小説『鬼平犯科帳/山吹屋お勝』の舞台を散歩
はじめに
長谷川平蔵の実母の実家、巣鴨村の大百姓、三沢仙右衛門は平蔵の従兄にあたり、今年55歳であり、妻を亡くして独り身。
ところが最近、王子権現近くの料理茶屋「山吹屋(やまぶきや)」の女中「お勝(おかつ)」に恋をしてしまい「嫁にする」と言い出してきかない。
これに困り果てた仙右衛門の長男「初造」が清水門外の役宅に訪ねてくる。
平蔵は相手によっては仙右衛門の味方になろうと考え、お勝を見定めに「山吹屋」へ出かけた。
接客に現れたお勝の何気ない動作が気になり、調べてみようと密偵「関宿の利八(せきやどのりはち)」に調査を命じる。
ところが、お勝と利八は、その昔、盗賊の掟を破って深い仲となり、厳しい制裁を受けて止む無く離れ離れになっていた。
その二人が再会してしまい、平蔵のもとから姿をくらましてしまう。
お勝は、兇賊(きょうぞく)「霧の七郎(なごのしちろう)」の配下であったが、姿をくらましたことで命を狙われるはめになってしまう。
歳甲斐もなく、と思ってしまいがちですが、人間いくつになっても恋心を忘れてはいけないと思うのです。
人を好きになることは活力の源にもなり、人生をより豊かにしてくれるのではないでしょうか。
そして、いつまでも若々しくいられる秘訣でしょう。
一、巣鴨村 三沢仙右衛門の屋敷
何度か三沢仙右衛門の屋敷については記していますが、この三沢仙右衛門が当主を務める巣鴨村の三沢家は、小説上では長谷川平蔵の実母の実家という設定になっています。
実際のところ、平蔵の実母の出身についてはわかっていません。
今の巣鴨とは比べものにならない田舎であり、一部町屋が混在する田園・農村地帯でした。
その村の庄屋(しょうや)であり、豪農だった元武家の家柄が、この三沢家なのでしょう。
そもそも庄屋だとか大百姓(おおびゃくしょう)、名主(みょうしゅ)や大地主や豪農という家というのは元々武家でした。
その土地の豪族であったか、荘園(しょうえん)や国衙領(こくがりょう:公領)に配属された地頭の末裔だったと思われます。
鎌倉時代以降配置された守護大名の配下など様々で、中には平家や滅ぼされた戦国大名の落人などの末裔ということもありました。
東京で言うと、私の知る限り、渋谷には今でも元領主であった澁谷家が存在しています。
地方でも、例えば長野県北佐久郡御代田町小田井(みよたまちおたい)には、今でも旧領主の末裔を称する尾台(おだい)氏が住んでおり、この地域には小田井城跡が残されています。
長谷川平蔵の実母に関することや、長谷川平蔵の生い立ち、なぜ妾腹の平蔵が長谷川家の家督を継いだのか、そして長谷川家の歴史については既に『女掏摸お富』などで記しているので割愛させていただきます。
二、王子権現と王子稲荷
王子権現は、現在王子神社と称しています。
創建年月日は不詳。
ただ、平安時代に源義家が奥州征伐の途中に立ち寄って甲冑を奉納したり、鎌倉時代末期に領主だった豊島(としま)氏が社殿を再興したりと、歴史は相当古いと思われます。
祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五神。
王子稲荷は、現在王子稲荷神社(東京都北区岸町)と称します。
王子神社と隣接しており、古くは岸稲荷と称していました。
東国三十三国稲荷総司の伝承があり、民話「王子の狐火」、落語「王子の狐」でも有名です。
王子神社同様、創建時代は不明、平安時代以前であるといわれています。
毎年大晦日の夜、諸国の狐が社地の東にある古榎付近に集まって装束をあらためるといわれ、江戸時代、狐火で有名だったそうです。
祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、宇気母智之神(うけもちのかみ:保食神とも書く)、和久産巣日神(わくむすびのかみ)。
