が込められていたとも思う。
再度、労働と言う名の資本主義社会にわたしが身を委ねたのは約1年半前だが、以降の記事は完全に惰性で書いたものが多い。
公私ともにある程度の落ち着きを手にしたいま、書こうと思えばいくらでもネタはあったのだが、いまいちこのnoteに向き合うモチベーションが湧かなかった。
しかし、いま一度このnoteを始めたような感情に立ち返り、ある種の自己開示であれば筆が動くのではないか、それが今現在わたしの書きたいことなのではないか、そんな思いに気付きキーボードに向かっている。
勿論これはわたしの環境が変わった故の区切り的な一手で、おそらく次にはしょうもないエントリを凝りもなく出していることだろう。
別にフォロワーが多かったりといった大したアカウントでもないのだが、投稿すれば定期的にページを開いてくれる読者もいるようだ。
また、何かの間違いで伸びてしまった過去記事もありその一期一会オンリーの数字結果もありがたいことにそれなりの量をいただいている。とある楽曲やバンド名を何の気なく検索して自分のnoteが出てくるのは嬉しいやら、気恥ずかしいやら。
ありがとう。わたしは一旦崩れた人生のレールをマイペースに作り直していたこの期間、だいぶこのプラットフォームに助けられていたようだ。
そして今、かつてのわたし程このプラットフォームに依存・重視していないのもまた事実で。(今後記事更新しないとかそういうことじゃないよ)
noteではあまり触れていないが、個人だったり知人とだったりで直接肉声で自身の価値観や音楽レビューなどを話すことを始めた。こちらはX(旧Twitter)のスペース機能を使っていたのだが、どうにも相性が悪いようで次なる展開を考えている。環境が整い次第、弊noteでもシェアしようかと考えているのでその折には是非。
一方、このアカウントに紐付けてるX(旧Twitter)では弊note以上に脊髄でいろいろ放言している。恐らく預かり知らないところで敵もそれなりに作っている。あくまで感情の留め置き場なので、ミュートなりブロックなりはご自由にしてほしい。フォローは大歓迎、入口は来るもの拒まずが自分のスタンスだ。別に戦う気はないので合わない人は帰ってくれ。
Xとか知らん、noteだけなら読むよという方がいても構わない。ちなみにわたしは思想の強いアカウントからブロックされてるのを確認すると興奮する性癖なので安心してほしい。
noteやX、スペースなどプラットフォームは細分化されているが、結局わたしのやりたいことは「自己の価値観の表出と備忘」に過ぎない。そして、わたしにゼロイチはできない。供給されたコンテンツを消費しながらあーでもないこーでもないと呟くだけだ。言い切るが、わたしのやっていることは決してクリエイティブなんかではない。
しかし、「わたしが良いと思ったクリエイティブ、ないしはその価値観に誰かを誘導したい、その良さに気付いてほしい」という気持ちは明確にある。別に自らが名声を得たいということが第一ではない(勿論記事が読まれたりとか、いいねが増えたりは嬉しいし承認欲求は人並み以上にあることは前提に)。あくまで自分は有象無象の消費者の一人でしかない。
ただ「こっちも良いけどあっちにもいいものあるよ」と微かに動線らしきものを提示し、指し示した方角にある中間地点のフラッグのような存在になれればいいと思っている。それがひっそりとわたしがインターネットで発信を続けている目的と理由である。そして、そこに少しのユーモアがあれば楽しいよね、と。
以上、纏まりに欠けた構成であったが、そんな日々を送っている。
最後におすすめ曲紹介。
なんとなく、いまの自分みたいな曲だと思いました。
(sfp記事、じわじわとビュー数が1万・スキ150超えいただきました。あざすあざす)
それでは、また次の記事で。
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