【戯曲・短編】午前2時のふたり
第1夜
男:とりあえず、世界中の皆が、幸せになってくれますように。
男女:あ。
男女:す、すみません。
女:あのー…….。
男:何か?
女:私のこと、見ました?
男:はい?
女:私のこと、見ました?
男:「見ました?」って……えーと、まあ、普通に今、見えてますけど……。
女:それは、困りました。
男:何か、不都合でも?
女:はい、とても困ります。
男:それは失礼しました。でも、暗いですし、そんなにしっかりとは見えていませんから。
女:そういう問題じゃないんです。はっきり見えないとか、暗いとか。どうでも良いんです。「見た」ってことが問題なんです。「見た」か、「見ていない」か、2つに1つです。
男:だから、「見た」って言ってるじゃないですか?見ました。でも、暗いからはっきりとは見ていない。でも見たことは見た。
女:見たんですね?
男:はい。見ました。何か、問題でも?
女:……大きな問題です。おそらく。
男:おそらく?
女:……。
男:……まあ、はじめはちょっと見えただけですけど、こうもしつこく聞かれて、わけの分からない会話をしている間に、ますます、見てしまいますよ?
なんだか、変なもの持っているし、頭にろうそく立ててるし……。
もしも私の記憶に、たとえばあなたの顔が残るとか、そういったことが問題なのだとしたら……。
……考えられる状況としては、あなたが今、犯罪を犯している最中である、もしくは犯罪を犯した直後で逃走中である場合ですね。
で、あれば、確かにあなたの情報が私の記憶に残っていたら問題です。
しかし、この場合、あなたの今の行動は全く逆の結果を生むことになります。
何しろ、あなたが私に「見たか?」としつこく聞けば聞くほど、私の記憶にあなたは深く刷り込まれることになる。
不愉快だからすぐに忘れるとは思いますが、それでも、仮に警察があなたの写真か何かを見せて、「知らないか?」と尋ねたら、間違いなく「知っている」と答えますね。今となっては。
女:その辺は、どうでも良いです。私にとっては「見られた」という時点で、すべてが終わっていますから。
男:なるほど。「見た」か?または「見ていない」か?が重要であって、どのくらい見たのか、たとえば見たけれど1秒以内とか、1分以上にわたってじっくり観察したとか、という見るという行為の質や、分量、ここでいうと時間などのレベルの問題ではないと?
つまり、私の記憶にあなたが残ろうが残るまいが関係なく、あなたを「見る」という行為が問題となっていると、こういうわけですね。
女:そうです。
男:分かりました。
神社の境内という場所や午前2時と、ちょうど終電も終わって1時間ほど経過してしまった時間帯を考慮すると、何ですか?
あなたは幽霊か何かで、本来であれば生きている人間。しかも私のように霊感とか、第六感とかにはまったく無縁な35歳独身男性は見てはならないと?
女:年齢と性別は関係ありません。とにかく見られては困るのです。
男:納得はできませんが、あなたが「見られてはならない」ということは理解できました。
しかし残念ですが、「見た」という事実を過去にさかのぼって取り消すことはできませんし、これ以上お邪魔をするのも悪いので、私はこれで失礼します。
女:待って。
男:何か?
女:見られてしまったからには、あなたを殺さなくてはなりません。
男:なぜです?
女:なぜって、もしも見られてしまったら、見た相手を亡き者にしなければ、成就しないどころか私に返ってきてしまうからです。
男:何が?
女:何って、そんなこと言えませんよ。
男:じゃあ、私はこれで。
女:待って!
男:何なんですか?
あなたは見られて困っている。つまり、何か知らないけれど、見られては困る秘密があるんでしょう?
もしも私があなたの立場だったら絶対に、一秒でも早く、自分のことを見た相手から離れようとしますがね。
女:もしも、見られる前だったらそうかもしれません。でも、見られてしまったからには、あなたを始末しなければならないんです。これ以上、ごちゃごちゃ言うのはやめてください。
男:だから、見た人を殺さなければならない、その理由はなぜですか?と聞いているんです。
その理由が分からない限り、私はあなたに殺されるようなことはしません。たとえ頭を切り落とされたとしても、意地でも生き続けますよ。
女:……。
男:じゃあ、これで。
女:理由を話してほしいんですか?