ちなみに、小説上では王子権現の参道に山吹屋があることになっていますが、テレビシリーズでは王子権現の北側にある王子稲荷の参道が舞台になっています。
王子権現も王子稲荷も金輪寺(東京都北区岸町:禅夷山東光院金輪寺といいましたが、明治の神仏分離令で廃寺になりましたが、再興され、現在は真言宗 王子山金輪寺と称します)が別当を務めていました。
三、山吹屋(やまぶきや)
山吹屋は、王子権現近くの飛鳥山の南の山裾の参道沿いにあったことになっています。
飛鳥山は江戸の昔から桜の名所でした。
また、ここには渋沢栄一翁の旧邸「曖依村荘」跡にに渋沢栄一資料館があります。
山吹屋は、滝野川村の茶屋街付近にあったという設定なのでしょう。
江戸時代、こういった茶屋は寺社門前に存在していたようです。
ここに登場する山吹屋というのは、池波正太郎先生の創作ですが、茶屋街は存在しました。
四、本所回向院(ほんじょえこういん)
関宿の利八は、長谷川平蔵の密偵として働くようになった元盗賊。
大盗賊で殺さず・犯さず・貧しき者から奪わずの三ケ掟を守った「夜兎の角右衛門」の配下でした。
この夜兎の角右衛門は、本所の回向院裏で小さな小間物屋を営んでいました。
本所の回向院は、東京都墨田区両国二丁目にある寺院で、江戸時代に発生し、江戸城の天守閣や本丸御殿までも焼失してしまった明暦の大火「振袖火事」で亡くなった方々の供養のために、四代将軍徳川家綱が隅田川(旧大川)の東岸に「万人塚」という墳墓を設け、遵譽上人に命じて無縁仏の冥福を祈るため大法要を執り行いました。
この時、念仏を行じるお堂が建てられたのが回向院の始まりとされています。
この回向院には、鼠小僧次郎吉の墓などがあります。
諸宗山無縁寺回向院(しょしゅうざんむえんじえこういん)と称します。
振袖火事の犯人は、八百屋お七と言われています。
八百屋お七は江戸本郷の八百屋の娘で、天和二年十二月二十八日の大火(天和の大火)で焼け出され、親と共に正仙院に避難しました。
避難生活をする中で、お七は寺小姓の生田庄之助と恋仲になってしまいます。
暫くするとお七の自宅も建て直され、寺を引き払いました。
お七は庄之助への想いが断ち切れず、想いは強くなるばかりでした。
そこでお七は、もう一度家が焼ければ、また庄之助に会えると考え自宅に放火しました。
それが振袖火事という明暦の大火の原因であると言われていますが、後に落語などで創作されたものではないかとの話もあります。
お七は自宅に放火した際、直ぐに消し止められボヤに留まりましたが、放火の罪で捕縛され、鈴ヶ森刑場で火あぶりに処せられたと言われています。
岡山県久米郡久米南町里方にある浄土宗誕生寺(浄土宗開祖 法然上人誕生の地:漆間家(うるまけ)屋敷跡に建つ寺院)の資料館に、八百屋お七の振袖が展示されています。
五、『兇賊・霧の七郎』の盗人宿『数珠屋・油屋』
小説には、兇賊 霧の七郎の盗人宿「油屋」は、東京都文京区の浄心寺の門前町と通りを隔てて大円寺の三門へ通ずる小道の角にあった。
長谷川平蔵以下火盗改の捜査陣が大円寺の山門に集結する。
油屋は数珠屋ということなので、小説の中のお話し『いろは茶屋』の数珠屋「油屋」とかぶってしまいますね。
浄心寺は、今はありませんが、大円寺の参道左側角を油屋を設定したのではないかといわれています。
大円寺は曹洞宗のお寺で、金龍山大円寺と称します。
安土桃山時代、慶長二年(1597年)に神田柳原に創建され、慶安二年(1649年)に現在地へ移転しました。
境内には砲術家の高島秋帆の墓があり、振袖火事の犯人 八百屋お七由縁のほうろく地蔵もあります。
また、不思議なことに、この堂後に仁徳天皇陵と伝える古塔があるといいます。
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