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ブラジルで協力隊           おばさん隊員の本音

Bom dia
JICAの海外協力隊でブラジルに派遣されてます
ポル語の話せない おばさん隊員です

今日は協力隊員になった話

なんで、この年になって協力隊に参加したのかって
挨拶のように、訓練所でもよく聞かれたけど、

60歳の定年まであと少し、だけど定年になってあれもやりたい、これもやりたいって思った時に健康でいられる保証はない。
今ならば、まだ健康状態もまずまず、幸い両親も元気で生活ができている。
やりたいことをやれるうちにやろうと思って・・って言ってたけど

本当は
本当は・・現実逃避・・

残業の毎日で、休日出勤当たり前、1人仕事だから自分でやらないと終わらない、通常業務にプラスされた厨房全部の引越しと改築業務、ムリですよ・って感じの日々。更年期も重なり多分余計にイライラしていたというのもある。どんだけ働いても残業は上限の40時間しかつかない。健康な体を親に感謝すべきなんだけどこの時ほど、病気になりたいと思う自分がいた。何カ月続いたんだろうね‥もう忘れた。1人で厨房の片づけをしてると涙で何度手が止まっただろう、マスクを何度外しただろう・・もう記憶がない。

心が疲れてるときは、疲れているのになぜだかいつも以上にフル回転しちゃうんだよね・・・

「仕事やめてもいい?」単身赴任中の夫に言った
心の片隅にずっとあった、あたし「協力隊に行きたい」

そして次々と理由を引っ張り出してくる

1,「南極ではたらく かあちゃん調理隊員になる」の綿貫さんの講演を聴
  く機会があり、レベルが違うけど同じような考え方であったことと
  「NOではなくYESの選択を」 
  「問題が起きたらどう対応するか」という面接官の質問に対し
  「その場(現地)で考えます」と答えた  
という言葉が印象的だった

2,ザ・ブルーハーツの「情熱の薔薇」が歌いたくなった
       答えはきっと奥の方 心のずっと奥の方 ← 協力隊
    涙はそこからやってくる 心のずっと奥の方 ← 
やってみよう
    情熱の真っ赤な薔薇を 胸に咲かせよう ← 咲かせよう!!
         花瓶に水をあげましょう 心のずっと奥の方 ←水をやらないと枯
    れてしまう

3,竹内まりあの「人生の扉」 そう、私の人生だもの
              気が付けば五十路を超えた私がいる  ← ほんとにそう
           But I feel its nice to be fifty    ← そう、そう思う!!

4,「ちょっと今から仕事やめてくる」 映画のあのシーン
    バヌアツに行って子供たちと楽しそうに走ってる
    ← お金も大事だけど 笑っていたい 

5、 その他
  ・中学校の時の先生が、協力隊だったのかな?海外の途上国の話を良く
   していたのを覚えている
  ・「栄養士として日本で働くのもいいけど、協力隊とかで海外で働くの
    もありだよね」
 と授業で言ってた何年も前の専門の時の先生の話
  ・協力隊に参加した人が実は周りにいる
  ・坐禅やお遍路に参加して気持ちがリセットされた
  ・他いろいろ

でも、本気で「行きたい」と願った、そして四国を歩きながらお願いごとに書いた。最後のチャンスかもしれないと思ったから、覚悟して応募した。
私ができる、やりたい仕事で選んだので派遣国は正直どこでもよかった。
どうしてもこの国に行きたいと選ぶ方もいるようですが
案の定、健康診断はかなり細かくて、医者もこのくらいは大丈夫だけどねというくらいの再検査もあった。過去の病状については診断書が必要なものもあり、誕生日に医者巡りの日々が続いた。
家族からは、勉強とコミュニケーションがちょっと苦手だからなと、心配された。過去に管理栄養士の試験は3回受験、保育士は1科目だけ2回合格しなくて実技に進められなかったなどの経験あり。語学大丈夫か・・・・・

2023.4月 1年前に「隊員候補生」として合格をもらった。
それも第一希望がそのまま合格となった。
隊員の中には希望したところではない派遣先とかいろいろあるようです。
実は私が希望していた第二希望の職種には、若いかわいい新卒の隊員が派遣されるのが訓練所で判明した。えっびっくりです。
本当に行けるのか不安もあったし、両親には半年内緒にしていた。
そして雪の訓練所での生活。
毎日が?? いろんな面でみんなについていけない自分がいた。
先生に助けられた。
無事に3月修了し、隊員候補生から「隊員」になった。
もう、ブラジル行きの日にちも決まってる。
なんと、おばさん隊員のためにみんなが動いてくれている。感謝!!
仕事ではなかったな、こんな事。最高にうれしすぎる。
実家に帰って、久しぶりに両親といろんな話をした。
2年間、海外協力隊としてブラジルに行きます。
お葬式には帰りませんので元気でいたくださいとお願いする。
人生初めてのスーツケースを買った。みそ汁と梅干とチョコを詰めた。
長時間の飛行機初体験 São Pauloに着いた。
言葉が、おばさんにとっては怖い、余計にしゃべらなくなった。
語学研修期間は覚えては忘れ、覚えては忘れていく毎日を過ごし、
3週間のSão Paulo滞在中どこにも行かなかった、というか行けなかった。
最終プレゼンも、先生に私だけ大幅に修正された。ちょっと悔しかったな。
任地に1人、車で連れてこられた。
あいさつ回りするが緊張のあまり全く覚えていない。
今日からここが私の住まいか、たっぷりのカギを渡される。
(JICAの規定により家の問題や施錠は厳しい)
翌日から仕事に行く。
そして、今、2か月経った・・・・

2022.7月、残業続きで栄養士なのにスーパーの半額弁当を食べていた2年前の笑えない私ではなく、ポル語に苦労しているけど一歩踏み出した私がいるのは日本の反対側ブラジル。
今は、今で、悩みもあるが、生きている。
日本食は食べたいなと思うけど、果物がおいしい。

苦手なことだらけの毎日だけど、
今日はスーパーで白菜を買ったら、レジのお姉さんが
Acelga, yakisoba ,muito bom
だったのかな?しゃべりかけてくれた
やきそば ムイト ボン
日本語的に返したけど‥通じたみたい。親指立ててくれた。
ブラジルで心が開いた瞬間だった。

ブラジルでやきそばというのは、あんかけ焼きそばです
ちちなみにR$30 coca R$9
そして白菜は「watanabe」って書いてありました。
大きくてしっかりしていて重かったです。なんとR$4,69安い!!

まだまだ、桜は満開にはなりません。
でも、ブラジルの暖かい太陽と一緒に
Pouco a pouco

では、また。






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