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小説『ヌシと夏生』11_ろくろ首

そう女が叫んだとき、ふっと首の力が緩んだ。思い切り引っ張っていた夏生の体がバランスを崩して後ろに倒れる。倒れながら男の首が胴体から離れて宙を飛ぶのが見えた。締め付けられすぎて首がちぎれたのか。

夏生の耳に、自分の悲鳴が聞こえる。その声が自分のものだと気付くまでに若干の時間がかかった。だが、「ああ今、悲鳴を上げている」と認識したとき、ふと疑問がわいた。
ちぎれた飛んだ男の顔が、宙に浮いたまま落ちてこない……。
しかも何か言葉を発している。

「……まったく毎晩毎晩オリーブオイルをなめやがって。そんなんでダイエットなんてできるわけないだろ?」

「ストレスよストレス。オリーブオイルくらい舐めなきゃやってられないわよ。仕事だ仕事だって。そんなに毎晩遅くなるわけ?朝も始発で会社?冗談。あんたが朝、仕事に行く前にどこに寄ってるか知ってるんだからね。今度私も一緒に行ってやろうか?うちの主人がいつもお世話になってるんだから。お礼くらい言っとかなきゃね?女子大生か?」

「……あの?喧嘩の最中にすみませんが大丈夫ですか?首、抜けてますけど?」

夏生が恐る恐る、リビングに浮かぶ男の顔に声をかける。

「あっ……」

夫婦の声がそろった。

「気付いてなかった?」

「飛頭蛮……」

女の首が歯ぎしりをすると、今度は宙に浮いた首に襲い掛かる。男の首は妻の頭突きを器用によけながら、女の伸びた首に食らいつこうとする。

「気のせいか、さっきより激しくなってないか?夫婦喧嘩……」

夏生がうめくようにつぶやくのを「まあ外来種と在来種の争いだな」とヌシはこともなげに言う。

「どういうこと?」

「男の方は飛頭蛮といって中国から渡ってきてる。女の方は生粋の日本のろくろ首だ。傍から見れば同じようなものだが」

「最近問題になっているタニシやブラックバスと同じか?」

「あれは繁殖しすぎで厄介だが、この夫婦の場合はどっちも生物的には絶滅危惧種だからな。日本の朱鷺に中国の朱鷺を連れてきて結婚させるのと似てるかもしれん」

「何をぶつぶつ言ってる!?」

突然男の目が夏生の目を捉えた。

「見られたからにはただじゃおかないよ」女の首も夏生をにらみつける。

「しょうがないな」

すっとヌシが夏生の前に立った。夏生の手を取るとあごの下をそっとなでる。なめらかなたい感触が夏生の手の甲に伝わってくる。真っ白なヌシの背中がまた夏生をかばうように大きくなったように見える。

さっと手を振り上げると突進してくる女の首のほほを力いっぱいびんたする。返す手で男の首のほほをひっぱたく。バシッという大きな音が二度、部屋中に響いたかと思うと、フローリングの床に夫婦の首が転がって目を回していた。

二つの首の髪の毛を鷲掴みにして、ヌシが「夫婦喧嘩を止めるか、ここで絶えるか?どちらを選ぶ?」

◇◇◇

「紅茶を入れなおしたから。良かったらどうぞ」

女がカップに温かい紅茶を注ぐ。首は普通の長さに戻っているが、左のほほには紅葉のように真っ赤な手形が残っている。

「ごめんなさいね。血が止まるまで横になっていらしたら?」

「だめだよ。鼻血は横になると胃に血液が流れてかえって気分が悪くなるよ。どうぞゆっくりとお座りになっていてください」

氷を入れたビニールで鼻の頭を冷やす夏生に男が、「首も冷やした方が早く血が止まると思います」と解熱用の貼るとひんやりするシートを差し出す。

「ケーキもまだありますよ。良かったら召し上がってください」

女がヌシにさらに勧める。

お皿を並べる男も首は元通り、胴体にくっついている。だが、やはり右のほほは真っ赤に腫れ上がっている。口の中が切れているのかもしれない。何だか活舌が悪い。

「いただきます」

ヌシが嬉しそうにケーキに手を伸ばした。

「よく食えるな。さっきも睡眠薬入りのをあんなに食べたのに」

「ごめんなさいね。今度は薬も入ってないから安心して召し上がって」

「薬なんか入っていても入ってなくても関係ないな。だって奥さん、お料理上手なんだもん」

「あら嫌だ、嬉しい」

ヌシの言葉に顔を赤らめる。その姿だけを見たら、ろくろ首だなんて思いもよらないだろう。

「しかし、まさか自分自身の首が飛ぶなんて思いもよりませんでした」

男が恥ずかしそうに言う。

「私も。まさか貴方が飛頭蛮だったなんて。偶然ってすごいわね」

女も何だかもじもじとしている。

「知ってたの?」

夏生がヌシに尋ねる。

「なんとなく。首に点の印が付いてたから。昔、誰かに聞いたような記憶はあるんだけど。でも飛んでる首を見たのは初めてだ。楽しかった」

何だかよくわからないが、ほんわかとした笑いで部屋中が包まれた。

「僕たちはこれで。そろそろ失礼しようか。まだ終電は間に合うかな?」

夏生の言葉に「まだ食べてる途中」と、ヌシはまたケーキに手を伸ばす。

「もっとゆっくりしてってくださいよ。タクシー呼びますし、何なら泊まっていってください。遠慮なさらず」

せっかく夫婦が仲直りしようという夜だ。あまり長居するのも野暮なのでは?

「いえ。もう鼻血も止まったようですし。ヌシ。もうご馳走様して。帰ろう」

「あ。じゃあこれ。今回の依頼料です」

男が差し出した封筒は、ちょっとした厚みがあった。

「お互い絶滅危惧種ですし。夫婦仲良く、助け合ってこれからやって行きます。本当にありがとございました。あと美津さんには仲直りしたとだけ伝えてください。首のことはどうか……」

「もちろん内緒にしておきます。それではありがとうございました。またのご依頼お待ちしています」

ケーキを食べ終えたヌシが頭を下げる。
夏生も「ありがとうございました」とつられて頭を下げる。
ただ、この夫婦から今度は何の依頼を待つつもりなのだろうと、ふと不安になった。

ろくろ首
村の山には首が抜ける山小父がいた。もともとは異国から流れ着いたと言われていた。また、江戸からやって来た見世物小屋の首が三十尺も伸びるという女が山に逃げたとも言われている。どちらもいつしか、ろくろ首と呼ばれるようになった。山小父と首の伸びる女は夫婦だったともいわれる。

美津さんの元夫の手記より


(つづく)

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