#13 2022年まとめ
約2年ぶりの投稿。
今年の3月、新卒入社後12年間過ごした日立を後にして地元愛知に引っ越し、早9ヵ月が経った。
この歳になって、住み慣れた町、慣れてきた仕事、何より仕事やバスケを通して苦楽を共にした人達と離れるという人生最大の決断。
今でも、あのまま日立にいたらどうなっていたんだろう… と思うときがある。
2020年にバスケット選手として区切りをつけ、
これまでバスケにかけていた時間が、家族と過ごす時間となり、自分自身を見つめ直す時間にもなった。そして色んな思いを巡らせることになった。
これからの人生をどうしていきたいか?
自分は一体何がしたいのか?
家族にどういう人生を送ってもらいたいか?
仕事ができるようになったのではなく、ただ慣れてきただけではないか?
バスケからこのまま離れて良いのか?
慣れた環境に身を置くことが本当に幸せなのか?
幸いにもミニバスから社会人までずっとバスケを続けることができ、その過程では当然辛いこと苦しいことはありながらも、ほぼ受験知らず就活知らずでここまできた。
バスケを続けてきたのは自分、その中で努力してきたのも自分、進路や就職先を最終的に選択したのも自分自身であるものの、バスケをやってこれた裏には、両親のおかげ、素晴らしい指導者、チームメイトに恵まれたおかげで、何不自由ない誇れるようなバスケ人生を歩んでこれた。
言ってしまえば、バスケによって、周りの人たちが作ってくれた環境によって、敷かれたレールの上をただ歩いてきたような人生だと思ってしまった。
年齢も年齢、仕事含め自分にとって絶頂期だと思った今のタイミングで行動しなければ、この先も行動に移すことなく、きっと誰かが作ってくれたレールの上をひたすら歩き続け、歳を重ねていくのだろうと。
(もちろん家族あってのことなので、考えに考え抜いて総合的に判断した結果ではあるが、)
そんなこんなで12年間お世話になった大好きな会社を退職することを決断、4月から地元愛知の新たな会社でスタートを切ることになった。
さてさて。
34歳にして新天地で華々しく活躍…
とはいかず、バスケとは関係のない場所で、人間関係の構築も一から、且つ未知の業界で新たな知識を習得しながらやっていくのは想像を絶するほどハードだった。
中々会社に貢献できない日々。周りは高学歴で優秀な人ばかり。一方自分は力もないのに社会人経験だけは12年、勝手に背伸びをして自分を追い込んでいき、心も疲弊していった。
平日に息子たちと会う時間もなくなり、家族には辛い想いをさせ、誤った判断をしてしまったと思うことさえ多々あった。
辛さへの慣れに加え、家族の支え、前職でお世話になった人、元チームメイトから連絡をもらったり、現職でのサポートも受けながら、今でこそようやく前向きな気持ちで仕事に向き合えるようになったが、この半年間は人生最大の試練と言えるような時期になった。
『転職して良かった!!』
とは口が裂けてもまだ言える状況でなない(笑)。
まだ一年にも満たない状況で、やはり前職での勤続年数が長かった故どうしても比較してしまう部分もあるため仕方ないとは思いながら、
・今まで仕事ができるようになった(ビジネスマンとして成長してきた)と思っていたのは、ただ仕事に慣れていただけだと気付けたこと。
→何歳になっても学び成長し続けることが必須!
・どんな仕事でも基本はマインドにあり、人を大切することから始まることを改めて認識できたこと。
→感謝、誠実さ、利他の心、思いやりを忘れずに!
・自分の決断した道で、乗り越えなければならない壁と直面できたこと。
→ “簡単すぎる人生に、生きる価値などない”
byソクラテス
この歳で気付けて経験できて良かったなと。
来年もこのまま防戦一方のスタンスで許されるわけないので、日々自己研鑽をし、学び、成長していきたい。
というのを来年に向けての意気込みとし、素晴らしい年越しを迎えよう。
※以下は今年年初の決意表明。
一応果たせたかな。
ありがとう2022年!!
それでは皆さん、良いお年を。