男:正直、それほど興味はありませんが、殺すというのならその理由くらいは説明するのが礼儀ではないか?と言っているのです。
女:じゃあ、お話ししますから、聞き終えたら逝ってくれますね?
男:いいえ。聞いた後、私がどういう行動をとるかは約束できません。
もちろん、話の内容によっては自ら命を絶つようなことにもなるかもしれませんが、おそらくないでしょう。
ただ、話してくれるのであれば、そのお話を面白いと感じている間は、ここにとどまります。
男:危ないですね。
女:ごめんなさい。
女:ふー。
男:話す気がないなら帰ります。
女:待ってください。話します。聞いてくれますか?
男:聞きましょう。
女:私、丑の刻参りをしているんです。
男:何ですかそれは?
女:丑の刻参りを知らないんですか?
男:知りません。
スマホを持参しているので検索しても良いのですが、そんな面白くもなさそうなことにギガを使うのももったいない気がして、調べる気が起きませんね。
女:面白くないって言わないでください。知りもしないくせに。
男:知りもしないって、何かを知ってほしいんですか?
女:……。
男:なるほど、自分で考えろと……。
何を考えてほしいのかはよく分かりませんが、その身勝手でわがままなな振る舞いや、変な衣装を着ているということから推察すると、あなたは女優さんですね?
とはいえ、こうして間近でお顔を拝見していてもどなたかは分からないので、言いづらいですが、はっきり申し上げて売れない女優。おそらく、「自称、私は女優」さんですね?
ようやく、ささやかな役を得たから、こっそり稽古しようとしたけど、恥ずかしくて見られたくないところを見つかってしまったので、照れ隠しに見た相手を殺してしまおうと……。
女:……私、女優じゃありません。小さな会社というか、事務所で派遣社員として働いて生活しています。
男:推理が外れてしまったとは残念です。でも、それではなぜそんな変質者のような恰好をしているのか、納得できませんね。
女:失礼な。変質者なんかじゃありません。これはれっきとした、真剣な儀式なんですよ。
男:何の?
女:何って、呪いですよ。の・ろ・い!!
男:ふん。
女:何ですかその態度?
男:頭に立てたろうそくは暗い夜道を歩いているんだから、明かりも必要だろうと、理解できるとして、火がついていない。
女:だって、髪の毛が焦げたら怖いから……。
男:灯りだったら懐中電灯で良くないですか?
むしろ、懐中電灯の方が、良いです。
火事になる危険もないし、髪だって焦げません。
なぜわざわざろうそくなんですか?
もしかして、あなたの職場はろうそくの製造工場で、給料の代わりにろうそくが現物支給されるとか?
女:違います。儀式にはいろいろと細やかな決まりがあるんですよ。
男:大変ですね。でも、あなたがやっていることが呪いの儀式だとして、そんな細々とした決まりなんかより、どうして呪いの儀式を行うに至ったのか?その理由が知りたいですね。
若い女性が真夜中に独り、人気のない神社にいるなんて、危険極まりない。白装束を着た女性を見ると狼に変身してしまう、恐ろしいフランケンシュタインにばったり出くわしてしまうかもしれない。
もしかしたら頭にろうそくを立てた人を見ると、ろうそくごと頭をガリガリ食べてしまう猫又に襲われるかもしれない。
しかし、今、このような状況で犯罪に巻き込まれてしまっても、誰も助けには来てくれないでしょう。
男:あなたがなぜ、今、ここにいるのか?
その呪いとやらが何なのか?
誰をどのような理由で呪いたいのか?
それが分からない限りは、私にとって、あなたはただの変質者です。
女:黙って聞いていれば、ほんとに失礼な方ですね。
か弱い乙女を脅したかと思えば、変質者扱いするとか、ほんと最低!
男:……というか、あなたが私を引き留めている理由って、そこにしかないと思うのです。
あなたが何かを呪わなければならない、その境遇を誰かに聞いてほしい。
そう願って奇抜な恰好で他人の目を引こうとしていると、妙齢のダンディな男性が現れた。それなりに人生経験も積んでいそうだし、よし!この男に身の上話を聞いてもらおう!
あわよくば、何かお得な関係になれるかもしれない……。
どうでしょう?
女:あなたにどう思われたって、私には関係ありません。
男:話す気になりませんか。じゃあ、私も無理に聞き出そうとは思いません。これで失礼します。
あなたもそろそろ、お帰りになった方がいいんじゃないですか?
