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小説『ヌシと夏生』30_駕籠
「一番偉い人に会いたい」
ヌシの言葉に事務所でもかなり迷ったのだろう。応接室のソファで十五分ほど待たされた。
「寝心地が悪そうだ」
言いながらも、見ているとずっと革張りのソファをなでている。気に入ったのだろう。最近、何となくだがヌシの考えが分かるようになってきたような気がする。
とにかく素直ではない。
ある意味、神様らしいといえば、らしい。気に入らなければ罰を与える。反対に気に入ったものには罰は与えない。言葉ではなく行動を観ればわかる、つまり人間と大差ないということだ。
ただ、そこは神様というだけあって、何が気に入って何が気に入らないのかは、単純ではなさそうだ。人である夏生の物差しとは違う、何かがあるらしい。
「大変お待たせしました」
背は低めだががっしりした体つきの男性が、先ほどの運転手を連れて入って来た。
「この度はわざわざお越しいただきまして」
名刺を差し出してくる。肩書きは「課長」だ。
「で、今回はどのようなご用向きですか?」
力強い笑顔で迫ってくる。
「そこの男から聞いていないのか?」
課長の横に小さく座っている男を顎で指す。
「この男がタクシーに死んだ女の魂を乗せたらしいぞ」
そう言ってチラシを机の上に置いた。
「お化け問題解決します!留守番します(夜はアルバイトがあるからできません)!原稿書きます?仕事ください」
チラシの文字を課長が読み上げる。
「なんですか、これ」
言いながら「わかる?」と、運転手にチラシを渡す。
「さあ?何でしょうか?何かの営業ですかね?」
運転手がへらへらとした笑みを浮かべる。
「いい加減にしろよ。お客様だというから時間をわざわざ作ったんだ。わけのわからない怪しい営業を連れてきて!」
突然、運転手に向かって怒鳴ってから、急に笑顔をヌシに向ける。
「何かふさわしい機会がありましたらこちらからご連絡いたします。それからこちらまでお連れしたタクシーの料金はうちの運転手の不手際ですので、彼の給料から差し引きますが、最初の料金は……」
「払えないな」
ヌシがバッサリと切る。
「私は乗っていない。家でくつろいでいるところを突然タクシー代を払えと押し入ってくる。なるほど、組織ぐるみの詐欺か。なかなか面白いやり口だな」そう言うとソファから立ち上がった。
窓辺に立つと駐車場に止まったタクシーの中から「あの車だったな。天罰が下らないことを祈ろう」と先ほど乗ってきた車を指さした。
途端に、轟音が響き、地面が揺れた。事務所の中で悲鳴が上がる。
「貴様の車に雷が落ちているようだな」運転手に向かってヌシがほほ笑んだ。
「……落ちたじゃなくて、落ちている?」
ヌシの言い方に夏生が首を傾げた。とたんにまた、雷鳴が轟く。二回、三回……。
同じ車に続けて雷が落ちる。
「天罰というより嫌がらせだ……」
「さあ帰るとしよう。で?帰りは誰が送ってくれるのだ?あの車にはもう乗りたくないな。雷がうるさすぎる」
ヌシが楽しそうに笑う。意外と、底意地の悪い奴だと夏生も認識を新たにした。
「課長、送ってくれるか?まあ貴様にはそんな暇はないか?」
窓の外、立て続けの落雷で震える課長に声をかける。
それはそうだろう。目の前で部下の商売道具に立て続けに雷が落ちているのだ。ヌシの目が異様に輝いている気がして、夏生はふと恐怖を覚えた。
「……このままだとあの車は廃車になるな。あの車以外にも雷が落ちる可能性もなくはないかなあ。例えばお前の頭の上とか……」
「おい、ヌシ、止めろ」慌てる夏生を無視してさらに続ける。どうやら楽しくなってしまったようだ。
「ああ!」とわざとらしい声を上げると、さらにトーンを上げた。
「お前が好ましく思っている、あの牝犬、確か名前は……。ほら、今夜も家で待つ妻子には『急な残業が入った』と嘘の連絡を入れてから、餌をともに喰らった後に交尾をしようともくろんでいる、あいつだ……。名前が出てこないなあ。まあ、近くにいるはずだから、きちんと忠告してあげなくてはなあ。頭の上に雷が落ちてからでは遅いからなあ……」
意地悪くいうと、「ま、何か困ったことが起きたらうちに来い」と、もう一枚、チラシを課長に手渡す。
「探偵じゃないからな。貴様の配偶者のほうの素行調査は受け付けるつもりはないが、まあどっちもどっちか。となると不憫なのはこどもかなあ?独身の私にはよくわからないが。とりあえず受付の彼女によろしく」
困惑顔の課長と運転手を残してヌシと夏生は部屋を出た。
タクシー会社から連絡があったのはそれから一週間ほどたってからだった。
(つづく)