見出し画像

対話すること

 新潟に帰ってきた。寒い、寒いねぇ。もう空気が冬だ。
(最初の写真、ライトがまぶしくてどこかよく分からないな(笑))

 note、しばらく空いてしまったな。「新潟に帰ってきた」というのはどういうことかというと…しばらく家族の事情で仙台に行っていた。なんかまだ整理がつかないので、そのことについては、今はまだ書かずにいようかな。

 今日は(というかもう朝方なので昨日か)、仙台の街を歩いて、本屋さんに行ってきた。途中で、せんだいメディアテークの横断幕?(なんて言ったらいいんだ、あれ。)とにかく、その言葉が目に付いた。

間の見えにくい部分は、
「…それが対話だ。『分かりあえない』『伝わらない』という戸惑い…」と書かれている。

 特に印象に残った言葉を下に抜き出しておく。

 対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるために試みられるものではない。語りあえば語りあうほど他人と自分の違いが繊細に分かるようになること、それが対話だ。

せんだいメディアテーク館長 鷲田清一

 人と話すのは、相手を理解するために行うものだと思っていた。でも、違うのか。自分との違いをよりはっきりさせるために行うものなのか。いや、でも、それが、相手を理解することにつながるのか…?うーーん、分かったような、分からないような…。

 でも、そういえば…。この間も、トルコに留学中のKちゃんと電話をしていた。その中で、「私は人といること、人と話すことが全然苦じゃない」という話をしたときに、Kちゃんは「いや私は1人になりたくて仕方ない」と言っていた。「あ、こんなに人の感覚って違うのか」と、改めて驚いた。
 思い起こせば、「私は人といるのが好きだけど、Kちゃんは1人でいるほうが好き」みたいな話は、たくさんしてきたはずだ。でも、やっぱり相手の感覚を知ると、新鮮な気持ちになる。…そういうことか。話せば話すほど、相手との”違いが繊細に分かるようになる”。あくまで、よりはっきり見えてくるのは自分と相手の違いであって、相手そのものではないのかもしれない。他人のことなんて「分かる」ようになんてならないんだろうな。
(…なんて、まるで理解できたかのような書き方をしているけど、この文章を書きながら、ようやく少し分かってきたかも?くらいです。)
 
 余談だけど、そんな2人が、1週間に1回くらいのペースで1時間も電話してるの、よく分からないよな(笑)(国際電話も無料でできてしまうLINE電話に感謝だ…。)1人でいたいのに、なんで私の話はそんなに聞いてくれるんだろうなぁ。やっぱり、よく分からない。でも、そういう友だちは貴重だなと思う。ありがとうね。

 やべー、文章がうまく書けなくなっている。(今まではうまく書けていたのかと聞かれるとよく分からないが。)1人になって落ち着くと、心の中にいろんな言葉や考えが浮かんでくる。また少しずつ、自分の中の言葉を残していけたらいいな。


いいなと思ったら応援しよう!