女:きゃっ!
女、首をすくめて男の手をよけようとする。男は女の頭からろうそくを1本取る。
男:帰り道が暗くて怖いので。私も明り用に1本頂きますね。ありがとう。
女:ちょっと、待ってよ。やめてよ。
第2夜
男:この世から戦争が、なくなりますように。
男:また会いましたね。来ないかと思った。
女:そっちこそ。
男:今夜は懐中電灯ですか?頭に刺してるの。そっちの方が、まあ、似合っていますよ、女優さん。
女:女優じゃありません。あなたがろうそくを取ってったんでしょう?返しなさいよ。泥棒。
男:忘れてきてしまいました。盗むつもりなんか全くないし、あんなのいりません。明日の夜もいらっしゃるんでしたら持ってきます。
女:警察に訴えますからね。
男:今日は饒舌ですね。昨日よりお元気そうだ。
警察に訴えるのは構いませんけど、あなたはトンカチで私のこと殴り殺そうとしましたよね。それも2回も。
女:それは、だって……。
男:まあ、良いです。
私は警察に通報しようとも、訴えようとも思っていません。
トンカチは避けてしまいましたし、まだ被害もないのに通報しても警察は動いてくれないでしょうし、訴えるなんてのは考えただけでも損です。
仮に弁護士費用だけを考えても、相談料、最初の30分は無料というところもありますが、その後は1時間5千円から1万円くらいでしょうか?
それから着手金、手数料、終わったら終わったで成功報酬……。早く、AI弁護士が無料で裁判に勝ってくれる世界を望みますね。
でも、弁護士もAI、裁判官もAI、相手の弁護士や検察もAIとなると、何なんでしょうね?
裁判の意味あるのかな?
被告も原告もAIにしてほしいですね。
女:本当に屁理屈が好きですね。あなたのせいで、昨日は何にもできなかったんですよ。今日も邪魔する気ですか?
男:結局、家に帰ってからいろいろ調べてみたんです。あなたがやっているのって……、というか昨日はそんなつもりはなかったけれど、邪魔してしまったようですが、それは丑の刻参りですね?女優さん。
女:その「女優さん」って言い方はやめて。本物の女優さんに失礼です。
男:失礼しました、女優さん。実は昨日、あなたの姿を見て、これは丑の刻参りだと、すぐにそう感じたんです。
女:感じたも何も。昨日は知らないって言っていたのに。それに、何やってるのって聞かれたから、ちゃんと呪いをかけるって、説明したじゃないですか。
男:そんなのいちいち覚えていられませんよ、女優さん。
女:女優じゃありません。そうやって人のことをバカにしていると、いつかひどい目に遭いますよ。
男:そうですね。仮にも昔から伝わってきていることには何らかの効果なり、意味はありますよね。
それを理解できないからといって、迷信などと言ってまとめてしまうのは、思考の怠慢以外の何物でもありません。
迷信には何の根拠もないのではなく、現代を生きる私たちには、迷信の根拠を見つけ、理解する能力がないと考えた方がよいと私は思います。
したがって、丑の刻参りも私はまるで否定はしませんし、バカにするなんてあり得ません。
女:その変に理屈っぽいのがバカにされているような気がしてならないって言ってるの。
男:それは失礼しました。気を付けます。どうか先を続けてください。
女:先をって言われても、人が見ていたらできないんだって。
調べたなら分かるでしょう?
そもそも、見られた時点で呪いが終わるだけでなく、呪いがかけてる方に返ってきちゃうんだから。
男:なるほど。
女:だから、始めるも何も、その前にあなたを殺さなきゃいけないんだわ。
男:そんな感じ、のようですよね。
女:あんまり、気は進まないんだけど、仕方ないわよね。
男:どうします?また、トンカチで殴り掛かりますか?
女:そうねえ。昨日はよけられちゃったし。あなたがどこの誰かも分からないし。今を逃したらチャンスはないわね。
男:確かにそうなりますね。
女:考えておくべきだったわ。まさか2日続けて会うなんて思わなかったから。
男:ちなみに、もし今日、会えなかったらどうするつもりだったんですか?
女:うーん。興信所かなんかに探してもらうか……。それにしても、手掛かりがないわ。住所と名前と連絡先、教えてくれない?
