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小説『ヌシと夏生』7_ろくろ首

ろくろ首

「あなた……?」

会長室に入ったヌシを見て、美津さんが声をあげた。
いつも物静かな美津さんにしては、珍しい反応だ。

「ああ」

当然のような顔で、ヌシも応える。

「全然変わらないのね」

「そうかな?」

「私はずいぶん年をとったわ」

「あまり変わったようには見えないけど」

美津さんが入れてくれた紅茶を飲みながら、話す二人。その会話の断片を横で拾いながら、不思議なものだと今更ながら感心する。

美津さんが昔、ヌシのいた村で暮らしていたという話をしたら、美津さんを知っていると言い出した。

都会から田舎の旧家に嫁いだ美津さんは、その地域や家に馴染めずに、よくヌシを祀った神社に一人で出かけて泣いていたらしい。そんな美津さんの前に、ヌシも一度か二度と姿を現したことがあったようだ。

それにしても、ヌシの存在を違和感なく受け入れる美津さんは、さすがというか、長年会社を切り盛りしてきただけはある。か、もしくは女性の方が動じないということなのか。やはり自分なんかとは、器の大きさが違う。

「でも、あなたがこっちに出てきてしまって、神様がいなくなった神社はどうなってしまうの?」

「世の中は祀るものがなくても回っている。むしろ私がいることであの人たちには面倒をかけている」

「そうかしら?ところでこっちに出てきて生活はどうしてるの?」

「夏生のところで暮らす。うろこを渡しているから」

「うろこって?まあ。ヌシさんのうろこをもらったの?すごいじゃない!」

そういわれても、どのくらいすごいことなのかまだよくわかっていない。ただ、お地蔵さんの化け物からは確かに守ってもらった。

それは感謝しているが、そもそも、このヌシとやらとかかわりを持たなければ、あんな怖い思いもしなかったのでは?と考えると複雑な心境だ。とりあえず、社会人経験の豊富なおじさんの処世術として、深くは考えず、気にしないことに徹しようとはしている。

そんなこちらの思いなんかそれこそ全く気にせず、美津さんは嬉しそうにヌシの手を取っている。

「でも、どうなのかしら?見た目は夏生さんの方がずいぶん年上に見えるじゃない?そんなおじさんと若いヌシちゃんと暮らしてると、ご近所から変な目で見られない?」

突然話を振られて少し戸惑うが、美津さんの懸念するところは確かに夏生も気にはなっていた。

「見た目で言えば、親子としておけば、世間的にも特に問題はないと思います。幸か不幸か、私も独り身なので家に人が増えても異論を唱える人はいないですし」

「親子にしてはちょっとね。姪っ子かしら?それもちょっと変ねえ。兄妹?まあ、今どきはほかの人の家庭のことをとやかく言う人もいないわね。でも夏生さん、食費とか二人分は稼がなくちゃいけないわね……。私がお給料をどうこう言える立場じゃないけど……」

少し思案するような顔でヌシを眺めていた美津さんだが、「ヌシちゃん、アルバイトしてみる気はない?」と何かを思いついたように尋ねた。

「私が古くからお世話になっている友達に、話を聞いて欲しいっていう人がいるの」

「話って?」

「なんでも夫婦喧嘩をしたらしくて。でもちょっと不思議というか……」

「不思議?」

夏生が聞き返す。

「なんて言えばいいかしら?ご病気じゃないんだけど。正直私にはよくわからないの。でも、あなたたちなら力になってくれそうな気がして。良かったらご本人に聞いていただける?もちろん、謝礼は出るわよ」

そう言うと、「ちょっと失礼するわね」と、こちらの返事も聞かずに、おもむろにスマホを取り出した。

「もしもし?美津です……」

確かに、ヌシが住み着く、住み着かないにかかわらず、収入が増えることは喜ばしい。しかし、仮にも会社の創業者が、副業を紹介してくれるとは。就業規則で副業を認めていたかどうか、少し気になったが、もうすぐ辞めるのだから心配する必要はないかと思い返した。

◇◇◇

「空が高い」

張り付くようにして窓の外を眺めていたヌシが、夏生の隣に座った。
真冬に白いワンピース姿は、一種異様な雰囲気だが、部屋の中は温かく、気持ちがいい。

「妻の首が伸びるんです」

ソファに腰を下ろした途端、美津さんの友人という男性が訴えてきた。

「……なるほど。首が?」

「はい」

「伸びますか?」

「伸びる」

「……なるほど」

そこで依頼主との会話は、完全に途切れてしまった。
タワーマンションの最上階、きれいで真っ白な部屋。男は見た目は若いが、おそらく夏生より少し上か。五十歳前後だと思う。経営者という話だが具体的にどのような事業をしているのかは不明だ。

青いチェックのシャツにジーンズというラフな格好。だが、シャツだけでも量販店で買った夏生のスーツ上下より高そうだ。大して変わらないくらいの年齢で、この差は何なのだろう?

