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小説『ヌシと夏生』16_化け猫

「……ここ、ご主人様のお店だったの。私はそこのほら、端っこのイスに座って、ご主人様がお酒を注いで、お客さんたちと楽しそうに話すのを見てたわ。皆でご主人様の引くギターに合わせて歌ったり。本当に幸せだった」

女性が遠くを見るような目をする。
グラスに自分でウォッカを注ぐと、「健康に!」と叫んで、クッと飲み干した。
「クー」っと喉を鳴らすと、ヌシの頭に手を当てて、臭いを嗅いでいる。ヌシはされるがまま、頭を差し出して笑っている。

「……でも、ご主人様も年を取って。病院に入ったの。猫じゃ病院に入れないから、一生懸命二本足で立つ練習をして……」

人の言葉は、ずっと一緒に暮らしていたから分かる。きちんと年と経験を重ねれば、それなりに化けるのは簡単らしい。ただ、長時間二足歩行をするのは腰が痛くなる、らしい。顔は、元気だったころに飼い主が、テレビを観ながら「きれいだ」といった女優の顔を意識した。

いかんせん猫の要素が強すぎるせいか、美人か否かだけで言えば、やや残念な結果に仕上がってる。が、確かに言われてみれば、どことなくその女優に雰囲気が似ていなくもない。

「……病院で生臭いと嫌われるかなって、もうずっと精進料理ばっかりだし……」

「つまり肉を食べてない?」

「魚も」

「でも、飼い主が入院してしまったら、生活は?経済的にはどうしてるの」

夏生がつい思ったことを口にすると、女性の目が急に光った。

「基本、猫なんで」

そういうと、また空いたグラスにウォッカを注ぐとグッと飲み干す。

「別にお金なんてなくて生きていけます。動物でお金使ってるのって人間だけよ」

この女が猫というのが事実なのか自称なのか。よくわからないが、この部屋にいる三人と地蔵の中で、もしかしたら普通の人間は自分一人だと思うと、少し怖くなる。慌てて目の前のウォッカを飲み干した。

「確かに、金が必要なのは人だけかも。ただこの間ビジネスをしてみたが、なかなか面白かったけどな」

ろくろ首の夫婦の話をしているのだろうか?あの時は絞め殺されるかと思った。思い出してブルっと震える夏生の横でヌシもお酒をあおる。結構なハイペースではなかろうか?見ていて不安になる。

「そうね。お店でお金が入ってくると楽しいわ」と猫もうなづいて、またグラスの酒に酒を注いだ。

「でも、私は生きていけてもご主人様は入院費とかいろいろかかって……。それで私もご主人様の役に立ちたいなって思ったの」

「なるほど、それで猫が店を開いている訳か」ヌシが腕組みをして頷く。

「最初のうちは、お客様もいらしてたんです。私もずっとご主人様の働く姿をずっと見てたんで。何をすれば良いかは知ってます。昔から通ってくださった方もいて……。それなのに……」

「何かあったの……」

夏生が尋ねかけた瞬間、強い力で後ろに引っ張られ椅子から床に転がり落ちた。

「うわっ!」と叫んだのと大きな音がしたのは同時だった。ガタンという音とともに、夏生が座っていたカウンターのテーブルがえぐれる。木の破片が飛び散った。目の前には横に伸びきった猫女の顔があった。

「出よう」腰をさすり立ち上がろうとする夏生を担ぐように、ヌシが店の外に飛び出す。中からギニャーという大きな声とものが飛び散る音が響いた。

「危なかったな」

「どういうこと?」

「あの猫、酒癖が悪い」

「は?」

「おそらく、店に来た客に勧められるままに酒を口にしたのだろう。豹変した姿に驚き、客は逃げた」

「猫だってことがばれたとか?」

「今の様子を見る限りではそれはなさそうだ。あれだけ酔っていても人の姿は保ってた」

「じゃあ、ただの酒乱?」

「そういうことだ」

懸命に思い返してみるが、猫でも人でもない、何かになっていたように思う。でも、人だろうが猫だろうが、酒乱を相手にするのは嫌だ。しかも金を払ってこんな危険な目に遭うのは……。

「よほど良い飼い主だったんだろうな」

「ん?」

「猫は三日で恩を忘れるとかいうけど……」

健気だ。健気すぎる。夏生の目頭が熱くなった。最近、年のせいか涙腺が弱い。駅に着いた時には、もう終電は行った後だった。

「電車がない」

「またタクシーか?」

「歩こう」

線路わきのやや細い道は、一人で歩くと狭く感じるけれど、二人並んで歩くにはちょうど良い幅だ。

「あの店を繁盛させてみるか……」

うつむいて歩いていたヌシがつぶやいたのは、歩き始めて十分くらいたったころだった。

「そうだね」と答えたものの、酒乱の猫が取り仕切る飲み屋が繁盛する秘策があるとは思えない。

コンビニの明かりが見えたので、「ちょっと休憩しよう」と店に入り炭酸水を二本、買った。夏生がヌシに、一本を渡す。ヌシは一気に炭酸水を喉に流し込んで「クー」っとうなる。

化け猫の出る店を、美津さんや知り合いに紹介することはできるけど、それだけで人が集まるとは思えないし、もし集まっちゃったら、それはそれでちょっと危なすぎる。
何しろ、相手は化け猫だ。店を軽く壊せるだけの力は持っている。しかも酒乱。
ヌシが空になったペットボトルをゴミ箱に入れた。かたんという音が、駐車場に響いた。

「善良な願いは、かなえてあげたくなるものだ」

「ビジネスとして?」

「いや、神として」

その抜けるように黒い瞳に、一瞬、吸い込まれそうになるのを、夏生は必死の思いで踏みとどまる。そういえば、ヌシは、何百年も祀られてきた神様だった。村人に望まれれば、自分の住んでいた湖を切り開いて、人に明け渡すくらいだ。誰かの願いをかなえたくなる性なのかもしれない。コンビニからあふれる光の中で、ヌシが生きてきた何百年の時間を、思った。
そんなヌシがあの店で働く姿を想像してみる。

悪くない。

ヌシの容姿だったら、それなりに飲みに来る人も増えるかもしれない。

「ヌシがあの店のカウンターに立ったら確かにお客は増えそうだね」

「はあ?」急にヌシの声色が低くなった。「誰がカウンターに立つって?」

「ヌシが……」

「なんで私が?」

「え?かわいそうな猫を助けるためにあの店で働くんじゃないの?」

「なんで神様の私が働く?私は客役だ。店に通ってウォッカとやらを飲む」

「その飲み代はどこから?」

「夏生」

「ちょっと待て。これでも昼間働いているんだ。この上、夜もバーで働けと?」

「夏生があの店で働き、客が猫に酒を与えないように注意を払う。私は客として飲む。もちろんアルバイト代は請求しよう。夏生の収入も増えるし、私も酒が飲める」

「慣れない夜の商売を始めろと?四十過ぎのおじさんの体力が持つと思うか?」

「……ほかに方法はない」

「言い切るな!お前が働け……って、お地蔵さんは?」

「ん……?」

「もしかして店に置きっぱなし?」

「急ぐぞ!」

ヌシが駆け出した。

「おうっ!」とふらふらする足取りで、夏生も走り出した。

猫に襲われてなければ良いが。いくら硬い石のお地蔵さんだったとしても、あの強力な爪でやられたら無事ではすむまい。

(つづく)

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