男:危険だから嫌です。でも、興信所もお金かかりますよね。もったいない。
女:残念。
男:ちなみに、今日で丑の刻参りは何日目ですか?
女:2日目だけど。でも昨日はろうそくがなくて何もしなかったから、初日って言えば初日だし。えい、すきあり!!
男:どうして、同じことばかりしようとするんですか?
まあ、3回目ですから、まだ許しますが。3回やってうまくいかなかったら、やり方がまずいと反省するべきです。もう一度、アプローチの仕方を考え直した方が良いと思いますよ。
女:返してよ。
男:嫌です。さて、今日も遅いから、そろそろ帰った方が良いです。
女:あなた、この近くに住んでるんでしょう?
男:なぜですか?
女:だって、この時間。電車とかないし。
男:タクシーは走ってますよ。私が車で来ているかもしれないし。バイクかもしれない。
女:だとしたら、探しようがないわね。
男:早く帰って、寝た方がいいですよ。じゃあ。
女:……でも、タクシーはもったいないわ。
第3夜
女:今夜はさすがに、来ないわよね。
女:良かった、誰もいない。
どの木にしようかな?
本当に、来てないわよね?
女:どこかに隠れてて、急に飛び出してきたりして……
女:いないの?
今日は来てないのね?
いたら返事をして!
隠れてて、脅かすなんてやめてよ!
女:金づち、取り上げられちゃったから、買ったんだからね。新しいの。
2千円もしたのよ。頭の部分がプラスチックでできてるんですって。だから、木を傷つけにくいの。知ってた?
……本当にいないのかしら?
女:あー、くぎ落としちゃった!
暗くて見えないわ。困ったなー。しょうがない。今日は帰って、明日また出直すわ。
第4夜
男:世界から病気がなくなりますように。
女:あら、何やってんのよ、こんなところで?
男:良かったら、一緒に食事でもしようと思って。
女:いらない。こんな夜中に食べたら太っちゃうわ。
男:そう?さすが女優さん、体型維持も大切なお仕事ですからね。
女:女優じゃありません。
男:無理にとは言わないけど。ビールなら飲む?
女:うん。
男:ワインもあるけど。
女:ビールが良い。
男:日本酒もあるよ。
女:ビールが良いの。
男:はい。じゃあ、ちょっと待ってね。
女:何それ?
男:ビールサーバーだけど?
女:何でそんなものを?
男:やっぱり、気分は大事だよ。はったりだけど味が違うでしょ?
女:そりゃ違うでしょうけど。
男:はい、どうぞ。乾杯!
女:……乾杯。
男:何を食べる?
女:何って?
男:鳥と牛と豚。何でもあるよ。さすがに深夜の神社でバーベキューを始めたら怒られちゃうと思うから、お弁当作ってきた。
女:?
男:いやあ、邪魔しちゃったお詫びの意味も込めて、呪いが成就したら一回、落ち着いてゆっくり食事でもって思ったんだけど……。
この辺、この時間はお店やってないでしょう?
でも、よく考えたら、呪いが成就しちゃったら、落ち着いて食事どころじゃないかなと思って、それで今日、用意したんだ。
男:夜中だから、なるべく消化も良さそうなメニューで、カロリーもちゃんと考えてるから心配しないで、女優さん。
女:女優っていうのはもう、やめてよ……。すごい!
男:ごめん、もう言わないから食べてみて?
女:いただきます。……美味しい!
男:それで、昨日はどうだった?無事にできた?
女:それが、その、くぎを落としちゃって。やめて帰ったの。
男:そうなんだ。それは残念だったね。
女:昨日は、なんで来なかったの?
男:えっと……、友達にビールサーバーを借りたんだけど、けっこう遠くて。受け取りに行ってたら遅くなっちゃった。
女:送ってもらえば良かったのに。
男:?
女:いえ、宅急便で送ってもらって、それを持ってくれば、その、昨日もこれたんじゃないかなって……。
男:言われてみれば。家まで配送してもらって、それをここに運べば良かったんだね。返すときはそうするよ。天才だね。
女:誰だって思いつくでしょ?
男:でもね。
女:?
男:実は借りてきたのは業務用のビールサーバーで、電源が必要だったんだ。ここ、電源ないでしょ?だから、別にキャンプで使えるポータブルのビールサーバー買ったんだ。缶ビールに着けて使うんだよ。
女:さっきのビールも?
