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小説『ヌシと夏生』18_テルテル坊主

テルテル坊主

わせっか、わせっか……。

小さな声で誰かが掛け声をかけている。わせっか、わせっか。聞き慣れない掛け声だが、何だか楽しそうだ。ふと、消灯時刻をとっくに過ぎた病室の中で掛け声が響いていることの異様さに気が付いてしまう。

くるりと囲ったカーテンの向こう、となりのベッドからは静かな寝息しか聞こえてこない。わせっか、わせっか……。

上だ。天井とカーテンの隙間から、声が聞こえる。カーテンが小刻みに揺れている。誰かがよじ登って来る。わせっか、わせっか……。

◇◇◇

「げっ!」

スマホをのぞいていた夏生が思わず声を出す。ソファの上でだらりと横になっていたヌシが頭を上げた。

「どうかしたか?」

「酒飲み地蔵って、お地蔵さんが話題になってる……」

記事では、化け猫のスナックでバイトしているお地蔵さんの姿が、新聞社の運営しているニュースサイトに画像入りで掲載されていた。

「コースターに願い事を書いてドリンクをお地蔵さんの前に置く。もしもドリンクが飲み干されていれば、願いは叶う……。ってすごいな」

「酒をごちそうされれば、誰だって多少のお返しはするだろう」

「当たり前のことを、何を今さら」とでも言いたそうに、ヌシが大きな口を開けてあくびをした。

「店には若い女性だけでなく、人生に迷ったおじさんたちも訪れ、入れない人もいるって……って、そんな力があるんだったらどうして俺を金持ちにしない?」

窓の外を向いて佇むお地蔵さんの後姿に問いかけるが、お地蔵さんは微動だにしない。

「アルバイト代は夏生にすべて渡している……と言っている」

言葉を発しないお地蔵さんの代わりにヌシが答える。

「バイト代?そもそもバイト代自体が安すぎるだろ。東京都の最低賃金以下だ。酒飲み地蔵の所有者として、その辺はしっかりしないと」

「貴様の所有物ではない……と地蔵が言っている」

さらにヌシの通訳が続く。「悩める人を助けるは仏の道。そこにバイト代などない。あるのは布施だ」

「石頭」夏生はつぶやく。

もう少し楽な生活がしたいが、怒らせるとこのお地蔵さんが危険なのは身をもって知っている。初めて会った時にはこの石頭に駅ごと破壊されるところだった。この辺で引き下がっておいた方が良さそうだ。

と、インターフォンが鳴った。ドアを開けると「お地蔵さ~ん、お迎えに来たよ~」と、化け猫が台車を押して立っていた。

「お邪魔します。どう?ヌシちゃんもうちで働いてくれる気になった?」

ソファの上に起き上がったヌシの横に腰かけて、化け猫が口説き始めた。

「ネットで話題になってたよ。願いが叶う酒飲み地蔵だって?」

夏生がスマホの画面を見せる。

「そうなの。お地蔵さんのおかげでお客さんも増えたし。お店が繁盛して超嬉しいよ!すごいのがネット見てきたお客さんって、皆お地蔵さんの分もドリンク頼んでくれるの。悩みがある人って一人でお店に来るケースが多くて、でも、お地蔵さんと二人分注文してくれるでしょ。私が飲むと酔って暴れちゃうから大変だけど、お地蔵さんは飲んでも静かだし」

「なるほど」

つい感心してしまう。

「壁紙が破けてたの貼り直したいし。お店の修理の費用ももう少しで貯まりそうなの」

「壁紙破いたのも店壊したのもお前だけどな……」

この猫の飼い主は飲み屋を開いていた。しかし体調を崩して入院。店は閉めた。

個人でやってる飲食店の厳しさは、店主が体調を壊すとすぐに経営の危機に陥ることだ。主人思いの猫は店の灯が消えるのを黙って見てはいられなかった。だから、人に化けて自ら店を切り盛りしている。いつでも主人が帰って来られるように。と、ここまではいわゆる美談なのだがこの猫、自分が酒乱ということを知らずに客がすすめるままに酒を飲み、店の中で暴れて店内を破壊しつくしてしまった経緯がある。

