産後本を読めなくなった私が文章を仕事にするまで⑧

2回の大きな手術、交換輸血などを経て

息子は何とか、生き延びた。

入院期間は生後4か月にものぼったが、少しずつ、着実に成長し

生まれてすぐの「生かされている」状態から

自力で「生きている」状態になってきた。

笑顔を見せるようになり、

それだけで「あの日、同意書を書いてよかった」と思った。

息子は退院後もしばらくは医療ケアが必要で、毎日大変ではあったが

上の娘が幼稚園に行き始めた喪失感をちょうどよく埋めてくれた。


忙しい、のは考えなくていいということで。

でも子育ての忙しさというのは、本当にあっという間になくなってしまう。


息子が1歳になった。

呼吸の補助がすべてはずれ、ぱたぱたと公園を駆け回る。

体は弱いものの、姉たちによくなついていて

3人目らしく、手のかからない子だった。


私の仕事はどんどん減っていった。

同時にあのモヤモヤがまた顔を出してくる。


私、「社会」から取り残されちゃってるんじゃない?

子どもって思ったより早く離れていくんじゃない?

「母親」ってライフワークにはできないんじゃない?


次女の幼稚園入園が迫っていた。


私のエネルギーは

長女と次女がいない間、息子に全て行ってしまう。

同じ1対1でも、長女のときとはわけが違う。

あの頃の私とは比べ物にならないくらい

今の私はパワフルだ。

三児の育児と医療ケアとをやってのけていたエネルギーを

全て注がれる息子の育児は長女と全然違うものになるのが想像できた。


息子は可愛い。

だからこそ

このままじゃ絶対にうざい過保護な母親になってしまう。

息子だってあと2年くらいで離れてしまうというのに。


発散しなければ。

子どもに依存しないように

自分1人でも楽しくやりがいのあることを見つけなければ。


社会に、出よう。



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