男:そうだよ。
女:だからさっき、はったりって言ったのね?でも、美味しかった。
男:そりゃ良かった。
女:ありがとう。素敵なお食事会に誘ってくださって。
……もし良かったらこのお食事代、割り勘にしない?ごめんなさい、気を悪くしないでね。その、なんか、すごく美味しくて、でも見ず知らずの方に、こんなにごちそうになるのも申し訳なくて。
男:まあ、見てはいるけど、知らずではあるね。でもそんな気を使わないで。勝手に用意しただけだから。
女:じゃあ、せっかくだから遠慮なく。
男:ねえ。
女:?
男:聞いても良い?
女:何を?
男:あなたみたいな聡明なお嬢さんが、どうして夜な夜な神社に通って来るの?その、へんてこなコスチュームで。
女:だから、呪いだって。
男:相手は?男?
女: ……。
男:ビールもう一杯飲む?
女:うーん、赤ワインはある?
男:もちろん。
男、女にグラスを渡し、ワインを注ぐ。
女:美味しい。
男:良かった。
女:ねえ、このろうそく……。
男:そう。借りていたろうそくだよ。返そうと思ったんだけど、雰囲気が出そうだから使っちゃった。
女:まあ、今日は、あなたの命を狙ったりはしないわ。金づちで殴ろうとはしない。約束する。
男:良かった。安心して酔えるよ。
女:で、なんだっけ?
男:なんで、丑の刻参りなんてやっているの?という質問だね。
女:なんでだろう?いろいろあって、疲れちゃって……。
うーん。簡単に言えば、振られちゃったんだよね。
本当だったら、来月には結婚する予定だったの。
2人で頑張って生きていこうねって。これから2人で住む部屋とか決めてさ。
小さいけど式もきちんとしようねって準備もしてて。
男:ふーん。
女:職場が一緒なんだけど。
男:ふむふむ。
女:……ごめんなさい。こんな話、つまんないね。
男:そんなことはないよ。良かったら、続けて。
女:うん、後は……よくある話?なのかな。
何のひねりもないんだけど。
突然、「君とは結婚できない」って言われて。
結婚の準備を始めたころから、それまでずっと好きだったけどなかなか気持ちを確かめられなかった人と、付き合い始めたんだって。
男:どういうこと?
女:それがさ、職場の飲み会で「今度、結婚するんです」って言ったんだって。
でさ、一緒に参加していた同僚の女性から「おめでとう」とか言われてさ。耳元で「本当は、ずっと好きだった」みたいなこと、言われたみたい。
男:それは、何というか……。
女:意味わかんないよね?
それで、2次会抜け出して、2人で飲みに行ったんだって。
それからどんどん親しくなって、付き合い始めたんだって。
私との式場選びとか、どんな気持ちで一緒に回ってたんだろ?
男:……。
女:部署は違うけど、同じ会社でしょう?
小さな会社だし、変な噂とか、いろいろあって、ご親切に教えてくれる人もまで出てきてさ……。
でも、その女の人もエレベーターで一緒になったときに「おめでとう」って言ってくれたから、私も「ありがとう」って。
私だけ、何も知らなかったから……。
男:それは、残酷な話だね……。
女:もう疲れちゃった。
4年も付き合ったのに。
「本当に好きな人ができた」って……。
男:そんなこと、言われちゃったんだ……。
女:(泣きながら、大きくうなづく)
男:そりゃあ、悲しいね。
女:(泣きながら、大きくうなづく)
男:それで、丑の刻参りをしようとしたんだ。
女:(泣きながら、大きくうなづく)。
女:あたし、結婚するからって、上司にも伝えていたし、友達にも式で、挨拶頼むからって。そしたら、いきなり、赤ちゃんできたとか言われて。
男:……。
女:本当はお前なんか好きじゃなかったとか、言われて……。地味で暗くて一緒にいても面白くないって……。
男:そりゃあ、ご愁傷様なことで……。
女:えーん。えーん。
前は私のこと好きだって言ってくれたのに……。
華やかさとかそんな魅力なんて、そんなこと自分でも知ってるよ。
高校生のころから、気の使い方が老人っぽいって言われてたし。
そんな私のことを好きだって言ってくれる人だったから……。
一緒にいたら落ち着けるように……って。仕事してる時とは違う、彼ののんびりした顔をしてるのを見るのが私も嬉しかったし。
一緒に出掛けるときはおしゃれしてねっていうから、一生懸命頑張ったのに……。
本当に好きって何なの?
