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ted_ozawa
選べないと思い込んでいたり、そう思い込まされている事の、しんどさみたいなもの?
どうも、じゅんじゅんです。
バイク屋のTwitterアカウントで
ふとこんなことを呟いたのです。
コロナきっかけでしたが、
— ウィングショップエースじゅん (@acepochi) March 13, 2022
18時閉店(1時間の時短)を定着させて本当に良かったなと思う。
お風呂で、てんちょ〜と子ども達が楽しそうに喋ってる声を聞きながら。
揃って夕食を食べられる日も、かなり増えました。
呟いてから
なんとなく考えていたのですが…
本当はコロナがあってもなくても、
時短とか
完全予約制とか
休みを増やすとか
選んでも良かったはずなんです。
↑全部、ずっとやりたかったけど
コロナきっかけで実現できたこと…
だけど、
昔は「それが選択できる」
と思っていなかったんです。
選択できるんだけど、
選択できないように思い込んできたり
誰かから、「選択できないよ」って
言われていたような感覚になっていることが
これに限らずたくさんあると思うんですよね…
選択肢は無限にあるはずなんだけど
なんとなくやってはいけない気がする とか、
誰かから何か言われそう とか
〇〇すべき、という固定観念がある とか
それによって陥る、
今のまま続けるしか、選択肢はないんだ。
なんか、違う気もしてるんだけど。
みたいなものって、
積もり積もるとけっこうしんどい。
本当にそうかな?
他の方法もあるんじゃないかな?
本当は自分はどうしたいかな?
って、わたしはいつも考えたい人だった。
考えたいんだけど、
同時に人の目もとても気にする人だった。
だからそんな両方の自分の狭間で
しんどい思いをしていたのかも。
今回の非常事態が
世の中の多くの場面の選択肢を広げてくれた。
だから、みんな、なんとなく
これまでと違う選択をしやすくなった。
これからは、
もう非常事態に頼らないで
周りがどうあれ、
常に自分の選択肢を模索して
広げながら生きていきたいなと、
そんなことを考えたのでした。
それでは失礼いたします。