夏生の横で、ヌシは出されたコーヒーをすすりながら、バウムクーヘンを忙しそうにほおばっている。相手の話には全く興味なさそうだ。

「もう少し、詳しい状況をお聞かせ願えますか?」

このままお菓子だけ食べて帰ってしまうのも失礼かと、一応、男性に話を向ける。

「頭がおかしいと思われるかもしれないのですが」と前置きして男性が話をはじめた。

「最初に気が付いたのは、もうどのくらいでしょう。今年の春先くらいだったと思います。夜寝ていて、寝苦しくて目が覚めたら、胸の上に何かが乗ってる。で、どかそうと触ったら柔らかいんです。その感触がなんとも言えなくて。慌てて放り出したら『痛い』って。明かりをつけて横で寝ている妻を起こそうと見たら、妻の顔がないんです」

「顔が?」

「はい。あるべき場所に顔っていうか、頭っていうか?とにかくないんです。そしたら後ろから『人の体に触らないくれる』って」

「はあ」

「妻の顔があったんです」

「奥様のお顔が?」

「はい」

無くなったと思っていた奥さんの顔があった。……一体、何が問題なのだろう?

「見つかったんですね、顔。……良かったじゃないですか」

とりあえず、といった夏生の反応に、男は首を振った。

「そんなのんきなことじゃありません。妻に首で絞められたんです」

「首を絞められた?」

「違う。妻が蛇みたいに長い首でグルグルと私を締め付けてくるんです!」

男が興奮して叫ぶ。
これは逆らわない方が良いかもしれない。

「なるほど。それでその……、蛇が部屋にいた?」

蛇っぽいと言えば、たぶんヌシも龍か何かだったはずなので、仲間かもしれない。

「違います。妻の首です。首が長く伸びて私を締め付けていたんです」

その時の状況を思い出したのか、男の手が震えている。その後、すぐに気を失ったらしい。

「……それで何か気が付いたことはありますか?朝、その、奥様が何か。いつもと様子が違っていたこととか」という夏生の質問に、男は「特にはありません」と答える。

「奥様には、その首のお話は聞いてみました?」

「もちろんです。でも変な夢を見たんじゃない?と取り合ってくれません」

まあ当然だろう。首が伸びるなんてありえない。
百歩譲って、もし仮に自分が夜中にこっそり首を伸ばしていたとしてもだ、そんな異常なことをすぐに白状するわけはない。

沈黙が流れる。

首の骨は確か七つだったと、子どものころに何かの本で読んだような気がする。首が伸びる場合、骨はどうなるのだろう?骨と骨の間が広がるのだろうか?そっちの方が気になる。
「話を聞いてあげて欲しい」というのが依頼の内容で、今、自分は話を聞いた。
だから、これで美津さんからの依頼は終わりといえば終わりだ。
この男性の配偶者の首が伸びることに対して自分に何ができるのか、正直分からない。そもそもなぜ自分が、この男性の話を聞いているのか、ということすら夏生にはまだ理解ができていない。やはり余計な首は突っ込まない方がいいだろう。これは、この家庭の問題であり、夫婦の問題だ。

そろそろ帰ると切り出そうとしたとき、突然ヌシが男の首を指さした。

「その首の点は?」

そう聞かれて男は「点?」と首を傾げた。

「そこに三つ並んでる」

言われてみると、首の右横にほくろが三つ並んでいるように見える。反対側も。全部で六つほくろがある。
「失礼」と言って男性が立った。洗面所か何か鏡を見てきたのだろう。すぐに戻ってくると「確かにほくろはありますね。気付かなかったな」とソファに腰を下ろした。

「あまり長居をしてもあれですし。今日はこれで失礼します」

立ち上がる夏生に、「ちょっと待ってくださいよ。私はどうすればいいんですか?」と声を上げる。

「どうって。奥様と話し合うというか……」

夏生だってどうしたらいいのかわからない。

「私の話を信じていないんですね?」

「正直に申し上げると、信じていないというより、理解ができないのです。見たわけではないですし」

ただ、気持ちは何となくわかる。夏生自身、お地蔵さんに襲われて、ヌシに助けられたなんて誰かに言ったところで、普通は信じてはもらえないと思うからだ。

「じゃあカメラを仕込んでおくとか?隠し撮りとかはどうですか?そうすれば信じてもらえますか?」

男がさも名案を思いついたかのように言う。
だが、それは犯罪では?いや、家庭内だったら良いのか?法律とかはわからない。でも、倫理的には盗撮って家庭内だろうが何だろうが、ダメな気がする。どうせなら最初からこっそり盗撮しておいて「実は……」と見せてくれた方が、こっちの責任にはならなさそうでいいのに。

「寝室にカメラをこっそり仕掛けるなんて盗撮じゃないですか?いくらご夫婦とはいえ、奥様も気分を害されるのでは?」

「しかし、気になって仕方がないのです」

男はなおも食い下がる。

「もしそこまで気になるなら、医師に相談するとか?その方が現実的と思います」と夏生がやんわり断る。

いずれにしても、面倒だし、夫婦の問題に他人が口をはさむべきではない。もし仮にこれが真実だったとして、子どものころに本で読んだ漫画とかに出てきそうな妖怪を相手に何かできるとは思えない。

「確かに、このままでは心配ですよね。わかりました。ではまず、ご相談料についてご説明しますね」

「はっ?はい……」

いつの間にか隣に座って話を聞いていたヌシが身を乗り出した。

戸惑う依頼主以上に、夏生の方が驚いた。

(つづく)


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