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小説『ヌシと夏生』38_付喪神

「思いのほか、ひどいな。ひねり潰すのは簡単だけど……」

「ちょっと待って、相手は人だって。潰しちゃだめだよ」

「確かに、依頼主を潰したら、お金は入ってこないしな……」

「そういう意味じゃなくて。人殺しになっちゃう」

「なるほど。人である君は、人以外は潰して殺しても良いが、同類である人だけは殺してはいけないと言うわけだな?ならば神である私は、妖も人も同類ではないので潰しても問題ないことになる」

「だから、そういう意味じゃなくて。誰も殺したくないという意味。どうして今、この状況でそこに突っかかる?」

ヌシに押さえつけられながら、黒い鬼の姿をした若手経営者はかなり元気に暴れている。

「別に突っかかるつもりはないが、私が心を込めて歌った歌を無視したからなあ……」

いつものヌシとは様子が違う。もしかして、この若手経営者が自分の歌を聴かないことをヌシは怒っているのだろうか?

「いっそのこと、このまま一思いにやっちゃった方が、本人のためにも良いと思うんだが。こいつは。もはや鬼だしなあ……」

「鬼……」

ふと思いついて、夏生はスマホを出して、化け猫に電話を入れた。

「どうしたの?今夜はヌシちゃんとカラオケなんでしょ?楽しんでる?」

陽気な化け猫の声がする。

「今日、お地蔵さんバイトに入ってるだろ?」

「うん、すっごい大人気だよ。今も恋愛相談受けてる」

「ちょっと急ぎの用なんだ。電話、変わってもらえないか?」

「良いけど、夏生ちゃん、お地蔵さんの言葉わかるかな?」

「話すのは俺じゃないから、大丈夫」

「ちょっと待ってね……。お地蔵ちゃん、夏生ちゃんから電話」

電話口から何も聞こえなくなった。たぶんお地蔵さんに代わったのだろう。

「お地蔵さん、聞いてるか?鬼が出た。人が鬼になって暴れてて、ヌシが抑えてるけど静かにならない。止めてもらえないか。人を助けたい」

そう言って、スマホをヌシが抑え込んでいる鬼に持って行って、スピ
ーカートークにした。

無音。

鬼もまだ暴れている、と急に震えだした。黒い塊はだんだんと白く、人の姿に戻っていった。

「余計なことを。ひねり潰してやろうと思ったのに……。だいたい地蔵に頼むのはずるい。閻魔大王が直々に叱れば、鬼はおとなしくなるのは当たり前だ」

お地蔵さまが閻魔大王の化身とどこかで聞いたことがあったので、鬼が暴れたらお地蔵さんに頼めば、治めてくれるのではないかと思った夏生の勘が当たった。

だが、ヌシは手柄を取られたように感じているせいか、さっきよりもっと機嫌が悪くなった。

「ところで、その人は大丈夫?鬼ではなくなったけど、人に戻れたのかな?」

「心配する必要はない。寝てるだけだ。きっと疲れてたんだろう。人騒がせな奴だ」

怒るヌシの横で美津さんが「あら、寝ちゃってたかしら?」と再びタンバリンを鳴らし始めた。美津さんも寝てたのであれば、鬼の記憶もないはず。とりあえずは良かった。


商店街の外れにあるカラオケ店の一番奥の部屋は例えば「本当に好きな人同士で利用してください」「十八歳未満の使用は禁止」「十五分ごとに店のスタッフが部屋をノックして扉を開ける場合もあります」など、部屋の使用ルールが事細かに定められている。

中でも最大のルールは「攻撃的な歌詞の歌は一切禁止」というものだ。

しかし、これほど細かく決められているにもかかわらず、予約が二年先まで埋まっているらしい。この部屋で歌うと永遠の愛が芽生える「愛を育てるカラオケルーム」として、知られているようだ。

「二年も待つのか?待ってる間に別れてしまうかもしれないのに……」

夏生の問いに「二年後に、その時に好きな人と訪れれば問題はあるまい」とヌシはシビアだ。

今回の解決方法は、新しいビジネスにもつながったと、美津さんも相当感謝されたらしい。

「またなにか困っているお友達がいたら、紹介させてね」と、会長室で紅茶を入れてくれる美津さんも嬉しそうだ。そんな美津さんの笑顔を見ながら、この人にあこがれていたころの自分が思い出されて、夏生は顔がほてるのを感じた。

「夏生、行くぞ。お地蔵さんも」

張り切って前を歩くヌシの後を、夏生が台車に乗ったお地蔵さんに白い布をかけて、押していく。付喪神となりかかっているマイクの健全な育成のために、毎月一度、ヌシと夏生が例のカラオケ店に行くことになった。万が一のことを考えて、お地蔵さんも同行している。

「あの経営者は若いくせに、なかなか話が分かる」

結局、今回は事件の解決だけでなく、継続して付喪神として育ちつつあるマイクのメンテナンスという仕事ももらえた。

メンテナンス料の代わりに、月に一回、一晩中無料で歌いたい放題、飲み食い放題というのが、ヌシにはえらく気に入ったらしい。カラオケが苦手な夏生としては、あまり嬉しくない話だが、仕方がない。子どものころ月に一度、家族で近所の定食屋に食事に行ったことが楽しい思い出として残っているが、そんな家族サービスをする父親のような気分だ。

もう一つ、このアフターサービスの発注には、あの若い経営者の下心も働いているように思える節がある。

ヌシが店に到着すると忙しいはずの若手経営者も必ず店にいて出迎えてくれるし、何かを注文しても必ず、社長自ら運んでくる。だからと言って、直接ヌシに告白をするというわけでもない。そんなはっきりしない若者から娘を守るという役回りは、少し寂しいけれど、何となく自分に合っているような気がする。

「夏生、遅い。もっと速く歩けないのか?早くしないと夜が明けてしまう」

「こっちはお地蔵さんを運んでるんだ。もう少しゆっくり歩いてくれ」

前を歩くヌシの長い髪が、風になびくと、スカジャンの龍の刺繍がピンクの背中にキラキラと輝いて見える。

だいぶ暖かくなったし、そろそろまた、ヌシの服を買いに行かなくちゃ。

そんなことを考えている自分に気づき、やっぱり娘を持つ父親みたいだなと、可笑しくなった。

付喪神
人が使っていた道具が、長い年月を経て魂を宿した妖。その性質は、使っていた人の心がけによるところも大きい。愛を込めて大切に扱ったものは良き魂が宿り、また粗雑に扱えば悪しき魂が宿る。魂を宿すまでには百年、自ら動けるようになるにはさらに百年かかるという。そのため付喪神になりやすい道具は、長く使える物となる。一人の人の寿命では到底お目にかかることはできないが、代々受け継いで大切に扱い続ければ、いずれ付喪神になる日が来るだろう。

美津さんの元夫の手記より

(つづく)

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