「店がきれいになるのか?それは良かった」

慣れない二本足でこんなに頑張って。ヌシが「偉いな」と化け猫の頭をなでると、猫も嬉しそうにごろごろと喉を鳴らす。

「土曜も店を開くんだ。大変だな」と夏生が感心する。「やっぱり自営って大変なんだな……」

猫でさえ、人に化けて飲み屋を経営しているのに、自分は「会社を辞める」と創業者で現会長である美津さんに辞表を預けたまま、ずるずると会社に居座り続けているのが、恥ずかしい。

「ところで今日はいつもより迎えが早いみたいだけど。牛乳でも飲む?」

夏生が猫に牛乳を。ヌシと自分にインスタントのコーヒーを入れる。

「うーん。実は今日は夏生さんとヌシちゃんに相談があって」

「相談?」

「うん。私のご主人様が入院している病院で、泥棒騒ぎがあって。ティッシュペーパーが盗まれちゃうんだって」

「ティッシュが?」

まあティッシュも無料ではない。入院していると買いに行くのも大変そうだし。そういう盗難騒ぎも起こるものなのかもしれない。

「ティッシュの箱に名前とか書いておけば良いんじゃないの?」と夏生が聞くと、猫は「ううん。そんなに単純じゃないの」と深刻な顔で首を振る。

「ティッシュを買うでしょ?」

「うん」

「それが朝起きると全部テルテル坊主になってるんだって」

猫が眉間にしわを寄せてため息をつく。

「誰かのいたずらってこと?」

「それがね、私のご主人様が夜中、変な掛け声を聞いたんだって。それで朝起きたら、箱の中のティッシュが全部なくなってベッドの上にテルテル坊主の山ができていたんだって。私も見たの。こんな山だった」

猫が両手を大きく広げてテルテル坊主の山を表現する。

「山って……。ティッシュ薄型の箱で百六十枚から二百枚くらいあるだろう?薄いの二枚重ねて一セットを一枚としてね。だから仮に、一つのテルテル坊主を作るのにティッシュ二枚必要だとするとひと箱全部使って百個くらいのテルテル坊主ができる。それだけの山って、何箱使うんだろう」

夏生の疑問に「そうなの」と化け猫が乗り出してくる。

「いくつかの病室でティッシュの箱が消えてて、ご主人様のベッドにテルテル坊主の山でしょ?疑われちゃうんじゃないかって。私ちょっと心配で」

「じゃあ病院に行ってみようか?お店の開店までまだ時間あるでしょ?」

夏生が立ち上がる。

「今日は特にやらなくちゃいけない仕事もないからさ」

自分で言っておきながら、会社が休みの日は何もやることがない四十男であることを改めて思い知らされたようで、ちょっと怖くなる。

ヌシも「危ないことはなさそうだけど」と湯呑みを流しに運ぶと、玄関に下りて靴を履いた。靴下は嫌がるが靴は気に入ったようだ。お地蔵さんも台車に飛び乗るのを、「病院にお地蔵さんはやめた方が良い」と夏生が止める。

「何で?」

猫が不思議そうに首をかしげる。

「何も知らないほかの患者さんが、入院中にお地蔵さん見たら、何というか『お迎えが来た……』って思うじゃない?縁起が悪いっていうか」

「迎えって?」

「もうすぐ死んでしまうんじゃないかなって、連想してしまうというか……」

「どうして?」

説明したところで伝わるとは思わないが、一応試みる。

「お地蔵さんってほら、三途の川の賽の河原で、子どもをいじめる鬼から守ってくれるとか、地獄の閻魔様の化身とか言われてるんだよね。ただでさえ、病気でナーバスになっている人にとっては、あの世の象徴というか。考えたくもないのに、死を意識してしまうというか……」

「なぜ?」

案の定、猫にもヌシにも、当然のことながら当事者であるお地蔵さんにも、全く理解されそうな気配はない。

「お地蔵さんってのは、とにかく俺ら……。つまり、普通に生きてる人たちにとってはそういう存在なの。別の世界というか。だからもしも出歩くんだったらそれなりに姿を変えるとか。この猫みたいに。そうしないと見た人が怖がるの」

「石だからな。化けるのは無理だ」

ヌシが「わかっているくせに、夏生はかわいそうなことを言う」と非難する。猫が「まあでもそういうことならしょうがないですよ。昼間だし」と夏生のフォローに回った。

結局、「後で迎えに来るからね」と、人に化けた猫とヌシと夏生の三人で部屋を出た。

(つづく)

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