好きとどう違うの?
悔しいよ。
えーん。
男:そりゃあ、恨みたくもなるね。なるほど。で、藁人形の中に彼氏の……元カレになるのかな?の髪の毛か何かを入れて、丑の刻参りをやろうってわけだ。
女:でも、中に入れたのは髪じゃない。
男:なんだろう?爪とか?写真とか?
女:婚約指輪。
男:それはまた。ずいぶん、高価な藁人形になったね。
女:ダイヤモンドだって。だけど、婚約破棄になったとたんに返してって言ってきて。情けなくて。失くしたって言ったの。
しばらくは「高かったんだから返せ」って言われ続けたんだけど。見つからないって。
男:ふーん。売り飛ばしちゃえばいいのに。
女:そんなこと、できません。
男:どうして?
女:だって、大切な人からもらったものだから……。
男:そういうものなんですか?
女:そういうものなんです。
男:しかし、あれだな。人様のことを悪しざまには言いたくないけど……。
その、良かったんじゃないかな?
籍を入れる前に分かれることができて。
今の話を聞いている限りだと、遅かれ早かれ、同じような問題は起きていたと思う。
だから、その、不幸中の幸いというか、まあ、良かったんだと思うよ。
女:そうかなあ?
男:そうだよ。
女:今の私にはよく分からないわ。
男:未来の君は、今の君にきっと感謝するよ。
まだ、当事者にとっては生々しい「今」だけど、もう少し時間がたてば思い出になるし。
その時にはきっと分かると思うよ。
女:そんなものかしら?
男:そんなものですよ。
ところで、今日はこれからどうするの?
もしも、またくぎを打ちに行くって言うのなら、そろそろ、お開きにするよ。もう、絶対に邪魔はしない。約束する。
でも、もし、もう少しゆっくりできるなら、もう1杯くらい飲もうよ。
女:今日はもう、お休みにするわ。今日で4日目だけど、けっきょく1回もくぎを打っていないの。
男:なるほど。もう、やめちゃうというわけにはいかないのかな?
女:そうねえ……。本来なら、5日目で成就するってネットにも書いてあったんだけど、何もしないで4日たっちゃった。どうしよう?
男:どうしたい?
女:分かんない。何だか疲れちゃった。
男:誰かを憎んだり、好きになったり。自己の感情をもって何かに接するのは、骨が折れることだよ。
一番、楽なのは無関心。
でも、それだけじゃあ生きていけないと思うけど。
難しいよね。
無関心でいられるよりは呪われた方がいいのかもしれないって、時々思う。でも、呪う方にしてみたら大変だよね。
エネルギー使うし、そもそも、怒りというか、負の状態を続けるというのが大変だと思う。
女:そうよね。……今日は帰るわ。
話を聞いてくれてどうもありがとう。それから、ごちそうさま。美味しかった。
男:どういたしまして。
女:おなかがいっぱいになったら、なんだか眠くなって。眠たくなるって、なんだか久しぶり。
男:それは良かった。気を付けて帰ってね。
女:ありがとう。あなたもね。
第5夜
男:災害が起こりませんように。
男:今日は、さすがにもう来ないか。天気も悪いし。でも、あれだな。けっこう、似たようなことってあるんだな。
女:こんばんは。何をにやにやしているんですか?
男:ああ、こんばんは。来たんだ?
え?にやにや?
にやにやしてた?
女:してましたよ。嬉しそうでしたよ。
男:まあ、嬉しいっていうか、面白いなって思ってね。
女:何が面白いんですか?
男:似たようなことが、世の中あるなって思ってね。ところで、あれだね。今日は変な衣装じゃないんだ?
女:はい。なんだか、昨日、言いたいこと言ったらすっきりしちゃって。
落ち着いて考えたら、我ながら変なことしてたなって、恥ずかしくなっちゃいました。
会社も辞表出したし。
男:へー。でも今不景気だから、就職活動大変じゃない?
あれ?景気良いのかな?
ニュースとかあまり見ないから知らないんだ。適当なこと言ってるけど。
女:まあ、しょうがないかなって思います。
別に今の会社でなくてはできないことをやっていたわけではないし。こういうきっかけがないと、新しいことへのチャレンジもできないですからね。
それこそ、本当に女優でも目指そうかしら?
男:なるほど。女優っていうお仕事も良いと思うよ。ファン1号になって応援するよ。
女:ありがとうございます。その時はよろしくお願いします。
……じゃあ、今日はこれで失礼します。
男:ああ、気を付けて。
女:最後に、質問してもいいですか?
男:何かな?
女:あなたはどうして、ここに来ているの?
男:私?私はその、あれだ。婚約を破棄されてさ。
女:人のことバカにしてます?昨日、私が言ったことそのままじゃない。
男:そうなんだよ。ほとんど同じ状況なんだよね。
ただ、男と女が入れ替わっただけで。
別にからかっているわけじゃなくて、本当の話だよ。
女:そんなの信じられるわけないじゃないですか!
男:困ったな。信じてくださいってお願いするしかないんだけど。
どうしよう。もうこの話はやめた方がいいかな?
女:まあ、どうせ言いかけたんだから、嘘なら嘘で最後までつき通してください。
男:ありがとう。じゃあ、最後まで聞いてくれるってわけだ。
私の場合は贈った指輪を突き返されてしまったんだけど。その……付き合っていた彼女から。「実は本当に好きな人がいる」って。
でも、指輪を返される方も結構困るんだよ。
捨てるわけにはいかないし、持っているのも癪だし、売るのも、なんだか気が引けて。
それで、神社の賽銭箱に入れれば、きっと、巡り巡って必要としている人のところに行くだろうと、思ったから……。
女:それで、賽銭箱に婚約指輪を入れた?
男:そう。で、せっかくだから、世界中の人の幸せを祈ってみたんだ。
女:……。
男:世界中の平和を祈るにしては安すぎるけど、でも自分なりにはかなり頑張って、奮発して買った指輪だから、願いも欲張ったよ。
それが4日前かな。
ちょうど初めて会った夜だ。
昨日の話を聞いて、なんだか似たような話があるんだなって、不思議だった。
女:そうなんだ。
男:まあ、そんなわけで、世界中の幸せを祈っているところに、白装束を着たあなたが来たってわけ。
こっちはその前にやけ酒を散々飲んでふらふらしてたから、最初はあなたが何を言ってるんだかわからなかったけど……。
でも呪いとか言ってたし。
夢でも見てたのかな?と思って翌日も来てみたら、同じ人が来るじゃない。びっくりしたよ。
女:作り話にしては、まあまあかな?
男:作り話であってくれたら、と心底願うよ。
特に最初の婚約者に振られたあたり。でも、実話なんだ。
女:……ありがとう。
男:何で?
女:何だろう。他人を呪わないですんだかなって。
男:そういえば、1回も釘を打ってなかったね。
女:そう。おかげさまで。何て言うんだろう?きれいなままの私でいられたなあって感じ。
男:うん。きれいだよ。
女:見た目の話をしてるんじゃないの。
今日は確かに……少し頑張ってはみたの。
雨が降っちゃったけど。
……自分で言ってて恥ずかしいわ。
男:いつもきれいだなって思ってたけど、変な衣装より今日の方が素敵だと思います。
女:ありがと。
男:……上手だね。
女:何が?
男:「ありがとう」の言い方?
イントネーションとか、タイミングとか、何だろ?
すごく、その……絶妙でした。
あ、この人のために何かしてあげたいなって。
また、この人の「ありがとう」を聞きたいなって、思いました。
女:よくわからないけど。……ねえ、私も真似して良い?
男:何を?
女:私もお賽銭箱に入れようと思って。それで、世界の平和を願おうかな。
男:あ、じゃあ一緒にお参りしましょうか?
指輪はもうお賽銭箱に入れちゃったから、僕は五円玉で、世界の平和を願おうっと。
女:あのね。
男:はい?
女:あなたの願いって、たぶん少しかなったと思うの。
男:?
女:指輪を賽銭箱に入れて世界中の人の幸せを祈ったって言ってたでしょ?
男:ええ。
女:私、たぶん、幸せになったと思う。
とんでもなく幸せっていうんじゃなくて、ささやかなんだけど、少なくともすごく不幸じゃなくなったわ。
男:それは良かった。
女:だからね……。
男:?
女:ありがと。